蹄跡の47
川崎記念が終わった南関東競馬に「南関馬コルドバ、中央GⅠを20年ぶりに制する!」との一大ニュースが流された。いや、南関だけではない。吉田とコルドバの力走は地方競馬全てを活気づけた。
「負けてはいられないわ、ね?サヤカ」
葉月水無は西脇トレーニングセンターでナツサヤカの調教に精を出していた。彼女は今、4歳馬として古馬B2級に属している。勝ったり負けたりを繰り返し、ここまで来たのだ。
「元々、サヤカは晩成型やからな。これから良くなるんや。焦るなよ、水無」
「分かっています、先生。体ができてくれば…この子だって、妹に負けないくらい、重賞戦線で活躍できるはずなんですから…」
そう、ナツサヤカは4歳馬になっても線が細い馬だった。本格化は秋以降…そう考えられて、3歳時も5戦しか使われなかった。通算で7戦4勝。4着1回に着外2回なら、そう悪い成績ではない。
「カイバ食いが悪うて、姫路はスキップしてもうたけどな。園田開催に向けて良ーなっとる。夏まで稽古して、秋からが本番やぞ、水無!」
「はい、先生」
この子は良い調教師に恵まれた。私もだと思う。なるべく数を重ねて欲しいというオーナーの意見に反対して、ナツサヤカを連勝街道に乗せようとしている。水無だって、2度の大敗にもかかわらず、降ろされることは無い。
「サヤカ、先生のために頑張りましょう」
水無はナツサヤカの首を撫でる。汗をかいてしっとりとしている。彼らの師は雑賀孫八調教師。50がらみの中堅で、馬をじっくり育てて大成させることで有名な人だった。
「雑賀先生は私たち下の者のわがままも、理があれば聞いてくれる。本当に得難い人が拾ってくれたものね」
葉月水無もまた、大したバックが無いため、扱いが宙に浮いていた新人だった。本人は地元の園田・姫路の兵庫県競馬を希望していたが、引き取り手が無く佐賀にでも行くしかない、と言われていた。そこに手を挙げたのが雑賀師であった。
「兵庫にはまだ、女の子のジョッキーがおらんやないですか!これからは多様性!馬の扱いに男女差は関係ないですよ!」
そう言って引き受けてくれたことを知って、とても嬉しかった。女性だから、やはりダメか…と崩れかけていた心が立ち直るようだった。初年度の活躍から南関へ行かせてくれたのも雑賀師だ。
「一度、お前は厳しいところで揉まれてこい!」
そう言って1月から3月までの2か月ちょっとを船橋で過ごした。兵庫では触れもしない馬質の馬に、次から次へと乗せられた。
「雑賀さんの言う通りだ。真面目な子だね!筋も良いじゃないか」
引き受けてくれた千葉調教師がそう言ってくれたのが、師の期待に応えられた気がしてとても誇らしかった。
「私たちも、世界を目指しましょうか?」
水無はナツサヤカにシャワーを浴びせながら言う。そんなのは夢物語だが、来年の今頃は日本の地方競馬・牝馬一決定戦シリーズのグランダム・ジャパンに向けて出走していたいものだ。
「妹さんも、出てくるかも知れないわ」
金沢のアキノドカ。大井の2歳牝馬・地方一決定戦の東京2歳優駿牝馬で2着まで来た馬なのだ。その鞍上も、水無は警戒する。
「あの子、今はまだあんな弱弱しい感じだったけど、あなたと同じ。晩成型よ。きっと、上がって来る」
奇しくも、その霜月神無も自分と同じく南関遠征中だ。やはり自分と同じく、良い師に恵まれたのだろう。
「それもまた、運命なのよ…サヤカ、秋まで我慢の時よ。妹たちはきっと、夏でも活躍してると思う。けど、貴女には貴女のペースというものがあるの」
「ヒヒーン♪」
シャワーが気持ちいいのか、ナツサヤカはご機嫌だった。アキノドカも大概、人に馴れた性格らしいが、このナツサヤカも人馴れという面では負けていない。
「もう一つ下の妹は、どうなのかしら?」
門別の師走弥生から、アキノドカにさらに妹がいて、その子の主戦を弥生が務めると、水無は本人からメッセージアプリで聞いていた。しかも、調教が順調なため、「日本で一番最初に行われる新馬戦」スーパースレッシュ戦に出走する予定だというのだ。
「焦っちゃダメよ、焦っちゃ…」
水無は自分に言い聞かせるように、ナツサヤカに言い聞かせた。
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