第34候 梅に満ちる
6月16日 晴れ
お泊まり in
良かったこと:楽しい
悪かったこと:足が痛い
頑張ったこと:買い物
・・・
駅から坂道を20分。運動不足の僕にはすこし遠く感じる場所に
駅前のスーパーに立ち寄った際、
まったく暑くてかなわない。
道中、何度も買物袋を左右持ち換えて歩いた。ふたりぶんの食べ物や、ウォッカと梅酒の缶がぶつかりあって、袋の中でガシャガシャ、パチパチと音をたてている。
先日の映画をみにいった帰り道のこと。
「
「みた…けど円盤は持ってないや。ほとんど実家に置いてきちゃってもう取り戻せないんだよね。通常盤ならまだしも手売りの限定盤だったのになあ」
「ああ、今はプレミア価格になってるからなあ」
かつての僕が暮らしていたあなぐらのどこかで埃をかぶっているか、もしかしたら、とっくに捨てられている可能性だってある。大切なものだけを持ち出したつもりだったけれど、もちろん100パーセントは無理だった。
20年間も過ごした実家には、それだけたくさんのモノがあって、取捨選択をするだけの時間や余裕もなかった。あれやこれやと置いてきてしまったものを思えば途方もなく、決まって後悔と虚無感に襲われるから、あまり考えないようにしていた。
「貸そうか?」
「えっ、本当に?」
「ていうかうちに泊まりにきたらいいじゃんか。他にも『かつての約束』『君が僕の景色だった』とか……あと、『森のテレビ』シリーズもだいたいあるし。みたいものはうちで全部みてったら?こっちもひとりだし、いつでもいいよ」
ぽんぽんと出てくる懐かしい映画や舞台の作品タイトル。どれもこれも大好きな作品だ。観られなくなってからも、ずっと心に残っている作品。
「嬉しい…ありがとう…ありがとう…」
ありがたくその提案を受け、お礼に、酒と軽食は買っていくという約束をした。泊まりとはいえ、寝るつもりはほとんどない。ダラダラとお酒を呑みながら、一緒に映画を観たり、推しについて思う存分話したりして過ごす予定だった。もはや合宿と呼べるかもしれない。
単純に会うきっかけがなかっただけで、関わりはずっとあった。
今の家にあたりをつけて引っ越してきたのも、住みやすくて福祉の充実した地域を、
もうあれから1年半くらいたつのか。
時の流れの早さを感じずにはいられない。
それにしてもこんな暑いなかで歩くもんじゃない。坂道を登りきったころには、大粒の汗をかき、ゼェゼェと息を切らしていた。目的地であるアパートのエントランスを突っ切って、部屋のインターホンを鳴らす。
出てきた
食べ物を冷蔵庫にしまって、机のうえにリュックから日記やノートをいくつか取り出す。映画を観ながら思ったことを書き出すためのもの。ついでに酔っ払って忘れる前にと日記をひらき、簡単に書き留めておいた。
「それって例の日記?それだけでいいの?」
「うーん、まあ、あとで付け足すつもり」
「いや、責めてるわけじゃなくて。日記とか、俺は続かんからそういうマメなことを毎日意識してんのすげえなって」
「僕も去年まではそうだったよ。毎年10月には新しいダイアリーを買うのに、実際その年のぶんは真っ白のまま終わる、とかよくあったし…これだって、続けてはいるけど、一行で終わる日とかも普通にあるからね」
「それでも三日坊主してないのか、めっちゃえらいな」
「でしょうよ」
にひひと笑って日記を閉じた。
僕のまわりにいる人は、みんな「えらいえらい」と僕のことを褒めてくれる。それは馬鹿にしているような響きではなくて、単純に相手を肯定するための「えらい」だ。
当たり前の日々を、当たり前に生き延びていることを「えらい」といってくれる。桃葉や先生や先輩や百舌鳥みたいな優しい人に恵まれている。いつか自分もそうやって、誰かの支えに当たり前のようになれる人になりたいと思うけれど、目標とする姿は、はるか先にある。
みんなは本当にすごいな。
優しい人に囲まれて生きていられる。
いまの僕は結構幸せになったもんだ。
梅酒をひとくち呑む。
ふわりと香りたつ。
アルコールを摂取してふわふわする頭でふわふわとした幸福を感じながら、推しの初舞台の映像をみて、案の定、ぼろぼろ泣いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます