エピローグ

 夕愛と正式に付きあいはじめてから三ヶ月ほどが過ぎた。


 クリスマスこそ一緒に過ごしたが、年末、夕愛たち家族(婚約者の松方さん含む)はイタリア旅行へ行ってしまい、冬休み中はほとんど会うことができなかった。


 帰国後のある日、夕愛は、


『服飾系の仕事につきたい』


 と俺に相談してきた。言うまでもなく、母親でアパレルメーカー経営者、杏樹さんの影響だろう。水入らずで充実した時間を過ごせたらしい。


 服飾系学科のある大学、専門学校をピックアップして教えてやったところ、もっとも偏差値の高い大学を夕愛は選択した。高度な教育を受けられるのはもちろん、俺の志望している大学とほど近いことも理由らしい。


 しかし今の夕愛の学力ではかなり努力しなければ難しい。だから俺は自分の勉強の合間を見て夕愛の家庭教師をやっている。俺も夕愛と離ればなれの大学生活は寂しいから。


 今日も休日を利用して、俺の部屋で夕愛の勉強を見ていた。


 しかし――。


「ちょっと……、休憩……」


 夕愛は精も根も尽き果てたようにテーブルに突っ伏した。


「問題集を開いてから十五分しかたってないが」

「ええ!? 一時間はたってるでしょ?」

「体感時間の差えぐいな」

「イタリア帰りだし」

「時差ボケにそんな症状はねえ」

「一回糖分補給させて……」

「さっき食いきっただろ」


 き○この山の箱はすでに空っぽだ。


「じゃあラブを補給させて!」


 と、夕愛は隣に座る俺に抱きついてきた。


「ラブを補給して集中力が上がるかよ!」

「上がる!」


 言いきられてしまった。むしろ下がりそうなんだが。


「ラブを補給って、具体的になにをするんだよ」

「そんなの決まってるじゃん」


 夕愛は顔を近づけ、くちびるを重ねてきた。


 温かい、柔らかい、いい匂い。永遠に味わっていたい、そんな感触。


 くちびるが離れた。物足りない、すごく短い時間。いや、もしかしたら時差ボケかも。


 夕愛は俺を見つめたままシャツの裾から手を差しこんできた。脇腹にぞくっと快感が走る。


「ちょい!?」


 俺は慌てて夕愛の手を押さえた。


「なにをする気だ」

「分かってるくせに~。それとも、言わせるのが好きなの?」


 妖しい目つきで見つめてくる。俺は居住まいを正した。


「夕愛」

「なに?」

「そういえばさ真壁が――」

「露骨に話変えてきたね」


 夕愛はジト目で俺をにらむ。そしてため息をついた。


「で、なに? 真壁くんがどうしたの?」

「冬休みデビューをした」

「冬休みデビュー? ってなに?」

「『けっきょく恋愛なんてよりよい遺伝子を残すための方便に過ぎない。となればより強そうなオスにメスが惹かれるのが必定。つまりもっとも大事なのはテストステロンなんだよ』とか言って、冬休みからガチの筋トレを始めた。肌を焼いて、コンタクトレンズにして、髪もツーブロックにして、ピアスも開けた。シルバーアクセサリーもじゃらじゃらつけてさ」

「それが冬休みデビュー……。でも『デビュー』って、前の真壁くんを知ってたら成り立たなくない?」

「ああ。だからふつうに気味悪がられて引かれてる。ヒョロガリで黒い服ばかり着てるから『死神に見入られた』とか噂されて」


 夕愛はぶっと吹きだした。


「なんか真壁くんっぽいね」


 そしてなにか思いだしたように短い声をあげた。


「そういえば、きぃちゃんも」

「石水さん? 恋人できたの?」

「ううん、できてないんだけど。なんか最近、めちゃくちゃ告白されてる」


 あの近づくだけで皮膚が切り刻まれそうな鋭利なオーラをまとった彼女が?


「すごくモテてる。男女問わず。よく笑うようになったし。全部フッてるけどね」


 俺たちだけじゃない。みんな少しずつ変わっている。


「みんな盛んだなあ」

「そうだね。淡泊なのは誠汰くんだけだね」


 ――薮蛇だった……。


 夕愛のじとっとした目つきに、俺の背中にはじとっと汗が浮かぶ。


 しかし夕愛の追撃はやってこなかった。彼女は少し考えるような素振りをしたあと、


「あのね、もしかしたらなんだけど――」


 と上目遣いで俺を見て言った。


「誠汰くん、わたしを気づかってくれてる?」

「……」


 気づかっている、というか、己の欲求を解消するために相手の身体に負担をかけてしまうようで申し訳ないという気持ちがある。


 それに夕愛の過去を考えれば、をすることで、彼女の心にできた生乾きのかさぶたを剥ぐようなことにはならないかという怖さがあった。


「やっぱり……」

「気づいてた……?」

「なんとなく。心の準備が、とか言ってたけど、もしかしたらって」


 俺が夕愛の表情を読めるようになったのと同じように、夕愛もまた俺の考えが分かるらしい。


「誠汰くん」


 夕愛は座りなおして俺を正面に見すえた。


「コミュニケーションなんだよ」

「コミュニケーション?」

「今までいろんなことを話したよね。それは心のコミュニケーションでしょ?」

「ああ」

「恋人になって、もっと深くつながりたいから、だから身体でもコミュニケーションしたいの」

「……」

「誠汰くんはいつも、わたしを傷つけないように言葉を選んでくれてるよね。そんな誠汰くんだからわたし、安心して心も身体も任せられるんだよ? 愛してるって感じてほしいし、愛されてるって感じたいから、全部でコミュニケーションしたいって思うの」


 夕愛の大きな瞳がまっすぐ俺を見つめる。


「慰めてほしいとか、寂しさを埋めたいとか、そんなネガティブな気持ちじゃないよ。もう誠汰くんに癒やしてもらったから。――それだけは知っておいてほしいな」


 そう言ってはにかんだ。


 きゅっ、と胸に痛みが走った。身体を離そうとする夕愛の腕をつかみ、ぐいっと引き寄せる。


「な、なに?」


 俺の胸で夕愛は戸惑ったような声をあげた。


「心の準備ができた」


 夕愛の身体を持ちあげてベッドに横たえる。


 あんな……、あんないじらしいことを言われて辛抱できるほど俺の理性は強固じゃない。


 夕愛は恥ずかしそうに目を逸らし、身体の力を抜く。


 ――おっと。


 俺は腕を伸ばしてサイドチェストの引き出しを開け、ドラッグストアで買っておいた、こんなときに必要になるゴム製のあれをとりだしてベッドの宮台に置いた。


 それを目ざとく見ていた夕愛が言う。


「やる気満々じゃん!」

「ばっ、違う! 念のためだ! いつそんな雰囲気にならないともかぎらないだろ」

「いいムードになったのにこれがなくてできないなんて後悔してもしきれないしね」

「まあな」

「本音が出た!」

「誘導尋問だ!」

「なんてね。ちゃんと考えてくれてて嬉しいよ」


 と、恥ずかしそうに微笑む夕愛の表情を見て、ああ本当にちゃんと用意しておいてよかったと心の底から思った。


 夕愛は目を閉じてキスを求めるように少し顎をあげた。俺は顔に顔を近づける。


 窓からよく晴れた空が見えた。なにもやましいことはないはずだが、昼間からこういうことをするのはなぜだか少し罪悪感がある。


 俺はカーテンを引き、夕愛とのコミュニケーションを開始した。






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あとがき


 ここまでお読みいただきありがとうございます!


 今作はプロットの大枠を固めず即興劇的に書き進めてきましたが、なんとか一本のお話として形になったのではないかなあと思います。


 次回作の構想もありますので、ご興味がおありでしたら是非作者をフォローしてお待ちいただければと思います。


 改めて、長きに渡りお付き合いいただきまことにありがとうございました!

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失恋中の後輩ギャルを慰めたら黒髪美人にイメチェンして誘惑してくるようになったんだが 藤井論理 @fuzylonely

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