第29話 プライベートメイド喫茶(後編)

 オルゴールのようなメロディーについで、『お風呂が沸きました』という女性の声。


「あ、お風呂沸いた」


 夕愛が立ちあがる。


 ――……?


 今の時刻は昼過ぎ。なぜこのタイミングで? まさか……!


「お、お兄さん帰ってくるのか……!?」

「帰ってこないよ?」


 よかった。帰ってくるお兄さんのために風呂を沸かしたのかと思った。


 でも、それならなぜ風呂を?


「夕愛が入るのか?」

「わたしは入らないけど」


 なにこれ、謎解き?


「じゃあなんで沸かしたんだ?」

「誠汰くんが入るから」


 誠汰くんが入るから……? 誠汰くんって……、俺だよな?


「え? いや、なんで?」

「この前の会話がヒントになったんです」


 夕愛は照れくさそうに身体を揺すった。


「ほら、『コッペにする? それともわたし?』って聞いたら『新妻か』って」

「『新妻かなにかか』な」

「もう、誠汰くんは細かいなあ。――で、本当のセリフは『ごはんにする? お風呂にする? それとも、わ・た・し?』じゃないですか」

「そうだな」

「だからです」

「???」


『だから』って論理上当然の帰結であることを表す接続詞だったと記憶しているのだが、いまの夕愛の話、どこがどう帰結したんだ?


 夕愛は空になった皿を指さした。


「フィナンシェを食べたでしょ?」


 次にリビングの扉を指さした。


「お風呂に入るでしょ?」


 最後に自分を指さした。


「そしたら残るはわたしじゃないですか」


 この子なに言ってんだ?


 夕愛は頬に手を当て、恥ずかしそうに言う。


「なんだったらお風呂でいっぺんに――」

「入らない!!」

「でも今日のわたしはメイドだし、奉仕を」

「いや、メイドはそういう職業じゃないから!」

「え、嘘」


 なにを思ったか夕愛はスカートの真ん中を手で押さえ、右側をめくりあげた。


「ちょ……!?」


 ふとももから鼠径部そけいぶ、腰のサイドまでが露わになる。タイツを吊るガーターベルトも。


 俺は頭が一回転しそうな勢いで顔をそむけた。


「でもこんなにエッチな下着を着けてるのに」

「エッチだから着けてるんじゃない! 便利だからだ!」

「ふつうのタイツのほうが楽だと思いますけど……」

「股下部分がないから蒸れないだろ。それからお手洗いのときふつうのタイツより着脱が楽だ」

「あ~、たしかに」

「だから夕愛の着け方はまちがってる。パンツはベルトの下じゃなくて上だ」

「なるほど~」


 夕愛はうんうんと頷いた。


「やっぱりエッチじゃないですか」

「どこが!?」

「じゃなくて、誠汰くんが」

「お、俺?」

「女の子のこと詳しくないのに、なんで下着のことはそんなに詳しいんですかあ? むっつり?」

「ううっ……」

「わたしにはオープンにしてくれていいんですよ?」

「ううっ……!」


 甘美なささやき。でも俺は据え膳は食わないと心に誓った。


 そんなことしなくても、俺は夕愛を――。


 ――夕愛を、なんだよ。


 今、俺はなにを思ったんだ。勘違いするな。俺は……。


「ふふっ、照れちゃいました?」


 なんて艶っぽく微笑む夕愛。しかしよく見ると彼女の耳は真っ赤だ。


 ――……?


 いや、むしろ夕愛のほうが照れてない? もしかして、自分からアプローチしてきたのに自分が照れてるのか?


「なんで――」

「え?」

「最近、夕愛がずいぶんアグレッシブだなって。だからなんでだろう、ってさ」


 夕愛はちょっと考えたあと、はにかんで言った。


「後悔しないように」

「……」


 夕愛は後悔しないように行動している。


 対して、俺はどうだろう。後悔ばかりな気がする。でもだからって彼女の誘いに乗るのは違う。


 夕愛のために、自分のために、俺はなにをすべきなんだろう。


「……あれ!?」


 夕愛は急にすっとんきょうな声をあげると、くるりと背を向けてスカートをめくり、自分の下着を覗きこんだ。


「やっぱり……!」

「どうした?」

「こ、これ……、去年のパンツだった!」

「……どう問題なんだ?」

「だって一年前の下着なんてもう可愛くないじゃん!」

「そう、か?」


 パンツなんてゴムが伸びるか穴が空くかしないと変えない俺には理解できない。


「べつに、その……、ふつうだったと思うけど」

「ふつうじゃ駄目なの!」


 夕愛はほとんど泣きそうな顔で言う。


「誠汰くんに見せるなら最高に可愛くないと……」

「……」


 パンツの可愛い可愛くないはよく分からない。しかしひとつたしかなことがある。


 俺のために可愛くあろうとしてくれている夕愛は、最高に可愛い。


 ――というか、言ったそばからめちゃくちゃ後悔してんじゃん……。


 俺は夕愛をなだめるために言った。


「あ~……。そんなに気にしなくても、可愛いと思うぞ、俺は」

「……え?」


 夕愛はこちらを二度見した。そんなに驚くことか。まあ驚くか。俺、あんまりひとを褒めないからな。可愛いとか口にするのが、なんとなく気恥ずかしくて。


 きょとんとしていた夕愛の顔に、徐々に喜色がにじみ出てくる。


「いま褒めました? 可愛いって言いましたよね?」

「い、言ったけど」

「えー!? ちょっと聞きとりづらかったんでもう一回言ってくれますか?」


 と、エプロンのポケットからスマホをとりだす。


「い、言わない。――ってそのスマホはなにに使う気だ」

「着信音にしようと思って」

「もう絶対言わねえ!」


 俺は席を立ち、玄関に向かう。夕愛はテンションの上がった犬みたいにまとわりついてくる。


「ま、ま! アラーム! アラームにしますから!」

「用途の問題じゃねえんだわ!」

「じゃあ録るだけでも。ね、ね?」

「い・や・だ!」


 俺は靴を履き、玄関を飛び出た。一度振りかえり、


「ごちそうさまでした! すごく楽しかった!」


 挨拶と礼を述べ、逃げるように夕愛のマンションをあとにした。


 帰り道を歩きながら、俺は激しく後悔していた。


 ――なんであんなこと言っちゃったんだ……。


 でもこの後悔は、過去に感じてきた後悔とは違っていた。


 苦しくない。いや、苦しいは苦しいが、胸を締めつけるような、そんな甘い痛み。


 こんな後悔なら、たまにはいいかもな。


 でも思いかえすと顔が熱くなり、居ても立ってもいられない気持ちになってしまうのも事実だ。俺は湧きあがってくる羞恥心を振り払うように早足で家路を歩いた。






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ここまでお読みいただきありがとうございます!これにて第二部終了です。

また数日ほどお時間いただきまして、来週からでも第三部――ラストへつづくお話の連載を始めたいと考えています。しばしお待ちくださいませ。

藤井でした。

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