蹄跡の56
左を向けば多くの観衆に、前を向けばたくさんの馬の後ろ姿。重賞の日の競馬場は人も馬も大好きなアキノドカにとってまさに天国だ。
「ヒヒンヒヒン♪」
ご機嫌にソラを使いまくって、わき見し放題に走っている。最後方にいるくせにソラを使って走るなんて、何と言うかなんて奴だ…
「ノドカ、前!前!」
カンナが必死に促すが、どこ吹く風と言わんばかりに悠々とソラを使っている。やがて、不意にハミを自分から受ける瞬間が訪れた。
「えっ…!?」
カンナは意外に思いながらも、これは馬が乗り手の意思に従うという意思表示みたいなものだ。そのチャンスを見逃すほど不案内でもなかった。
「良く分かんないけど、まくって行くよ!?」
アキノドカが走る気になった原因は良く分からないが、どうせ気に入った馬を見つけたとかそういうことだろう。いつもの事なので、カンナは見事に対応して馬を外に出し、上がって行く。馬群の中ほどに取り付いた時に気づいた。
「ノドカ、やっぱりお目当てはテッサロニキオーブ…?」
7番テッサロニキオーブは鞍上のゴーサインを待っている状況だった。そんな時に、外から何やら脚色の良いアキノドカがやって来た。
「なっ!?」
郡快斗も思わず追い出し始めた。1番人気がアクションを見せ始めたため、中団以前の馬たちも追い出され始めた。一気にペースが上がって行く。
≪大外を回してアキノドカ!上がって来ますが、内の各馬も盛んに手が動いている!≫
「後ろが騒がしい…」
1番ドクトリアーナの葉月水無が後ろを見ると、テッサロニキオーブが内を突こうと上がって来ていた。彼女の制御力ではコーナリングで馬が膨らむと見たのだろう。
「そう上手くは行かないわよ…!」
むしろ、水無はスパイラルカーブである名古屋競馬場の第4コーナーを活かしてぴったりと張り付き、内に隙間を与えない。それはそれで土が深く、脚が取られる不利もあるのだが…
「やるな、小娘ぇ!」
内が開かないなら外だとばかりに郡は被せてくる馬がいない内に外に進路を取っていた。その後ろから、大挙して馬群が押し寄せてくる。
「くそっ!」
園部騎乗の4番マデリンはペースについていけなかったらしく、馬群の中でもがいている。その内、2番ポルトフランスが少し外にヨレたドクトリアーナの内を掬って伸びてくる。
≪1番ドクトリアーナを巡ってテッサロニキオーブが強襲!ポルトフランスも脚色が良い!しかし、おおっと!≫
実況の目に、大外から伸びてきたアキノドカが再度、姿を現した。
≪外からアキノドカ!先頭ではドクトリアーナが粘っている!テッサロニキオーブ、郡快斗が必死に追います!ポルトフランスは届かないか!?≫
東海地区外の3頭が鼻を並べたところがゴールだった。
「おつかれさんやで~」
「あー!」
まだ審議中で結果が出ていない中、出迎えた延師の前でカンナは頭を抱えた。
「な、なんや?どうした?」
延師からすればまだ結果は出ていないのだから神妙に待っていれば良いと思ったのだが、カンナは感じ取っていたらしい。
「先生、2着です…」
「なんやと?」
「はっきりと分かります。多分、逃げ馬は差せたはずだけど、テッサロニキオーブまでは届いてません…!」
「ほーか~それが分かるようになっただけでも、成長やなあ~」
アキノドカと戦って来て、2着には入れたか否かを感じ取る力が増したと、カンナは自負している。その彼女のカンが告げていた。今回も2着だと。
「おっ、出たなあ~ああ~」
「やっぱり…」
1着7番、2着12番、3着1番と、着順掲示板にしっかりと映し出されていた。カンナはその辺の壁に突っ伏して頭を抱えた。
「いい加減に勝ちたいよお…!」
「まあ~賞金を咥えてくるだけマシやけどなあ~」
鬱々としたカンナに比べて、良い勝負をしたとばかりにアキノドカはご機嫌に滞在馬房に引き上げて行った。
「まあ~勝負根性が無いわけやないんやけど、そもそも闘争心に欠けるんかも知れんなあ~」
レース中のペース配分も含め、その辺りのことは騎手の仕事の内だが、まだまだ新人のカンナには荷が重いところなのだろうと、師は思っている。
「いつまでも足踏みしとると、どうなるか分からへんな~」
重賞は2着続きとはいえ、ハナ差である。騎手が変われば、とオーナーが考えてもおかしくはない頃合いかも知れない。
「まあ~暮内さんはそういうタイプでもないけどなあ~」
ハルウララの娘たちにスポットライトが当たるのを良しとしていなかったハルウララの関係者たちだが、事態はどう変わっていくか分からない。弟子をどう守ってやるか、師は真剣に考え始めていた。
君と走った日々~春の三姉妹の物語~ 司書係 @lt056083
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