第37話 姐さんみたいな

 疑問や不安はすっかり消え、晴れやかな気分で迎えるはずだった月曜日。空は俺の気持ちを反映したみたいにどんよりとしていた。


「家に着くまで降らなさそうですね」


 一緒に下校していた夕愛が言った。


「やっぱりわたしの日頃の行いがいいからですかね」

「……」

「そこで無言だとめちゃくちゃつらいんですけどー」

「え? ごめん、ぼうっとしてた。なに?」

「一回スベったやつ、もう一回言うのもつらいんですけど……」


 夕愛は気をとりなおすようにせき払いした。


「だからあ、天気がもちそうなのはわたしの日頃の行いがいいから、って」

「あ、ああ。そうだな。ありがとう、助かる」

「肯定されてもつらいんですけど……!」


 と、頬を赤らめた。


『ミイラ取りがミイラになる』じゃないが、夕愛の挙動不審を心配する俺まで挙動不審になってしまっている。


 いつもどおりの楽しい帰り道にしようと、お互いなんとか取りつくろっているような居心地の悪さ。今ごろになって夕愛にこんな感情を持つことになるなんて。


「……」

「……」


 何度目かの気まずい沈黙。


「え、ええと……」


 間を埋めなければと必死に話題を探していたとき、俺のすぐ横を妙に低速の車が追い越し、少し先で停車した。


 夕愛が立ち止まる。


「おか……!」

「丘?」

「じゃなくてえ!」


 夕愛は手を盆踊りみたいにばたばたさせて慌てふためいている。


「誠汰くん、あっち!」


 と、いま来た道を指さす。


「あっちに走れば!」

「な、なんでだよ!」

「いいからとにかく走って!」

「え、嫌だよ、疲れるし……」

「このもやしっ子!」


「夕愛っ!!」


 その声は前方から聞こえてきた。そちらを見ると、先ほど停まった車のかたわらにベージュのスーツを着た女性が立っていた。


 まるでモデルのような凛とした立ち姿。最近よく顔を見かけたり名前を聞いたりする女性。


 宮澤杏樹。夕愛のお母さんだった。


「あ~……」


 夕愛は天を仰ぎ、うめき声をあげた。俺を追い払おうとしたのは母親と会わせたくなかったかららしい。


「なにやっての夕愛! 乗ってきな! 雨降るよ!」


 天気が傾きそうなのを見て娘を迎えにきたらしい。


 ――ってか声でけえ……!


 見た目といい声といい、『元アイドルで今はお母さん』というより『あねさん』と形容したほうがしっくりくる。


「君も!」


 と、俺を手招きする。


 娘の隣を歩いていただけの素性も分からない男を、なにも聞かずに車に乗せてやるだなんて気っ風がよすぎる。見た目だけではなく言動も姐さんという感じだ。経営者として成功したのもこの思いきりのよさのおかげなのかもしれない。


「いいのかな」


 夕愛の顔を窺う。


「誠汰くんが迷惑じゃなければ乗ってほしいんだけど……。駄目?」

「いや迷惑だなんて。むしろ助かるけど」

「よかった」


 ほっと安堵の吐息を漏らした。


 夕愛のほうからお願いするのは立場が逆のような気がする。


 それに――。


 ――なんか、以前の夕愛っぽいというか……。


「ほら! ちゃっちゃと乗りなって!」


 夕愛のお母さんの声で俺の思考は中断した。


「行こ、誠汰くん」


 夕愛に促されて俺は自動車へ向かった。





 ――あ~、なんかいい匂いがする~……。


 一般的な車の中って、どちらかといえばエアコンのカビとかシートに染みこんだ汗や皮脂とかの嫌な匂いがするイメージだったが、この車の中はまるで森林のような清々しい香りがする。もしかしたら美人親子からマイナスイオンかなにかが出ているのかもしれない。


「で、君は夕愛のカレシ?」


 夕愛のお母さんがバックミラー越しに話しかけてくる。


「お母さん!」


 俺よりも早く、隣に座った夕愛が抗議の声をあげた。


「出間誠汰くん。いろいろよくしてもらってる先輩」

「ふうん。わたしはいいと思うけどね、優しそうだし。付きあっちゃえば?」

「お母さん……!」


 ――優しそう……。


 胸がじんとする。こんなにきれいなひとに褒められるのは格別だ。


「君はどう? 夕愛、可愛いでしょ?」

「え!? はい、まあ……」


 ちらと横目で見ると、夕愛が顔を赤くしてうつむいていた。


「ほら! 可愛いって!」

「聞こえたってば……」

「夕愛だって嫌いじゃないから一緒に帰ってたんでしょ?」

「……」

「大丈夫。夕愛が認めた男の子ならまちがいないって。わたしと違って見る目があるんだから」


 と、笑う。


 ――……。


 竹を割ったような性格というのだろうか。押しは強いがからっとしていてすごくいいひとだと思う。


 思うんだけど……。


「あの――」


 俺は違和感の正体を探るために、夕愛のお母さんに尋ねることにした。

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