第21話 背伸びは疲れるし

「まず、ボタン留めすぎ。上から下まで全閉めってどういうことですか」

「だってボタンは留めるものだろ」

「誠汰くん、お婆ちゃん子でしょ」

「なんでわかった」

「お婆ちゃんって孫に服をきっちり着せがちですから」


 と、夕愛は俺の胸元のボタンをはずした。


「きゃっ」

「女の子みたいな悲鳴をあげないでください。ボタンなんてね、一個か二個留まってればいいんです」

「じゃあなんのためのボタンだよ」

「ボタンはデザインでもあるんですよ」

「な、なるほど」


 目からうろこだ。


「ほら、袖のボタンもはずして」

「ここも? だるだるになるだろ」

「だるだるにするのが目的なんです!」


 と、視線を下げる。


「デニム、ちょっと丈が長いですね。折りましょう」


 夕愛は足元にしゃがみこみ、裾をくるくると巻きあげた。


「巻きあげすぎだろ」

「くるぶしを出すのがかわいいんですよ」

「いや、かわいさはべつに……ぃぃ!?」


 やや前屈みでしゃがむ夕愛。ニットの襟が広がり、ブラジャーまですっかり見えてしまっている。


 ――今日は紫か……って言ってる場合か!!


 俺は試着室の天井を見あげた。


「ショートソックスを履いて足首を出すのも――って、なんで上見てるんですか」

「天井の染みを数えてた」

「真っ白ですけど……。――それより、スキニーデニムをぴったぴたに履きすぎです!」

「だってスキニーだろ」

「スキニーすぎます! 少ししわを作るのがかっこいいんですよ」


 と、ベルトに手を伸ばしてきた。


「ちょっ」

「もう、きっちり上まで上げちゃって。腰で穿くようにするんです」


 かちゃかちゃとベルトをはずす夕愛。


「あ、ちょ、ま」

「ゆるめるだけですって」


 ――それが駄目だって言ってるんだよ……!


 屈んだ美少女にベルトをはずされるシチュエーションは、もうそれだけでセンシティブ。経験値ゼロの男子高校生には刺激が強すぎるのだ。精神的にも物理的にも。


「べ、ベルトは自分でやるから!」

「え、べつにわたしが――」

「頼むよお……、お願いだよお……!」

「な、なんでそんな切なげな声を」


 夕愛は眉をひそめた。


「わかりました、なら自分でどうぞ」

「ありがとう……」


 ベルトをゆるめ、フロントボタンに手をかける。


 じっ、と夕愛がそれを凝視している。


「あの……、見られると恥ずかしいんだけど」

「不公平じゃないですか」

「なにが?」

「誠汰くんはわたしのブラを見たのに」


 気づかれてた……!?


「あ、あれは不可抗力で」

「違います。意図的です」

「いや本当に偶然で――」

「わざと見せたんです」

「そっちかよ……!」


 夕愛は前屈みになり、腕で胸を寄せた。


「安心してください。こんなことする相手は誠汰くんだけですから」

「っ……」

「ふふっ。じゃあカーテン閉めますね。ちょっと時間もいるだろうし」

「配慮助かる」


 カーテンが閉められる。俺は気分とかその他諸々が静まるのを待ち、デニムの手直しをした。


 もう一度、姿見を確認する。


 ――……うん。


 自分で言うのもなんだが、なかなか良い。清潔感があり、ほどよく洒落ていて、不思議と脚が長く見える。これなら夕愛の隣にいても恥ずかしくない最低ラインはクリアしていると思う。


 カーテンを開ける。


「どう? けっこういい感じじゃないか?」


 俺を見た夕愛は一瞬顔をほころばせたが、なぜかその表情はすぐに曇った。


「はい、すごくいいと思います」

「……なんかまだ変なところある?」

「い、いえ!」


 と、手をぶんぶんと振る。


「ほんとに似合ってるし、かっこいいと思います!」

「そう? じゃあこれ買っちゃおうかな」

「ま、まだ決めなくてもいいじゃないですか。もっといろいろ試してみてからでも」

「まあそうだな。ほかのコーディネートも教えてもらっていい?」

「はい」


 しかし、それ以降のコーデは明らかにおかしくなった。


 サイケな柄のTシャツに格子柄のパンツ。ジャケットと短パン。赤いシャツとサロペットジーンズの組みあわせなんて、ほぼほぼマ○オだ。


 ファッションに疎い俺でも分かる。これは――。


「まちがってたらごめんなんだけど……、これ、ダサくない?」

「だ、ダサくないですよ! 前にYouTubeの配信で観たし」

「なんの配信」

「ゲームの」

「やっぱりマ○オじゃねえか!」

「パリのファッションショーでも観たし!」

「パリのファッションショーなんてイカれた服の発表会だろ!」


 夕愛はぶすっとした顔でうつむく。


 急にどうしたのだろう。いや、急にではないか。思えばこの前、髪を切ってもらった日からなんとなく様子はおかしかった。


「なあ、どうしたんだ? 最初の服なんてすごく洒落てたのに」

「……」


 夕愛はしばらく黙りこんでいたが、やがてぼそっとつぶやくように言った。


「――いから」

「え?」

「かっこいいから」

「あ、ありがとう。――でもそれのなにが駄目なんだ?」

「だって、見つかっちゃう」

「なにが?」

「誠汰くんが」

「? 誰に」


 ぎゅっと拳を握り、搾りだすように言う。


「ほかの女の子に……!」

「え、ど、どういうこと?」

「他の子に、誠汰くんが意外とふつうにかっこいいってバレるじゃないですか……」


 つまり夕愛は、俺が他の子に目をつけられてしまうかもしれないと憂えているらしい。だから焦って急にハグを復活させたり、クソダサファッションを勧めたりしたのだ。


 俺がちょっとファッションをいじったくらいで急にモテたりはしないだろう。杞憂というやつだ。でも夕愛の表情を曇らせてしまうのなら、それは本末転倒だ。


「よし、じゃあやめとこう」

「……え?」

「俺のイメチェン計画は終了」

「でも」

「いいんだ」


 そう、これでいい。俺は夕愛と一緒にいても恥ずかしくない男になりたくてもがいていた。夕愛がかっこいいと認めてくれているなら俺の目的はすでに達成されているのだから。


「ごめんなさい……」


 申し訳なさそうに縮こまる夕愛。


「いや、かえって助かった。小遣い少ないし、毎日ヘアセットするのも憂鬱だったんだ。――あ、でもこのデニムだけは買おうかな。ポロシャツとも合いそうだし」


 夕愛はぷっと吹きだした。


「はい、きっと合います」





 登校中、駆け足で俺の横に並んできた真壁がいぶかしげな視線を向けてきた。


「髪が跳ねてない」

「念入りにブローした成果だ」

「背筋も伸びてる」

「気をつけてるからな」

「ボタンが上まで留まってるのはあいかわらずだが」

「はずしたらセクシーになっちゃうだろ」

「セクシー……?」


 ぽかんとする真壁に俺は笑顔を向けた。


「俺は俺なりでいいかなって」

「なんだその余裕」


 俺は真壁の肩に手を置いた。


「お前もいずれわかるといいな」

「なぜか知らないが無性に腹が立つな」


 今日もあいにくの曇天だが気分は晴れ晴れとしている。俺はますます背筋を伸ばし、学校への道を大股で歩いた。

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