第17話 答えあわせ
「わたくしが! まちがっておりました!」
俺は人目もはばからず土下座をした。人生初の本気の土下座だ。
「まことに! 申し訳ございませんでした!」
「いやもういいから、立ってよ」
「でも……!」
「目立つから……!」
かえってお兄さんに迷惑をかけてしまっていたらしい。もしかすると土下座って、こうやって平身低頭することで周囲の視線を味方につける謝罪方法――いや、脅迫方法なのかもしれない。
俺は立ちあがる。しかしお兄さんの目を見ることができない。恥ずかしくて恥ずかしくて身体がかっかと熱くなる。
お兄さんが口を開く。
「ようするに君は、僕が夕愛の元カレだと思ったってわけね」
「……はい。なんか、そういう話かと思って」
『溜まってる』とか『ご無沙汰』とか。お兄さんは一瞬難しい顔をしたが、すぐに得心したように「ああ、なるほど」と頷いた。
「家事がだいぶん『溜まってる』。そうとう『ご無沙汰』だから」
「家、事……?」
「夕愛とふたり暮らしなんだ。で、家事を分担してて、今日はこいつの担当。でも仕事でちょっと駅に寄ったらこいつがいたから、どういうことだって問いただしてた」
俺は夕愛を見る。彼女は気まずそうに顔をうつむけた。
お兄さんはつづける。
「先週も家事を適当に済ませて遊びほうけてたんだ、こいつ。だからちょっと言い方がきつくなったかもしれない」
と、夕愛に視線を移す。
「で、原因は新しくできたカレシかなって思った、というわけ」
なるほど、それでこの前のことも納得がいく。俺がこのデートに誘ったときのこと、夕愛は一瞬、困ったような表情をした。それは元カレが原因ではなくて家事の約束を思いだしたからだったのだ。
――なんだそりゃ。
あんなに悩んだのに。まあ杞憂でなによりだけど。
ん? でも、じゃあ、ハグをしなくなったのはなんでだ?
「違うもん!」
ずっと黙っていた夕愛が声を荒げた。
「今までとは違うもん!」
「どこが違うのよ?」
「それは……。誠汰くんから誘ってくれたから……。そんなのはじめてだったから……」
ぎゅっと拳を握って、震える声で言う。
俺が誘ったことをそんなに喜んでくれていたなんて。
「夕愛……」
「誠汰くん……」
夕愛のすがるような眼差し。俺は微笑みを返した。
「今日は中止な」
「誠汰くん!?」
夕愛は目をむいた。
「家事、頑張って」
「そんな流れじゃなかったじゃん!?」
「それとこれとは話がべつだ。約束は守らないと」
「……うぅ。正論が攻めてくる……」
「また誘うから」
「……はい」
夕愛は観念したように頷く。そして去り際、
「絶対! 絶対だよ!」
と、念を押してきた。
「ああ、絶対だ」
夕愛は名残を惜しむようにこちらをちらちらと振りかえりながら去っていった。
オブジェの前には俺とお兄さんが残された。
俺はずっと夕愛が消えた駅出入り口のほうを見ていた。というか――。
――めっちゃ見てくる……。
お兄さんが俺のことを凝視するので、そちらのほうを見れないでいた。
「本当に付きあってないの?」
「へ!? あ、はい。本当に」
「ふうん」
お兄さんも出入り口のほうに目を向けた。
「あんなふうに反抗したの、初めてなんだよね」
「そうなんですか?」
「夕愛は、お願いすればちゃんとやってくれるんだわ。イエスマン――とはちょっと違うかもだけど、聞き分けがいいっていうのかな。意外でしょ?」
「いえ」
否定するとお兄さんはちょっと驚いたような顔をした。俺はむしろそれこそが夕愛の性質だとすら思っている。
「ならわかるでしょ? そんな夕愛が断ったんだ。『家事はあとでちゃんとやるから』って。びっくりだわ」
また視線が俺にもどる。今度は俺も目をそらさなかった。
「付きあってないんだとしたら、夕愛をあんなふうにさせる君はいったいなんなんだろうね?」
嫌われてはいない――いや、好かれてはいるだろう。でもそれは一種の刷りこみみたいなものだと思う。失恋してつらいときにたまたま俺が近くにいて言葉をかけた。だから俺に懐いた。時間がたてば、取り立てて顔もよくなければコミュ力も高くない俺に飽きてしまう……。そんな気がする。
それでいい。俺はあくまで夕愛の失恋の傷が癒えるまでの絆創膏なのだから。
そう思っていた。でも、今は――。
「わかりません」
俺はそう答えた。どう思っているにしろ思われているにしろ、初めて会ったひとに話すような内容じゃない。
「じゃあ君にとって夕愛は?」
「後輩です」
「休日にデートするのに?」
「休日に一緒に遊ぶ後輩です」
「いいね」
――なにが?
「君、慎重って言われるでしょ?」
「……はい」
「今までにいなかったタイプだ。ちょっと安心したよ。夕愛のことも守ってくれるしね」
と、にやりと笑う。その顔は夕愛の悪戯っぽい表情にどこか似ている。さすが兄妹だ。
「そ、それは、ほんとにすいません……」
「それだけじゃなくてちゃんと叱ってくれるし、夕愛も慕ってるようだし。――ただ」
お兄さんは俺の頭を指さした。
「ヘアスタイルはいただけないな。ぼさぼさ」
「あ……」
俺は自分の髪に触れた。見よう見まねでワックスなどつけてみたがやはりうまくいってなかったらしい。
「今度うちの店に来なよ。特別価格でカットしてあげるから」
職業は美容師らしい。たしかにそういう雰囲気がある。
お兄さんはぱちっとウインクして去っていった。
その背中を見送りながら思う。
俺は自分のこの憶病で慎重な性格が嫌いだった。でも真壁やお兄さん、そして多分、夕愛も、それを好ましく思ってくれている。
俺は社会に不適合で、だから誰も不快にしないよう、そして自分が傷つかないよう、ぼっちでいるのが一番だとずっと思っていた。でももしかしたらそれは考えすぎで、俺のことも受けいれてくれる場所があるのかもなんて信じられるようになっている。
俺は夕愛を癒やしているつもりだった。でも本当は夕愛に俺が癒やされていたのかもしれない。
これから俺たちの関係がどうなっていくのかはわからない。
――まあとりあえず……。
夕愛の隣にいても恥ずかしくないよう、このぼさぼさのヘアスタイルはどうにかしなければなるまい。
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