蹄跡の44

 冬のダートの大一番も終わって南関東競馬は穏やかな空気に包まれていた。しばらく大きなレースは無い。だが、そこはかとない期待感があった。


「コルドバがフェブラリーステークス挑戦や!」


 大井の最強馬、コルドバ。6歳になった今年、満を持して中央のGⅠ、フェブラリーステークスに出走する噂でもちきりだった。小野厩舎でも、話題になっている。


「一度しか見たことないけど、確かにマイルでも通用しそうな体してましたもんね」


「アレな、フェブラリーステークス用に体を大きくしてたらしいぞ」


 小野厩舎の調教助手、高野さん。大井競馬の情報通だ。


「やっぱり!2000が主戦場でしたもんね!でも、左回り大丈夫でしょうか?」


 右回りの大井競馬場とは違い、東京・府中競馬場は左回りだ。直線は長いが、長い坂もある。


「大丈夫だと思う!コルドバって、東京競馬場でデビューしたから!」


 絵美里が言う。東京競馬場で10月にデビューし、3戦して3着、2着、4着。勝ち切れないことから南関移籍に踏み込んだという経歴を持つ。


「中央で新馬3着かあ!」


 中央で勝ち負けしていたほどの素質馬なら、今の活躍も頷ける。事実、彼は大井に来てから3連勝で羽田盃、南関クラシック競走を取ってジャパンダートダービー制覇まで負けなかったのだ。


「すごいですねえ、すごいですねえ!」


「なんでカンナちゃんが興奮してるの…?」


「自分ごとのように語るよなあ」


 高野も絵美里も笑っていた。金沢出身のカンナが、南関馬の中央挑戦を我がことのように喜んでいる。




「え、吉田さんが乗るが!?」


 後日、地方競馬サイトで公表された鞍上を見て、カンナは驚いた。「未定」となっていた鞍上が、吉田寛太になっていた。


「うわ、すごいすごい!」


「何がすごいんや?」


「わあ!」


 そのご本人が登場した。カンナのテンションはマックスである。


「あ、あの、吉田さん!今回はおめでとうございます!」


「いや、何がや…?」


「だって、フェブラリーステークス!」


「ああ、コルドバな」


 吉田は得意げに鼻を鳴らした。だが、それだけでは済まないという事情を、カンナに語り始めた。


「お前、千葉県で地震あったことは覚えとるな?」


「あ、ありましたね」


 千葉県沖地震。今年の1月早々に千葉県沖10キロで起こった、震度6弱の大地震である。


「幸い、津波の被害は少なかったようやが、船もちょっとは流されたしな…それに、家屋損壊、液状化…まあ色々あったわ」


「そうでしたね…」


 現在、南関競馬は「フィット千葉」プロジェクトとして、馬主を中心に賞金を寄付している最中だ。


「俺はな、今は南関の騎手や。なら、南関競馬のために働いてやりたい。俺は、コルドバで勝利を狙いに行くで。東京大賞典をスキップしたのも、フェブラリーステークスのためやからな」


「おお…!」


 思った以上に、吉田はやる気だ。それを聞いて、カンナも俄然、やる気があふれてきた。


「応援してます!勝ってくださいね!」


「おうよ。そんで、次はドバイや!」


「ドバイ!?」


 ドバイと言えば、ドバイワールドカップだろう。フェブラリーステークス優勝馬や2着馬は招待される確率が高い。


「そうや。ヴィクトワールピサのドバイワールドカップはすごかった。ああいう勝利を、俺も南関の人々に届けたい」


「おお…!」


 誰もが知る東日本大震災の直後、ドバイで国際GⅠ制覇を成し遂げた名馬の名前を挙げて、自分もコルドバとその高みに上りたいと言う吉田を、カンナはもう神でも崇めるかのように仰ぎ見る。


「いや、笑わんのかいっ!」


 その視線に耐え切れなくなって、吉田は自らツッコんだ。


「なんでですか?すごい夢…いえ、目標じゃないですか!応援します!3月末が今から楽しみです!金沢から応援してます!」


「フェブラリー勝つんはもう決まりかいな…」


 呆れて、逆に面白くなってくる吉田である。ここまで、人の夢にあこがれを持つ奴はそうそういないだろう―――


「GⅠ勝って、ドバイも勝って…その後はアメリカでも行くかあ?」


「アメリカ!どっひゃあ!」


 もう、想像以上の異次元の領域である。しかし、それは一足早く、近日中に発表される話になるのであった。

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