蹄跡の30
ところで、年明けから3月半ばまでは金沢競馬の開催日は無い。
「たまには遊びに行くからね?」
「ヒヒン」
アキノドカは北海道の育成牧場に放牧に出された。帰厩は2月末になる。一方、カンナは次なる戦場へと向かう。
「小野先生なら、まあ安心やあ~」
「そうね、アナタよりうってつけかもね?」
「おい」
カンナには心配性な木芽も安心。今度も温井と共に、今度は延厩舎の馬3頭を連れて遠征で南関・大井に向かう。小野厩舎とは提携関係を結ぶことにしたらしい。
「まあ、なんや…マスコミが騒ぎよるやろうが~」
「温井さん、あなただけが頼りなんだからね!?」
「任せてくださいよ!」
正式には厩務員だが、厩舎の事務を一手に引き受ける木芽と管理調教師の師は厩舎を長くは空けられない。カンナの南関挑戦は2か月近いのだ。
「温井さん、2戦はノルマや。できれば3戦頼むで~」
「やりましょう!」
先日、『カンナとアキノドカ、重賞お疲れ様会』を先代管理調教師の延信介元調教師が自宅で開いた。彼はカンナにとっては好いおじいちゃんである。
「カンナちゃんを頼むぞ、温井!ハハハハ~!」
「はい、はい!大先生!」
今の延師が先生なので、先代延師は大先生である。とにかく、念には念を押されまくり、温井晴喜はカンナの親衛隊になることを義務付けられていた。
「あら~?いらっしゃい」
小野師に出迎えられ、大井競馬場の外厩である群馬県伊勢崎市、境共同トレーニングセンターに馬たちを入厩させた。元は北関東競馬・高崎競馬場のトレーニングセンター跡だと言う。
「小野先生、今回もお世話になります」
「よろしくお願いします!」
温井は基本的にここと大井を行ったり来たりの生活になる。カンナは大井競馬場の女子独身寮で暮らすので、離れ離れだ。彼女の身辺は小野師の采配次第となる。
「よろしくってよ?悪いようにはしないから」
うふふ、と笑う小野師には若干の不安が募るが、馬から手が離せない温井はそれでも託さざるを得ない。
「小野先生、カイバ付けでも、何でも言ってください!頑張ります!」
「はいはい。お願いするわね?」
カンナは南関でいきなり勝たせてくれた小野師に懐いている。面倒見の良い、良い人だと思っていた。
「あら?今日は猫ちゃんはいないの?」
手塩はアキノドカが放牧に出たので、家で信介大先生が繰り出す猫じゃらしに夢中である。
「手塩も放牧に出まして」
「そうなの…」
傍目にもしょんぼりしだした。小野師は猫が好きらしい。
「わ、わかりました!手塩の写真を1日1枚送りますから!」
「本当!?」
一気に明るくなる。わかりやすい人だったんだな、と思うカンナである。
「広いですねえ…」
「ええ。元々、北関東競馬の大きなトレーニングセンターを経てるからね」
北関東競馬・高崎競馬場の境町トレーニングセンターが前身である境共同トレーニングセンター。26ヘクタールほどもある敷地で今は南関東競馬の有力厩舎の馬たちがのびのびとトレーニングしている。
「広いですねえ…」
「それしか無いんか」
「だって…広いじゃないですか!」
26ヘクタールと言えば、東京ドーム5個分以上になる広さ。確かに広いのである。
「まあ…広いわなあ」
「あらあら。広いと良いのよ?馬に我慢させなくて済むし」
「そうですね。ばっちり走らせてあげたいですもんね」
金沢の小回りコースで他の馬もいる中、狭く走らせるより、あまり頭数がいないここで広々と走らせてあげられるのは確かに良い。
「ただ、民間の業者さんだから。お金がかかるからウチでもあまり使わないの。アキノドカちゃんの賞金でかなり大盤振る舞いしたわね、延先生」
1馬房辺り、月単位で費用がかかる。3頭で10万円を超えるとかなんとかで、2か月なら30万円近い。年収1000万程度の金沢の調教師には重い負担だ。実は、小野師が3馬房、もう1人の南関の調教師も4馬房分を出している。10馬房セットでないと借りられないらしい。
「そうです!ノドカ様様です!」
鼻高々のカンナを前に、あなたも頑張ったからなのよ?と面白くなる小野師である。
「おい、カンナ!向こうにカップラーメンの自動販売機があったぞ!お湯が出る!」
「えっ!?本当ですか!こん兵衛はありますか!」
カップ麺のきつねうどんのことで、カンナが好きな銘柄である。温井が手招きする方向に駆け寄っていくカンナを、小野師はニコニコと見つめていた。
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