蹄跡の19

 カンナの大井生活における拠点は大井の単身者用女性寮である。大井競馬場には女性厩務員や騎手がまとまって何人か在籍しており、そのために付近のアパート1棟を借り切って専用寮にしている。


「それがここなんですよ」


「すごーい!」


 カンナの金沢生活は実家暮らしである。金沢競馬の独身寮は100%男性向けであり、彼女を受け入れる余地は皆無。正式にはカンナは生まれ育った実家から金沢競馬場に通いの身分であり、ほとんどは師匠の延家に泊まりで特訓に明け暮れていた。


調教師せんせいのお宅に…それはとても気が引き締まりそうですね」


「奥さんのお料理がおいしいんですよお!手塩もいるし!」


 ねー!と猫手をフリフリさせられる手塩。普段は延家から通いの彼も、大井生活中はカンナと寝起きを共にすることになっている。


「猫ちゃんかわいい!たまに厩舎にいる猫って聞きますけど…?」


「結構、馬に良い影響ありますよ!ウチの馬にとっては今日からしばらく強化週間になるかも!」


「へえ!」


 さっきからカンナの案内をしてくれているのは小野厩舎の3年目厩務員。風間絵美里というらしい。カンナの入る部屋のお隣さんだとも。


「いいなあー!うちも飼いましょうって先生に言ってみようかな!」


「そして、厩舎猫は全国ネットワークに!」


 女子2人、あははは!と笑いあって、夜は更けていった。




 明くる朝、カンナは手塩を抱え、元気に出張厩舎への初出勤である。


「ノドカー!おはよー!」


 ヒヒン!とこちらも元気に迎えたアキノドカ。にゃー、と手塩の猫パンチを鼻っ面に受けてブフン!と鼻息を吹いている。


「おう、カンナ。寮はどうやった?」


「はい、綺麗なところです!」


 そりゃあ良かった、と温井。アキノドカに万一が無いように厩舎に宿直していた。今日からは小野厩舎からも人を出してくれるらしい。人気の少ない外来馬用厩舎だからの措置である。カンナは女子なので業務は免除。


「カンナちゃーん!」


 一緒に競馬場まで来た小野厩舎の絵美里が馬を曳いてやって来た。大井で走っている、アキノドカと同じ2歳馬で牡馬のコウタイハヤテである。1勝しており、賞金額200万近くを獲得している。重賞を制したアキノドカほどではないが、2歳の地方馬として上の方にいる馬だ。


「どうですか!」


「南関で1勝した馬ならノドカの相手として申し分ないわな」


 温井も認めるところである。どうやら絵美里が調教で騎乗するようで、ムチなども持って来ていた。


「お嬢ちゃんが乗るんかい?」


「はい!これでも学生馬術やってて、騎手志望だったんですよ!」


「そうなんだよねー」


 昨夜は手塩を挟んで、就寝時間まで色んなことを話したものだ。カンナは馬術に触れないまま、中学卒業後即で教養センターに入った。絵美里の馬術で学生選手という経験はカンナには知らない世界だし、カンナの見ている景色は絵美里にとって目指したものでもある。


「ここで一泡吹かせられると溜飲も下がるね?ふふふ♪」


「調教!調教だから!」


「まあなんや、馬はてきなさすなよ」


「てきなさ…?」


「えっと、疲れささないでねって」


 金沢弁を出すと相手がわからない。ここは関東だ。


「さあ、行くよ!」


「こういう形なの、初めてじゃないかな?」


 調教コースまで移動する。ダートコースでかなり軽めに追い切りをすることになった。全く並んだ状態からなので、アキノドカからすれば実は初めての条件だ。


「思い切ったことするなあ、晴さん」


 重賞を控えていきなりそれまでとは異なる条件を設定したのは、温井の発案だった。追いかける形を作ってダメなのだから、発馬位置を揃えてしまえば良いと。

 そのアキノドカは、隣に人馬がいて嬉しそうだ。ヒヒン♪ヒヒン♪とチラチラ窺っている。おや?


「ノドカ、いつもみたいに絡んで行かないね?」


 カンナがそう疑問を呈したところでスタートの合図である。発馬して、アキノドカはピタリとコウタイハヤテに張り付いている。


「なんか、すごいね?」


「でしょ?最後までこの形だよ」


「そうなの?ちょっと上げよっかな!」


「え、ちょ!」


 絵美里はそう言ってコウタイハヤテのペースを上げる。それにつられて、アキノドカもパッとペースを上げる。あれ?


「あれ、ノドカ?」


 反応や瞬発力が常にないものを示した。離れた瞬間、磁石か何かのように張り付きに動いたのだ。


「これは…!」


 幸い、面白いものを見れたと絵美里はそれ以上、ペースを上げはしなかった。1000mを緩めに走って回り、コウタイハヤテがクビ差先着。


「面白いね、ノドカちゃん!」


「ね?」


 ヒヒーン!と楽しそうなアキノドカを見て、カンナは1つの仮定に関して、確信を深めていた。

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