第35話 清楚ファッションの理由

 夕愛のお兄さんとの約束が明日に迫った今日、俺は朝食をとったあと久々にひとりで外出した。


 先日の会話で、休日の予定がないと石水さんに思われたに違いない。


 ――暇じゃねえ。ちゃんと予定はある……!


 そう、予定はあるんだよ。ただ、切迫した予定ではないから出かける踏ん切りがつかず、結果として家でだらだらと過ごしているうちに休日が終わってしまうことが多いだけだ。


 今日は満を持して溜まった予定を消化する。


 まずは、そうだな……、ええと……。


 ――そう、本屋だ。俺は本屋に行きたいと思っていたんだ。


 俺は最寄りの書店に向かって意気揚々と歩きだした。






 数時間後、俺は中古書店から出た。日が傾き、あたりには夕方の気配が漂いはじめている。


 今日の行動を思いかえす。本屋に赴いた俺はざっと新刊を確認したあと雑誌を立ち読みし、ファストフード店でハンバーガーを食し、この中古書店で文庫の立ち読みをした。


 そして現在にいたる。


 俺は膝から崩れ落ちた。


 ――いや完全に暇人の休日……!


 これは『予定』ではない。『暇つぶし』だ。


 壁に手をついて立ちあがり、ふらふらと歩く。


 以前の俺ならこんなことを思いもせず、買い求めた新刊を抱えてほくほくと家路を急いだことだろう。俺には趣味しか打ちこむものがなかったから、それで満足できていた。


 今はどうだ。もちろん読書やゲームが嫌いになったわけじゃない。の比重が大きくなってしまったのだ。


 というのは言うまでもない。


 ――……?


 俺は立ち止まった。一瞬、ショックに打ちひしがれた俺の脳が見せた幻影かなにかかと思ったが、まちがいない。


 夕愛だ。中古書店の隣にあるアウトレットモールの駐車場にぽつんと突っ立っている。誰かを待っているようだ。


 ブラウスにカーディガン、そしてロングスカート。夕愛の格好は先日の『清楚なカノジョ』を彷彿とさせる。


 ふだんもあの格好をしてるのか? それとも――。


 ――待ちあわせをしている誰かのために?


 視線を感じたのか、夕愛が不思議そうな顔できょろきょろする。


 俺は反射的に車の陰にしゃがんで隠れた。


 やましい気持ちが湧いていた。誰を待っているのか、それを確かめたいという気持ち。だから見つかってはいけないと、身体が動いてしまった。


 確かめないわけにはいかない。なぜなら、待ち人こそがあの清楚ファッションの元凶かもしれないのだから。


 少し間を置いてから、ちらりと様子を窺う。


 夕愛の視線がモールの入り口のほうへそそがれていた。彼女は笑顔になり、手を振る。


 心臓が早く、大きく脈打つ。


 誰だ。どんな奴だ。


 夕愛のそばに人影が近づく。


 ――……え?


 その人物は、俺のどの予想とも違っていた。


 女性だった。年齢は四十歳前後だろうか。栗色の髪、すらりとした体躯。黒のシャツとスカートにベージュのジャケットを合わせている。


 月並みだが、モデルのようだと感じた。歩き方も姿勢もスタイルも容姿もすべて美しい。アウトレットモールの駐車場がファッションショーのランウェイでもなったかのようだ。


 というか、俺はあのひとを知っている。


 ――たしか……、――そうだ。宮澤。宮澤杏樹。


 ネットの記事で読み、真壁に教えてもらったんだ。元アイドルで、アパレル会社の経営者。なるほど、美しいのもお洒落なのも納得がいく。


 でも、その宮澤杏樹がなぜ夕愛と?


 ふたりは親しげに言葉を交わしたあと、車に疎い俺でも知っているハイブリッド車に乗りこみ、駐車場をあとにした。


 俺は車の陰から出て、ふたりの乗った自動車が消えたほうを見つめる。


 ――……そうか、わかったぞ!


 モデルだ。きっと夕愛が、宮澤杏樹のブランドのモデルを始めたのだ。あのガーリッシュなファッションはそのブランドの商品に違いない。ちょっと様子がおかしかったのも、慣れない仕事が大変で疲れていたからだろう。そう考えれば辻褄が合う。


 あくまで推測ではあるが、それが事実だとしたら本当にすごいことだ。可愛いとは思っていたが、業界人にも目をつけられるなんて。


 誇らしい。と同時に、ちょっと焦る気持ちがあった。だって、夕愛の可愛さが多くの人びとに見つかってしまうのだから。


 業界にはかっこいい男性も多いだろう。もしかすると夕愛が、なんとか普通の顔面に踏みとどまっている俺より、ハンサムオブハンサムな男性に惹かれるという正常な反応をしてしまう恐れがある。


 恐れがある? いや、その言い回しはおかしい。夕愛が新しい道に一歩踏みだし、そこで素敵な出会いがあるなら、俺はそれを応援してやらなければならない。最初からそういうつもりだったはずだ。


 頭では分かっている。なのにこの焦燥感はなかなか消えてくれそうにはなかった。

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