桃葉と千歳のはなし

伊月 杏

小寒

第1候 雪がわたりて麦を呑む

1月1日 晴れ 


正月。毎年、なんとなく初日の出をみようと思いながら寝るのに、今年もいつものように起きたら昼だった。新しいことを始めたかったのに、昨年のあいだに終わらなかった机の片付けをしていたら1日終わってしまった。夕飯はスーパーのおせちとビール。いいヤツにした。正月だから。


今年の抱負:日記を1年続けること  

海宝 千歳かいほう ちとせ



・・・



去年の日記をぱらぱらと眺めてから、本棚の奥にしまい込む。僕は1年間日記を続けられるほどマメな人間じゃない。やろう、やろうと思っていても結局後半のページはまっさらの状態で終わってしまう。毎年こうなるとわかっていながらも、スケジュール帳とダイアリーだけはちゃんと変えている。モノを変えれば気持ちも変わるような気がする。どうせ続きもしないのに、無駄な足掻きだろうか。



「いいじゃん、カタチから入るのもありでしょ」


そういって、桃葉は笑った。


同居人、鹿野 桃葉かの ももはは楽観的な人間だ。いつも少しだけ後ろ向きな僕とは正反対に感じる。


「ダイエットとかもそうだけど、日記だとか、新生活だとか、この日からこうするって決めて行動できる人はすごいな……僕にはできないや」

「みんなそんなもんだって。明日から始めよう、が一年続くことなんかよくあるよ」

「それは……始まらずして終わってんじゃん」

「千歳は真面目すぎるんだよ〜!新年だって、別になにか改めなきゃいけない日ってわけじゃないんだよ?」



それはもっともだ。1月1日だからって花を咲かせる植物はないし、生まれ変わる動物もいない。日付という概念を基盤に生きているのは人間だけ。それすら、日付変更線の向こう側にいる人間同士では、互いにすこしズレている。


年末に断捨離をして、年が明けたら部屋が綺麗になっていることが自然の摂理なわけでもない。とはいえ、そんな屁理屈をこねても仕方なく、人間として生きている以上、もっぱら近くに存在する人間が決めた社会の道理に沿って生きていくのが無難なんだから。


とはいえ、なにかを改めようと計画して考えること自体は楽しい。安直な未来への期待が、そのときだけはあたりまえに存在しているように思う。いつ死ぬかもわからない、いつ死にたくなるかもわからない。それでもこのスケジュール帳を買った時、手に取って書き込んだ時、僕は安直にこれから先の1年間をあたりまえに生きるつもりでいた。


小さな期待が毎日続けば、1年間は案外なにごともなく終わるのかもしれない。


「…桃葉、僕ね、この手帳のデザイン、すげー気に入ってるんだ」

「うん、すごく素敵。千歳が好きそうなカラーリング」

「そう。本屋で見つけた時すぐに買っちゃって。だから……少しだけ楽しみだったかも。早く来年にならないかなって思ってた」

「ついに新年を迎えたわけですが海宝選手、今のお気持ちは?」


インタビューのような冗談めいた問いかけに対して、思いがけず笑みが溢れた。サラサラと指触りのいい紙を撫でながら目を瞑る。



「明日も少しだけ、楽しみかな」

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