蹄跡の10

 ロクロウマルが内枠の利を生かして逃げる。特に競りかけてくる馬はいないと思われたところ、外目から鹿毛の馬体が被さって来た。


《5番アキノドカ、逃げたロクロウマルに絡んで行きましたね。どうですか解説の尾山さん?》


《ええ、アキノドカはねえ…癖馬ですよお?》


《癖馬ですか?》


《ええ、癖馬です。能力検査の映像を見たんですがね、あの前田厩舎サンアンドレアスに6馬身差とは言えそれなりのタイムで走るんです。けどね、調教を見てると凡馬です》


《凡馬?》


《相手なりにしか走らないんでしょうねえ。ロクロウマルもアキノドカの1週間前の能検で同じ水準のタイムが出てました。だから付いて行くのは出来るんでしょうが、そこからの決め手があるのかと言うと…?》


 1馬身差でぴったりマーク。ロクロウマルにはさぞプレッシャーがあることだろうが、その1馬身差がそのまま着差になるのがアキノドカである。


「これ以上前には行かんがやよなあ…」


 前に気をやって促そうが腹を絞めようが動かない。結局は2番手でやるしかないのだが。そういった中でも、前の馬は勝手にプレッシャーを感じてくれたのか、少し早いペースでレースは推移している。1400mのレースももう半ばの600mを過ぎ、各馬追い上げようと機を窺っている。


「ノドカぁ、もうちょっこし前に行こさぁ」


 ツンツンと横っ腹を蹴ってみるが特に反応はない。良く言えばマイペースに走れているし、悪く言えば鈍重で操作性に欠けるとも取れる。そこに、3番手の馬が絡んで来る。さらに2頭、その後ろから迫っている。


「来たげん!ホラ、ノドカ!」


 1つだけ、カンナには師からこれだけは守るように言われていることがあった。


「後ろから来た馬で一番勢いのある馬…」


 レース経験の浅いカンナには難しいことだが、前にいる利を活かして脚色の良い馬を見極めてそれとの併せ馬に持ち込む。それが師の見出した、現時点で唯一の勝ち筋だった。


≪やはり脚色は後ろから。6番カガハヤテ!≫


 大外から1頭迫ってくる。早いペースを利して中団待機から上がってきたのだ。


「ほらっ、ほら!」


 鞍上・カンナがアクションを大きくして促すも、アキノドカはポジションを上げようとはしない。あくまでも前を走るロクロウマルを見ている。そこを、外からカガハヤテが抜き去って…


「うわっ!?」


≪アキノドカ、なおも食い下がる!ロクロウマルを見切ってカガハヤテを追いかけ始めた!≫


 自分から併せ馬に近かった相手を切り替え、カガハヤテの後を追いかけ始めたアキノドカ。いきなり動いたため、カンナもどうにか振り落とされないでいるのが精一杯だ。しかし、レースは後、150mしかない。


≪差し切った!6番カガハヤテ差し切って今1着でゴール板を通過!5番アキノドカ、最後さらに伸びましたが…半馬身差2着となっています≫




「負けたぁ~!」


「頑張ったんだけどなあ~。オーナー、申し訳ありません~」


「いやいや、母のことを考えれば大健闘じゃないか。聞いていたより随分と頼りがいのある走りだった。次も頼むよ、霜月さん」


「は、はい!」


 暮内オーナーを一応は満足させたので、次を約束された。彼女のような駆け出しの騎手にはこの一声こそ何よりも価値がある。


「しかしね、調教師せんせい。あれだけ矯正器具を付けてそんなに周りの馬が気になりますか?」


 延師も唸っている。いつも頭を悩まされているところだ。


「それがわからないんです~。なんせ、動くものならラジコンでも付いて行っちゃう馬ですから~」


 アキノドカは人や馬以外にも、動くものなら車でも好きだ。馬運車に入れられることを嫌う馬は多いが、彼女は車であることを理解するとむしろ活き活きと収まる。ラジコンを目の前で走らせたら走って追いかけようとして柵に頭をぶつけたこともある。


「何があの子を惹きつけるのか…わからないんですよお~」


「何と言うか…大変そうですね…」


「いやまあ、かわいいんですけどねえ~」


 手間のかかる子ほどかわいい、というのはある。それに加えて人懐こさ、明るく愛嬌を振りまく性質は周りも明るくする。


「大変さは今日のレースを見てわかりました。今後とも、よろしくお願いします、調教師せんせい、霜月さん」


 ひとまず、信用を得たので今日の新馬戦は成功と言えた。

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