第23話 コッペ
「はいリハーサル終了! お疲れさまでした!」
監督の
「じゃあみんな、今日の本番、頑張ろう!」
「お~!」「よっしゃ」「もう緊張してきたあ」「やべえ、俺たち優勝じゃね?」「もうちょっと練習していかない?」
みんなは緊張と期待の言葉を口々に言いあう。別段なにも感じない俺はいたたまれない気持ちになり、忍びの者のように気配を消すと教室を出た。
いつもより華やかで人通りの多い廊下を歩く。
隣のクラスはお化け屋敷だ。青白い顔、口から血を垂らしたメイクをした男子が入り口で受付をしている。ちょうどカップルらしき男女が入っていくところだった。
黄色い悲鳴が聞こえてきたと思ったら、お化け屋敷ではなくさらに隣の教室からだった。ちらっと中を覗くと、大がかりな装置に客が乗りこみ、教室の中をぐるぐると回っていた。遊園地でよく見るコーヒーカップというやつだ。組んだ鉄パイプの上に板材で作った座席がとりつけてある。動力は人力だが、なかなかどうして滑らかに回っていた。
どこからかソースの匂いや甘い匂いも漂ってくる。
学校はすっかり祭り仕様だ。もともとなじんでいるとは言いがたいのに、ますます俺の居場所ではなくなったような気がしてくる。
最近それを忘れていられたのは夕愛のおかげだ。
「……」
俺の足は自然と一年の教室があるフロアに向かっていた。模擬店にお邪魔するわけじゃない。ちょっと顔だけでも見に行こうと思っただけだ。
――たしか一年D組、だったよな……?
通りすぎるふりをしながら教室の中を覗く。ぱっと見、夕愛の姿はない。目についたのは混雑した室内と、ばっきばきのマッチョのメイドさん(男)だった。よく日焼けしており、腕はお歳暮のハムのように太く、胸板はまるでゴリラのように張りだしている。
なりたいキャラになる。それがコスプレだ。どんなに似合っていなくても本人が満足ならそれでいい。しかし給仕にあの肉体は威圧感が強すぎる。握力でグラスを粉砕しそうだ。子供の客は逆に喜んでいるようだが。
俺はそのままD組の教室を通りすぎた。
――今年もひとりで暇つぶしするか……。
特別教室棟へ向かう。
と、廊下の向こうから看板を肩に担いだメイドが歩いてきた。
夕愛だ。腰を絞るようなエプロンのおかげで彼女のスタイルのよさが余計に際立っている。フレアスカートは膝丈で、そこから白いタイツに包まれたまっすぐな足が伸びている。特別に露出が多いわけではないのに、そこはかとないエロスを感じるのはなぜだろう。これがメイド服の力なのだろうか。
「え~、コッペパン、コッペパンいかがっすかー」
夕愛はメイド服の魔力を台なしにするようなセリフで客引きをしている。
「お兄さん、コッペパン好きそうですね」
どんな絡み方だ。お兄さんも困ってるじゃないか。
「ま、まあ、嫌いじゃないけど」
「でも『コッペ』ってなんなんでしょうね?」
「え、いや、知らない……」
「コッペって……、ふふっ、よく考えたらなんか面白いですよね」
「そう、かな」
「一年D組でやってるんでよろしくお願いしまーす」
と、ビラを渡す。
――客引き下手くそか……!
こういうのは上手そうなのに、なんかちょっと意外だ。
夕愛の目が俺に留まる。その瞬間ぱっと顔が明るくなり、小走りで近づいてきた。
「コッペにする? それともわたし?」
「新妻かなにかか」
あとナチュラルにコッペパンをコッペと略すな。気に入ったのか。
「新妻なんてそんな……、まだ籍入れてないし」
「まだってなんだよ。怖ーよ」
「だよね、誠汰くんまだ十七歳だし。じゃ、事実婚にしとく?」
「夕飯の献立を決めるぐらいのテンションで重いこと言うな……!」
文化祭で興奮状態の夕愛はいつにも増して積極的だ。気圧されながらも俺は、ようやく息継ぎができたような安堵感を覚えていた。
「っていうか食べに来てよ。おすすめは小豆と生クリームとカスタードをはさんだ『胸焼けコッペ』」
「ネーミングどうにかならんか」
「ウインナーとレタスをはさんだ、タンパク質と食物繊維と炭水化物を一気に摂れる『ずぼらさん向けコッペ』もおすすめ」
「ホットドッグに謝れ」
「そろそろ行くね。わたしまだお客さん呼びこまないといけないから。うちでお金落としていってね」
「言い方」
「じゃ」
夕愛は手を振って去っていった。と、そのそばから道行く一般客に声をかける。
「お姉さん! わたしとコッペしない?」
あの客引きで店が盛況なのが解せない。それともまさかあのゴリマッチョメイドが話題にでもなっているのか?
夕愛は手当たり次第に声かけをしている。バイタリティの塊だ。文化祭を満喫している彼女を見ていると元気を分けてもらえる。しかし同時に、どこか寂しさのようなものも感じてしまっていた。
余計に寂しくなりそうでひとりコッペをする気にはなれず、しかし夕愛の手前なにかしらの貢献はしたいと思い、スマホのチャットアプリで真壁にメッセージを送った。
『一年D組に巨乳メイドがいる』
嘘は言っていない。あれだけ大きな大胸筋だ。巨乳と呼んでもまちがいではないだろう。
返信はすぐに来た。
『俺はべつに興味ないがそういった馬鹿馬鹿しい行動ができるのも高校生の特権と思ってお前の話に乗ってやる』
――めんどくさ……!
しかし客引きには成功したようだからよしとしよう。
さて、どこかひとりで落ち着けるところにでも行こうと思ったとき、真壁からメッセージがもうひとつ送られてきた。また言い訳かと閉口してアプリを開く。
『そういえば日吉さんがお前のことを探してたぞ』
――日吉さんが?
今回の演劇で監督をやっている女子だ。その彼女がいったい俺になんの用事だろう。ライティングのタイミングでも変わったのだろうか。
真壁にはとりあえずうんこのスタンプを送っておき、俺は二年B組の教室へ向かった。
「あ、出間くん!」
窓際の席に座り、難しい顔で脚本をにらんでいた日吉さんが弾かれたように立ちあがった。
小柄な体格、前髪を切りそろえたショートカットに黒縁の眼鏡。なんとなくサブカルっぽい雰囲気を漂わせている。恐らくだがヴィレッジ○ァンガードが好きに違いない。彼女を囲むようにして立っていた数人の演者や裏方もこちらを見る。
「ちょっとお願いがあるんだけど」
「なに?」
日吉さんはぱんと手を合わせ、とんでもないことを言いだした。
「劇に出てくれない?」
なんですと?
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