蹄跡の9

 金沢競馬場では新馬戦を真昼の第3レースから昼終わりの第4レースに行う。今日は第3レース。祝日の前日だが昼休憩などがあるので注目される時間帯だ。一見して目ぼしい馬はいない一戦だったが、インターネット、SNSにてある噂が立っていた。


『ハルウララの仔が金沢に!園田の姉に続いて勝利なるか!?』


『ハルウララまじ?え、勝ってるの?』


『妹も金沢とは言えダービー馬候補に良い勝負したらしい』


『楽しみ』


 園田にいる姉、ナツサヤカは2歳時こそ未勝利に終わったものの、3歳夏になってC級を連勝した実績を持つ。つい先日の話だ。14戦を経て勝ち無しの後に得た勝ち星は、母からすれば127回の敗北の向こうに得た血の証明だった。


「お姉ちゃんはC級を勝った。ノドカならここを大楽勝だ!」


 パドックでそう意気込む5号馬人馬の姿を見守る観客の中に、複雑そうな眼差しをした若い女性がいた。


「あれがサヤカの妹…」


 ナツサヤカの関係者らしい。園田競馬場のマークが付いたキャップを目深く被り、しかし眼光鋭い。彼女は葉月水無みな。4年前に園田でデビューした騎手だ。


「小さいのね…」


 比較対象のナツサヤカは現在で430キロと小さめだが母を思えば馬格に恵まれた。父エーシントップは540キロの馬なので、かなり小さく出たものだが。


「サヤカは血を示した。あなたたちはどうなの?」


 静かな問いは、秋の訪れを告げる風に消えていった。




 あっちを向いてもこっちを向いても人がいて馬がいる。アキノドカにとって開催日の競馬場はパラダイスだ。スタンドで歓声を送る観客に愛想を振りまき、周りで返し馬を続ける馬を見つければ付いていく。


「返し馬どころじゃない…」


 予期していたものの、どうにもならなさにカンナが嘆く。矯正具は付けられるだけ装備したが、視線を向ければ馬がいるので仕方ない。あっちに行きこっちに行きを繰り返し、退避所に収められた。


「ハルウララの仔、かわいいのは良いんだがなあ…」


 金沢競馬場に詰めかけたファンから心配の声が漏れる。日曜に馬柱が確定してから母が明らかになり注目されていた。ついに金沢にもアイドルホースの登場か、と沸き立ったのだが…


「いや、愛想良いに越したこたぁねえけどよ。あんな騎手が振り回されてたらなあ…」


 レースになるかならないかはやはり、気になる。馬券としてお金を託すのだから尚更だ。


「アキノドカねぇ…こりゃヒモだな。だが、かったい堅すぎるヒモや」


 馬券におけるヒモ、つまり2頭以上の的中を狙う方式で1着馬の相手に相応しいと判断した予想屋がいた。


「1着に来る馬が解りやすいなら、その馬単はプレゼントやないかい」


 延師と同じ見解を示す。彼は金沢競馬場で来場者相手に自身の馬券予想の情報を売って生活する予想師だ。競馬場内で商売が許された、半公認なのだ。


「しかしよお、長さん。あの甘えん坊がそんなやるかね?」


「やる。見てみい、あの執念強そうな目を!食らいついたら放さないって奴や!」


「確かに」


 アキノドカには、退避所では並んで周回する前の馬しか見えていない。集中力という意味では、視界を限定した効果は出ている。


「あれ?」


 しかし、鞍上のカンナはアキノドカの視線が直前じゃない、別の馬に行っているのを感じた。


「えっと、2番の栗毛は…ロクロウマル」


 父はアフリート産駒のバンブーエール。地方競馬にも多く産駒を送り出している。ロクロウマル自体は能力検査で、アキノドカと同じ水準のタイムだったような。


「1400と900じゃ、換算が良くわからんし」


 アキノドカの能力検査は1400mに変わった一発目だった。サンアンドレアスの前田師も狙ったところだ。ならば、それ以前はどうだったかと言うと、900mだった。能力検査は新馬戦の施行距離に合わせるため、距離が前後する。


「見てるなあ」


 もはや、他の馬には脇目も降らず、ロクロウマルをのみ視界に捉えたアキノドカ。彼女なりに何か秘めたるところがあるのだろうか?


「わかんないなあ。こういう時、日本語で教えてくれたらな!」


 最近はスマートフォンアプリで猫の鳴き声を翻訳するものがある。カンナも厩舎で飼う手塩に使ったが、興味深い意見を持っている猫だと知れた。


「まあ、とにかく。馬用は無いけど」


 マイペースな割にはその気性面から他馬のペースに左右されまくりのアキノドカ。デビュー戦が発走する。

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