蹄跡の4

 延師は2週間後を目処にと言ったが、アキノドカの成長はそう順調なものではなかった。馬体重も増えず、むしろ減り、調教タイムも伸びない。


「従順なのは良いけどな~」


 勝負根性に欠ける、つまり気合いが足りないため、成長度合いも足りないのだと。1か月以上、面倒を見ているので、そろそろ色んな良さも悪さも見えてくる。

 アキノドカの良さと言えば、気性の良さだ。母ハルウララの飽きっぽさやわがままさがスポイルされ、優しい性格に父ダンスインザダークの穏やかさも加わって、とても温和な性格をしている。馬によっては人が後ろに立とうものなら蹴り上げるのもいるが、彼女は人が後ろにいることを悟れば、振り向いて甘えに行く。他の生き物が大好きなのだ。


「他と仲良くて困るのも、本当におかしな話ね」


 対戦相手の人や馬までもが好きすぎて、積極的に絡んで行く。稽古相手でも何でも、とにかく大好きなのが嫌がられ、蹴られかけたことも一度や二度ではない。併走相手を苛立たせて、騎手や調教師に木芽が詫びを入れるのはしょっちゅう。


「でもでも!そこがかわいいっし!」


 まあねえ~?と3人で頷く。人懐こいことは間違いなく、危害を加えるタイプでもないアキノドカ。しつこくさえ無ければ、何者からも好かれる存在だ。そんな彼女を、世に出してやりたいのは厩舎の皆の共通認識である。


「矯正馬具付けてみるかね~」


 延師は馬の視界を遮ることで、レースに集中しやすくする馬具の装着を考える。ブリンカー、メンコ、シャドーロール。他にもあるが、この3つが基本線だ。普通は1つ、多くて2種類を着けるだけだが。


「全部でしょ!」


「全部着ける~?」


 延師がアキノドカの顔をまじまじ見つめ、考え出した。木芽がカンナに尋ねる。


「全部って、それは逆に馬が怖がるわよ?」


 矯正馬具というのは基本的に視界を奪う道具。人間でも、目隠しをされて走れるのは余程、訓練を積んだ者に限られるだろう。況や馬は?


「あの子は前だけ見えればそれで良いと思うんです」


 馬も人も好きなのだから、前を走る人馬がいれば。それを追いかけられることに全力を注げられる。彼女にとって、横や後ろの視界などあるだけ邪魔なのだ。


「なるほどなあ~」


 師も納得した。とにかく着けてみようとなり、翌日の調教を待った。




 その翌朝の調教。相手はナガイトラノスケ。延厩舎のお隣、本多厩舎でクラスはB2級に属する5歳馬だ。金沢競馬場では古馬は重賞にも顔を出すA級、一段下のB級、最下層を構成する組があるC級と続く。ABC級とも、それぞれ1級2級に分かれている。A級はおろか、B1級でもない馬だが、5歳まできちんと走って生き残ってきた馬だ。


「あの、延厩舎の甘ったれですかあ…」


 調教で騎乗する本多厩舎の厩務員、遠藤はげんなりした顔で確認している。アキノドカは併走中であろうが何だろうが、動いている馬同士でも平気で肉体的接触に来ると周知されている。危険な馬だが、本多師はお隣同士のよしみで今回の併せ調教を受け入れた。


「まあまあ、木芽さんも今度から対策を考えて実行するって言ってるからな?」


「どんな対策なんですかねえ…?」


 あのダダ甘っ子に何をしてどうにかなるのか、興味はあるのだが…。


「おお…」


 頭部がガチガチにカバーされたアキノドカが競馬場の調教コースに足を踏み入れる。遠藤厩務員は延厩舎の思い切った対策に、思わず驚きの声を漏らした。


「これなら、ちょっとは安心け?」


 延厩舎から責任者として出て来た木芽が苦笑いしている。あまり矯正馬具ばかり着けると、頭が重くてバランスを崩しかねない。全部着けで走らせるのは今日が初めてだ。


「じゃあ、やりますか」


 胸を借りる立場のアキノドカが6馬身ほど先から走りはじめ、ナガイトラノスケはそれを追いかける。力差から難なく追いつき、追い越した辺りでアキノドカに変化が見られた。


「うわわ!」


 いつもはプランプランの手綱。良く言えばリラックスして走る彼女の手応えが格段に良くなる。前へ前へ、と前進気勢が強くなる。


「ノドカ!行くよ?追っちゃうからね!?」


 カンナは馬が変わったように励み出した愛馬に興奮し、前進を助けようと追い出しのアクションを大きくした。追い抜かれて開きかけた差がむしろ詰まる。何かプレッシャーを感じた遠藤は後ろを振り返る。


「はぁ!?」


 真っ直ぐに遠藤を見据えて走って来るアキノドカ。各種馬具が隠しているため目元は見えないが、視線が集まっているのを感じてしまう。今まで彼女から感じなかった、気迫的なものも感じる。

 1000m併走している間に、2馬身が1馬身、1/2馬身と詰まる。ゴール板に至った時、最後にはクビ差まで迫っていた。

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