夏至

第35候 ウツボ草の枯れる頃

6月21日 晴れのちくもり


カウンセリングの日。今日は先生の寝癖がものすごくて、めちゃくちゃ気になってしまった。だけど褒められて嬉しかった。


良かったこと:本屋で小説を2冊買えた

美味しかったもの:バターチキンカレー(780円)



・・・



「どう?」

「ぼちぼちです」


いつも通りの色々な意味を含んだ質問。

いつも通りの色々な意味を含んだ返答。



そんなやりとりから始まるカウンセリング。その流れは決まっているわけではないものの、だいたいはこちらの近況報告からはじまる。今日も桃葉と一緒に連れてきた日記が、机のうえに置かれている。


友達と映画を観に行ったこと、その映画のストーリー、推しの俳優のことを語っていると15分も経ってしまったことに気付いて、自制心から口をつぐんだ。お金を払って相談に来ているのにこの調子じゃ60分なんてすぐに過ぎてしまう。



日記を読み終わった先生が真っ直ぐにこちらをみた。ほんの少しだけ身構える。警戒するようなことはないはずだけれども、この目にみられると心を見透されるような気持ちになる。



「まずは元気そうで何よりです。身体のケアも大事にしているみたいですごくいいね。その俳優さんやお友達が気力になっているのなら、とても健康的だとおもう」

「確かに最近調子がいいかも。でもあがってる感じもなくてちょうどいいくらい」

「じゃあ、その感覚は大事にしたほうがいい。自分がフラットな状態というのが、どんな感覚かということは忘れないように。それに、出かけたあとに無理せずに眠る、という選択をできたことがペースを調整できた理由だとおもうよ。これは正直すごい進歩だと思う」


「そんなに?それだけで?」


「こないだまでの海宝かいほうさんなら、そのままどこまでも弾け飛んでいってたんじゃないかな。それに休むということを、たったそれだけと思えるようになったこと。今、それを聞いて僕は正直驚いてるからね。身体に意識が向いているから休むという行動が取れるし、周囲に意識を向けられているから人間関係にも変化が生まれてくる。だから…」


「だから?」


「桃葉ちゃんとは最近あまり話さなくなったみたいだね」


言われるだろうなとは思っていたものの、いざ言われるとドキッとしてしまう。


「そうですね」

「どうして桃葉ちゃんと話さなくても過ごせてるんだと思う?」

「え…なんだろう…友達と話したりバイトで忙しかったりしてるからだと」


宿題をやらなかったことを先生に怒られる小学生のような気持ちでモゴモゴと話した。正直ほとんど意識していなかったというのが事実だった。色々な用事で忙しいということを理由に日記を開く時間も少なかった。いくら体調が良いとはいっても、毎日きっちりと続けていくべきだっただろうか。


「そっかぁ」


先生はひとこと呟くと、背もたれに寄りかかり、斜め上をみながら指先でペンをくるくると回して、次の言葉を探している。これは先生のいつものクセだ。これから何か要点を突こうとしているときのクセ。もう1年半もの付き合いになるんだ、そのくらいは知ってる。



「前回、親友ノートの話をしたときに、今はそれでいい、って言ったのは覚えてる?」


「…はい」


「僕がそのとき危惧きぐしていたのは、海宝さんのなかでロジックが組まれていることだった。呪文で呼び出す精霊みたいだと言ってたでしょう?つまるところ、自分とは別存在として切り離して考えていたように思う」

「そう、ですねえ」

「海宝さんは論理的に考えるタイプだからね。手順として、日記を書いて桃葉ちゃんを頭のなかに用意してから、何かを言ってもらうという流れを構築していたよね。そのうえ一度そうだと思えばこだわるから、そうでないといけない、という思考回路になってた」



先生は手元にある紙に、サラサラとヘタクソな絵を描きながら説明してくれる。絵はヘタクソなのに、驚くほどわかりやすくて、すんなりと先生の言いたいことが思考に入り込んでくる。



「実際、あれからちょっと意識しちゃったんでしょう?」

「そうですね…なんとなく気まずいというか…考えすぎることが怖いような感覚があったとおもう」

「意識するようになったのは、このあいだ僕に向かって客観的に話したことである程度…」


先生はふと言葉をきって「ごめんね」と挟んでから話を続けた。


「ある程度、つくった存在であるという部分を自覚するようになったんじゃないかと思うけど、どうでしょう」


どうでしょうもこうでしょうもない。

そのとおりですとしか言いようがない。


確かにそうだろう。有体あいていの親友。架空の親友。その見た目も性格もいつのまにか僕の頭のなかだけで構成されていった存在。



「改めて質問するけど、海宝さんにとって桃葉ちゃんはどんな存在だろう?」



なんとか説明しようとしたけれど、口からは、はくはくと息が出てくるばかりでうまく言葉にできないまま数分が経ってしまった。そしてギブアップという目で見上げると、先生は責めもせずに微笑んだ。


「それじゃあ宿題にしよう」

「…すいません」

「謝らなくていいよ。海宝さんはなにも悪いことしてないんだから」


聞き馴染みのあるような言葉だった。


「桃葉ちゃんとの会話の有無はともかく、日記はできれば毎日続けてみてね。どうしても無理なときは天気をかいておくだけでもいいから」


「わかりました」


「それから好きなことに取り組めるのならどんどんやっていったらいい。僕はその俳優さんのことはわからないけど、お友達と好きなことを共有して話しているうちに、口に出して話すクセがついてくる。思考のなかだけで完結せずに、言葉を外在化できるようになる。外に出た言葉は音になって、耳を通してもう一度脳に入ってくる。でも自分の考えている部分とは違うところに入ってきて処理される。だから、客観的な判断ができるようになる。外在化する技術はとても便利だからね。自分を客観視するためにも、人に何かを伝えるためにもね。うん、海宝さん、今のままで大丈夫だよ」



最後に付け加えられたひとことに安心した。この「大丈夫」は本当に大丈夫なときの「大丈夫」だ。暖かくて聞き馴染みのある言葉だ。1年半もお世話になっているんだから、そのくらいはわかる。


荷物を片付けて次の予約をいれ、ぺこりと頭を下げて面談室を出ようとしたとき、先生が僕を呼び止めた。



「そのメイク、似合っていて綺麗だねえ」

「…そう、でしょう?」



自信なさげにほんのりと目尻に灯っていた紅色が、嬉しそうにニヤリと笑った。その日の帰り道は、少しだけ背筋を伸ばして歩けたような気がする。

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