蹄跡の7
「大人げなかったかなあ~」
「どうしたんですか、先生?」
アキノドカの首をぽんぽんと叩きながら、延師がごちる。彼なりにキツイことを言ったとは思っている。しかし、アキノドカの母、ハルウララのことを調べると、煽るだけ煽って後のことには無責任の態度を取ったマスコミに思うところができてしまったらしい。
「いやあね、生産者さんがマスコミお断りだろ~?記者さんを追い払うのが大変だろうってね~」
「個性派で鳴らせそうだものね。金沢に長らくいなかったアイドルホースも目指せるわ。かわいいもの」
木芽がアキノドカのハナを撫でると彼女も木芽に甘えていく。甘えられるなら猫にすら甘えてしまう馬だった。先週には厩舎に迷い込んだ野良猫にじゃれつき、危うく揉み潰してしまいかけたこともある。カンナに救出されたその猫は、今は適度な距離を保ちつつ厩舎で飼われている。
「アイドル騎手のカンナちゃん、アキノドカで1着獲りまくり!ですか?」
「お前は早く、もう1勝でも挙げろぉ~!」
霜月
「ノドカと走っとる限り、あまり勝ち星にはつながせんもんねえ…」
「うーん…」
性格的な問題で相手の力なりにしか走らないアキノドカ。2着3着の着狙いはできても、積極的にハナを取って勝ち切ることは絶望的だった。
「上手く相手を出し抜ければ、まあなあ~?」
「あう…」
カンナの技術や勝負勘では圧倒的に足りない分野である。つまり、カンナを鞍上に据える限りアキノドカは勝てないと宣言しているようなものだった。真正面から言われてしまえば、細かいことは気にしないカンナでも落ち込んでしまう。
「アナタ、あまり虐めんの。カンナ、この人もこの人なりで色々考えとるのよ?弟子はカンナが初めてなんやもの」
延信太調教師は今年42歳。父から厩舎を継いで10年、40歳にして初めてとった弟子がカンナであった。娘ほどに年の離れた弟子が可愛くて仕方ない彼は、木芽だけが相手の家庭ではいつもカンナや若手厩務員たちの話をしている。
「真面目に考えとるさかい、深刻な悩みなの」
弟子がかわいがっている馬で1勝を挙げさせたやりたい師の親心を、木芽は良く理解していた。
厩舎に帰って来た一行。猫が歩いている。
「ブルル…」
目ざとく見つけたアキノドカ、ハナを伸ばしていく。猫は恐る恐るといった風だがその場から動かない。彼は馬の手綱を引くカンナに対してなら信用があった。アキノドカの鼻先が猫の横っ腹を撫でる。
「にゃーん」
ビクッとなって距離を取り、そのまま逃げて行った。彼はこの間、アキノドカに潰されかけてカンナに救出され、そのまま厩舎で飼われている三毛猫。名前は
「手塩、ノドカ以外にはぐいぐい近づいて行くんですけどね…」
「猫は5キロ程度の体重だからなあ~その100倍近いノドカがじゃれ付いたら怖かっただろお~」
「他の馬に構ってくれるだけ有難いと思わないとね?」
心なしか寂し気なアキノドカを撫でるカンナが漏らすと、延師は種族間の体の大きさの違いを挙げる。避妊や検査で病院に連れて行ったりして公的な飼い主となった木芽は、しっかり役割を果たしている猫伯楽候補を評価している。彼が厩舎の馬たちにもたらす効果について、厩務員たちからの評判は上々なのだ。
「手塩が来てから、確かに成績は上がってるなあ~ありがてえ~」
去年の8月は2勝だったが、今年は5勝していた。出走のタイミングもあるが、去年は10走に対して今年は13走。手塩が来た週から急に3勝を上げたので、招き猫としては上々の滑り出しである。
「このことは秘密にせなね」
競馬は験を担ぐ世界だ。猫を飼う真似をされるより、上々の成績を嫉まれ、手塩に危害を加えられるのが怖い。
「元々、野良やから夜は室内飼いというのもなあ…」
管理調教師の奥さんとして実質的な運営を担う木芽。猫一匹とっても悩みは尽きないのであった。
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