第22候 はじめましての虹をみる

4月15日





・・・



数日しつこく降り続いていた雨が夕方になってようやくあがり、スマホと財布だけポケットに入れて買い物に出た。


自炊はたまにやるから美味しいんだ、という持論で普段は適当に済ませていたけれど、ひさしぶりにしっかりカレーでも作ってみようかと思い立った。理由は美味しそうなカレーのレシピをネットで見かけたからってそれだけなんだけど。


じゃがいも、にんじん、カレールー、なんだかよくわからない葉っぱ、福神漬け、バター、なんだかよくわからない香辛料をいくつか、それからケチな性分で牛肉を諦めた末に、鳥のモモ肉を買い込んだ。



店から出ると道路が新しく濡れていた。どうやらすこし降ったらしい。



また降られる前に帰ろうと帰路に着く。すっかり荷物が重くなり、買い物袋が指に食い込んで痛い。両手で何度も持ち替えて歩きながら、ふと見上げた空に、薄ぼんやりとした虹がかかりはじめているのを見つけた。


「おっ」とつい嬉しさが口から漏れて、そのまま小走りで家へ向かう。自分の部屋はアパートの二階にある。この辺りは高い遮蔽物しゃへいぶつが少ないから景色をみるならそこがいい。


幅は狭いけれど、角部屋につけられたL字のベランダのおかげで大体の方向が見えるのがうちのいい所だ。今かかりはじめたならきっと綺麗に出るだろう。桃葉と一緒にみよう。


ガサガサ、バタバタ、ガチャンと騒々しい音を立てながら、キッチンに買い物袋を置き、ふうっと息を吐いて窓から外を覗いた。ほら、ビンゴだ。



「桃葉、おいでよ、綺麗な虹が出てる」



カラカラとベランダの戸をあけながら声をかける。一眼カメラを持ってこようか…いや、虹は撮るのが難しいし、設定している間に消えてしまっては嫌だ。せっかくならしっかり目に焼き付けておきたい。なのに桃葉が全然きてくれない。遅いな、何してるんだろ。


「桃葉ぁ」


振り返って声をかけてから気付いた。ああ、そうだった。慌てていたから忘れてしまっていた。机の上の日記を開いて少し雑な文字で書き込んだ。



・・・


4月15日 雨のち晴れ


カレーの材料買って雨上がりの虹をみた。

良かったこと:虹がきれい


・・・



「桃葉」

「はぁい」

「虹が出てるよ」

「本当?綺麗?」

「うん。春になると虹が残りやすいらしいけど…たしかにそんな気がする。ベランダで一緒にみようよ」

「いいよ〜」


日記を掴んだままベランダに出た。

やっぱりこの家は、立地が最高だ。


「千歳は自然現象が大好きだもんねえ」

「そうだよ、今みないと次いつみれるか分かんないんだから…」

「でも毎回教えてくれて、一緒にみようって言ってくれる千歳は本当にロマンチストですなあ」

「なんだよ、その言い方…」

「別にぃ」


軽口を飛ばし合ってケラケラ笑ういつもの日常。そうして二人で並んでみる虹はさっきよりも際立って綺麗にみえる。


「それにしても慌てたなあ」

「そうみたいだね」

「うっかり桃葉!って普通に呼んじゃったもん」



桃葉はこうして日記を書かないとやってきてくれない出不精なんだよな。そういうところだけはちょっとめんどくさいけど…そのおかげで日記が続いているのも、また事実だ。



「いつも桃葉が居てくれたらいいのに」

「ここに居るじゃん」

「いや、呼ばないと来ないじゃん」



すると桃葉は「ふふ」と笑ってベランダの柵に肘をついて空を見上げた。虹より遠い何かをみてるような表情だ。



「今は日記に…“親友ノート”に頼ってもいいと思うよ」

「めんどくさいんだよなあ」


「まあ、千歳は真面目だからなあ…その工程に意味があると思ってるのかもしれないけど…実際はそうじゃない。別にこんなことしなくても、本当は私はいつも千歳のそばに居るのにね」


「…いや、まあ」


「親友ノートはひとつの手段だよ。千歳が言ってほしいことや向き合いたいこと、叱ってほしいこと、褒めてほしいこと。そういうのを私と話し合って共有することで何かを得られるように。先生からも言われてるとおりね。でも私は日記から生まれた存在じゃないもん。本当はずっとずっと一緒にいるのに…千歳が不器用さんだから」


桃葉がいつもみたいに私に向かって笑いかける。


「千歳が今よりもっと自分のことが好きになれたら…その時は日記じゃなくて、私は千歳の心に住みたいなあ」


「…いつか、ね」

「いつかでいいよ。いつでもいいよ」


いつの間にか虹は消えて、空が焼けている。

差し込む夕陽が僕達に照り付けてきて。

ひとりぶんの影がゆらりとベランダに浮かぶ。


ひとりなのか、ふたりなのか。

わからなくなりそうな優しい影が、揺れる。

寄り添って、優しく、揺れている。

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