蹄跡の16
とりあえず、カンナは自分が如何に美味しくないかをアピールすることにした。
「ホ、ホラ…見てください!この二の腕!何にも肉がついてません!」
「ウーム、ちゃんと食べさせとるのか、
「痩せやすいのは騎手として利点なんですけどねえ~」
割と真面目に心配してくれている。この路線で行こう、と決心したカンナだが、後ろの黒服たちが一言。
「ご先代、お時間が押しております」
「そうじゃの」
「ひええ~!?」
時間が無いと言う。商談相手に連れて行かれる時間ということだろう。このままでは騎手を続けられなくなる!
「ということでの、霜月騎手。大井に行ってくれ」
そう言って、和装の老人に頭を下げられた。黒服たちも次いで下げる。その様子を見た延師たちは固まっている。
「え、オオイ?県外ですか?どこの色街なんですかっ!?」
「色街?」
師匠が尋ねる。お前は何を言っているのかと。
「え、このおじいさんと黒服の人たちはヤクザの人なんじゃ…?」
「そんなワケあるかぁ~!」
延厩舎から、本日2度目の絶叫が響き渡った。
「では、このおじいさんは石川県の商工会議所連合会で会長をしていた方で、地方競馬の協議会でも専務理事をしていると…」
「何で知らねえんだあ~!?」
「カンナ、金沢競馬の有力者関係は一通りは教えたはずよ?」
調教師夫妻は教育が甘かった、とばかりに頭を抱えている。わかっているものとばかり思っていた、では済まされない。
「カンナ…すいません、先生…」
温井も机に突っ伏して、頭が重いとばかりに、毛の薄くなった額から机に付きそうになっている。先生、と言えたのは偏に木芽が怖いばかりにだ。
「じゃあ、オオイっていうのは」
「南関の大井競馬場に決まっとるじゃろ」
それを聞いたカンナは脱力して椅子にもたれ込んだ。
「何だぁ~」
「何だぁ、ってなあ~!お前は何を考えてるんだあ~!」
「だってえ…」
特に金沢の競馬サークルに縁があるわけでもないカンナ。管理調教師が否と言えば飛んでいく身の上だ。そんなカンナの心情を知ってか知らずか、元会長は再度、尋ねる。
「さて、霜月騎手。大井に行ってくれるかね?」
「え、行きますけど」
しばらく逡巡し、困ったように口を開いた。
「ノドカともお別れかあ。短かったなあ…」
「ほう、君は乗らんのかね?」
「だって、南関でしょ?」
南関4場に強い金沢の騎手と言えば、吉田がいるではないか。その不安を払拭する笑いが老人の口から噴き出した。
「わっはっは…そうか、吉田騎手がおるな。だが、今回彼は別の馬だ」
「え」
「ワシはな、というよりは全国協議会はな、君がアキノドカ号に乗ることを想定しておる」
「なんで?」
「何故か?何故かと言うとな?」
元会長はニヤリと口角を上げた。
「地方競馬は新たなヒロインを求めておるのだ」
去り際、元会長は犬養と名乗った。黒服たちを従えて帰って行ったのを確認した木芽が一言。
「あのジジイ!うちのカンナを何だと!」
「こ、木芽…」
おたおたと延師が宥めようとするが、鬼嫁は聞かない。
「今なら、暮内オーナーの気持ちが良くわかるわよ!かわいいカンナとノドカを御輿にしようって腹だわ!信じられない!」
望まぬアイドル化は不幸しか生まない。アキノドカの母、ハルウララでわかっていることだ。
「だいたい、馬主が承諾しないわ!いきなり南関なんて、馬鹿げてるもの!」
気炎を上げる木芽の脇で、電話が鳴った。
「はい、延厩舎です♪」
こんな時でも営業スマイルは忘れない。先ほどまでの怒り顔はどこへやら。
「あ、暮内様!はい、先生ですね?」
電話口から離れた途端、ブスッとした顔になる。
「暮内オーナーから電話」
「はい…」
普段は気立てが良いが、怒ったらひたすら怖い奥さんを前に、大人しく、神妙に電話に出る延師。
「晴さん、木芽さんって」
「頭に来るとな、口は回るし態度がもうな。それでいて他所様には丁寧でなあ…」
温井は何度もやりあった日々を思い出す。負けてばかりで、半年も戦いは続かなかった。
ややあって、師が受話器を置いた。
「カンナ、大井や…年末は空けとけ」
「アナタ?」
木芽の額には血管で漫画のように怒りマークが浮かんでいるように見える。怖いが、延師は調教師としての威厳を保とうと、断言する。
「凄んでも無駄や~。オーナーもとりあえず呑んだらしい。ノドカはカンナで大井の2歳優駿牝馬に行く。決定事項や~」
犬養元会長は何らかの手段で暮内オーナーを口説き落としていたらしい。こうしてカンナは、アキノドカと共に地方の2歳戦では最高水準の舞台に赴くことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます