第8話 依存性のあるハグ

「漆原さんに新しいカレシができたかもしれない」

「え!?」


 学校帰り、真壁の唐突な言葉に俺は持っていたフランクフルトを取り落としそうになった。


 夕愛にカレシ? いつの間に? そんな素振りはなかったのに? 聞いてないぞ?


「なに慌ててるんだ?」


 真壁は怪訝そうな目を向けてきた。


 そうだよ、なにを慌ててるんだ。漆原さんにカレシができたなら、立ちなおることができたのだと祝福すればいいだけだ。


「い、いや。それよりそのカレシはどんな奴なんだ?」

「知らん」

「噂になってるとか?」

「なってはないな」

「漆原さんに直接聞いたのか?」

「まさか。接点がない。でも予想はつく」

「なんで」

「変わったからな」

「なにが」

「漆原さんが」


 真壁は唐揚げを一口食べたあと、言った。


「髪もメイクもアクセサリーも」


 ――……ん?


 たしかに変わった。しかしその変化はカレシができたからではないことを俺は知っている。


「漆原さんは男の趣味に合わせるらしい。前はがっつりギャルだっただろう? その前はスポーティだったりアメカジ系のときも」

「へ、へえ……」

「最初は失恋でイメージチェンジをしただけかとも思ったが、それにしてはずいぶんと楽しそうにしているらしくてな」

「ふうん……」

「なんで急に無口になる?」


 ビクッ!


「い、いや。恋愛とか、俺には縁遠い話だなと……」

「たしかに遠いな」

「建前でも否定してくれ……」

「ただ皆無ってわけじゃない。ひとよりかなり慎重なだけだろ」

「フォローされると逆に困惑するんけど……」

「フォロー? 正直な気持ちだが?」


 などと、いつもの薄ら笑いを浮かべる。


「それに慎重っていうのは長所にもなる。周りや相手をしっかり見られるってことだろう?」

「そう、かな」

「そう、まぎれもない長所さ。――ただしイケメンに限る」

「オチをつけるな……!」


 俺の気持ちを弄びやがって。


 真壁は何事もなかったかのように話をもどす。


「最近もリップの色やコロンの匂いが変わったそうだ。新しいカレシの趣味かもしれない」

「それは違うだろ」


 あれは夕愛の色、夕愛の匂いだ。


 ――あ。


 言ってからはっとした。真壁がじっと俺を見ている。


「なんでそう思う?」

「あ、あ~……。決めつけはよくないかなと」

「初めから仮定の話だが」

「ソウデシタ……」


 さっきから墓穴を掘り、その穴を埋めようとして別の墓穴を掘っている感じだ。


「そういえば漆原さんのファッション、出間が好きそうだな」


 ビクビクゥ!


「な、なんでそふ思ふの?」

「前に好きだったスマホゲームでああいう感じのキャラクターを育ててただろ?」

「そ、それはあくまで推してただけだから。現実に持ちこむわけないだろ」


 そう、持ちこむつもりはなかった。ただ好きなファッションを尋ねられたから素直に答えただけだ。こんなことになるなんて考えもしなかった。


「あと言っておくけど『前に好きだった』じゃないから。今も好きだから!」

「そこ?」

「というかお前こそずいぶん漆原さんについて詳しいじゃないか」

「出間が気にしてたからな。情報収集してみた。あ、ちなみに元気らしいぞ。よかったな」


 ぽんと俺の肩を叩き、真壁は高笑いしながら去っていった。







『きぃちゃんにマンマークされてる』


 昼休み、トークアプリに夕愛からのメッセージが涙の絵文字つきで送られてきた。


『きぃちゃん?』

『友だち』『なんか監視されてるっぽい』


 もしかするとその友だちも真壁のように、夕愛に新しい男ができたと疑っているのかもしれない。


『今日はお昼ご飯一緒に食べれない』


 涙の絵文字が連打されている。


『俺も残念(涙絵文字)』と返信を入力したが、【チャットでは陽気な陰キャ感】が出すぎているような気がして慌てて消去し、了解のスタンプだけ送った。


 昼休みが終わり、五時間目の授業が始まる。


 集中できない。なぜかふと夕愛の顔が思い浮かぶ。いけないいけないと教師の言葉に耳を傾けるも、気づくとまた彼女のことを考えていた。


 授業の終わりを告げる鐘が鳴った。板書を機械的に書き写しただけでほとんど頭に入っていない。よくないとわかりつつも、このままでは六時間目も同じ調子で終わりそうだ。


 と、ポケットのスマホが震えた。トークアプリの通知。差出人は夕愛だ。


『今ちょっと来れる?』

『どこに』

『特殊教室棟の奥の階段』

『ちょっと待ってて』


 返信をしながら教室を出た。休み時間はいつもだいたいひとり。急な呼びだしにも即対応可能だ。見たかこの柔軟性。


 ……言ってて空しくなってきた。さっさと行こう。


 特殊教室棟はけっこう離れている。往復することを考えると、この短い休み時間ではぎりぎりといったところだ。つまり俺が早足なのはそういうことであり、決して早く夕愛の顔を観たいからとかそういうことではない。いや本当に。


 一階に降りて特殊教室棟に入り、視聴覚室や図書室を通りすぎて、俺は奥の階段にたどり着いた。


 人気ひとけはない。わざわざこの時間にここまで来るもの好きはいないだろう。


 階段横のスペースに隠れていた夕愛がちらっと顔を出した。俺を見た瞬間、その顔がぱっと明るくなる。


「誠汰くん」

「どうした、急に」


 俺は弾む息を整えながら尋ねた。


「ごめんね。どうしても会いたかったから」


『会いたかったから』


 夕愛の言葉を噛みしめる。彼女のストレートな感情表現は、ガードの固い俺の心にすらするりと入りこんでくる。


「じゃあいつもの、いきますね」

「いつものって――えええ!?」


 夕愛が俺の胸に抱きついてきた。そしてすぐに離れてしまう。


 その間、三秒ほど。いや、もしかするともっと長かったかもしれない。ともかく、とても短く感じた。


「はい、チャージ完了~。誠汰くんもチャージできた?」

「……え? あ、ああ」

「正直わたしは物足りないけど、あんまりゆっくりしてらんないし」


 階段を駆けあがり、振りかえる。


「また呼びだしたら来てくれる?」

「……もちろん」


 夕愛は安心したように微笑み、手を振って去っていった。


 俺は彼女がいなくなった階段をぼうっと見あげた。なんだか妙に胸がすかすかする。


 ――俺も、物足りない、のか……?


 いやいや、そんな馬鹿な。ハグは夕愛が要求するからさせてやってるだけで、俺はべつに……。


 予鈴が鳴る。


「やべっ」


 俺は小走りで教室にもどった。


 六時間目の授業は、さらに集中力を欠いたことは言うまでもない。

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