第28話 プライベートメイド喫茶(前編)
「お帰りなさいませ、ご主人様」
夕愛の住むマンション。そのリビングへのドアを開くと、メイド服を身にまとった彼女が俺を出迎えた。
文化祭も無事に終わったある日の下校時、夕愛は不満そうに言った。
「そういえば誠汰くん、けっきょくうちのクラスに遊びにきてくれなかったよね」
「コッペパンは買っただろ」
「わたしが接客したかったのっ」
「また来年な」
「次もメイド喫茶とはかぎらないじゃん」
ぶうっとふくれっ面をする。
「誠汰くん、わたしのメイドコスプレ、もっと見たくない?」
「まあ、うん」
たしかにとても似合っていたし、見たいといえば見たいが。
「でももう終わっちゃったんだからしょうがないだろ」
「そうだけどさあ……」
なんてことはない会話だった。その日の夜には話したこと自体すっかり忘れ、翌日の予習をしていた。
そのときだ。スマホに夕愛からのメッセージ。
『メイド服借りれた!!』
「……は?」
思わず声が出た。
『明日うちでメイド喫茶開店するから、今度はちゃんと遊びに来てね』
――まじかよ。
そうだ、忘れていた。相手は夕愛だった。別人のようにイメチェンすることすらいとわない彼女ならメイドのコスプレくらい造作もない。知っていたとはいえ、そのバイタリティとアグレッシブさに改めて脱帽する。
ここまでされてしまっては断るわけにはいかない。むしろ人目がなければ断る理由もない。
俺は了承の返信をした。そして現在に至る。
「ああ、うん。お邪魔します」
「そこは『ただいま』でしょ?」
「そ、それはちょっと……」
劇のときはまだ演技ができたが、親しい相手とのごっこ遊びには抵抗がある。
「まあ、いいけど」
もっと食いさがってくると思いきや、夕愛はあっさりと引いた。
俺がほっとしたのも束の間、彼女は邪悪な笑みで言った。
「わたしのサービスですぐに骨という骨を抜いて、アヘアヘとしか言えない身体にさせてあげます」
「怖ーよ」
脳がやられちゃってるじゃないか。というか、アヘアヘとしか言えないならただいまって言えないだろ。
「ではこちらへどうぞ」
促されるままに俺はダイニングの席につく。夕愛はキッチンへ行き湯を沸かしはじめた。
キッチンで作業しているメイド服の美少女。
――ずっと見てられるな……。
メイド喫茶に行きたくても行けないシャイな人びとをターゲットに、デリバリーメイドというサービスをはじめたらけっこう流行るんじゃないだろうか。
いやそれ、ただの家政婦だな。一周回って元にもどってしまった。
「ん?」
俺の視線に気づいた夕愛が小首を傾げた。俺は慌てて顔を逸らす。
「い、いや。――それにしてもよく服を借りれたな。そういうのって文化祭が終わったらすぐレンタル業者に返却するんじゃないのか?」
「これ、友だちの私物だから」
言われてみればたしかに文化祭のときに着ていたものとはデザインが微妙に違う。スカートの丈も少し短い。
「私物のメイド服って……。つまりその友だちはメイドなのか?」
夕愛は吹きだす。
「なわけないじゃん。趣味でコスプレやってるの」
「だ、だよな」
「でね、その友だちに言われたの」
「なんて?」
「『貸すのはいいけど変なことに使って汚さないでね』って」
「ふうん」
一瞬スルーしそうになったが『変なこと』の意味に思いいたり夕愛の顔をまじまじと見てしまった。彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「どうする? 汚しちゃう?」
「汚さない!!」
「そっかあ。じゃあ汚さないように使うってことだね」
「俺は使わない!! でも借り物だから汚さないようには気をつけろ」
「誠汰くんは真面目だなあ」
と、肩をすくめる。
そうこうしているあいだに準備が終わり、俺の前に紅茶とフィナンシェが出された。
「じゃあ例の儀式、いきますね」
夕愛は手でハートマークを形作った。
「萌え、萌え、キュン」
満面の笑顔、鼻にかかった甘い声、キレのいい動き。夕愛が本当にメイド喫茶で働きはじめたら多くのファンが付きそうだ。というかあれ儀式じゃなくておまじないだったと思うが、細かいことは置いておこう。
「さあ、召しあがれ」
「いただきます」
フィナンシェを口に運ぶ。ほろっと崩れるスポンジ。バターとアーモンドの香り。そこに渋めの紅茶を流しこむ。
「うまいな」
夕愛は得意顔をした。
「でしょ? やっぱりセブン○レブンのスイーツはまちがいないって」
「なぜどや顔をできるのか、それが分からん」
セブン○レブンの企業努力じゃねえか。
まあしかし、ビニール包装の菓子でも小洒落た皿に移しかえればずいぶんと見栄えするものだ。本当のメイド喫茶も基本的には冷凍食品のところがほとんどだろうし、なにも問題はない。
なにより俺を楽しませようとしてくれる夕愛の心意気、それがなによりの調味料だ。
いつの間にか夕愛は俺の正面の席に座っていた。頬杖をつき、フィナンシェを口に運ぶ俺を、ほんのり微笑むような表情でぼうっと見つめている。
「……なに?」
「え!? あ、べつに……」
と、慌てたようにうつむく。なにかよからぬ想像でもしていたのだろうか。
そのときだ、どこからともなくオルゴールのようなメロディーが聞こえてきたのは。
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