第2候 せりが盛んに育つ頃
1月5日 曇り時々晴れ
大晦日に買い込んだ保存食が底をついたので、夜にスーパーにいった。久しぶりの外出だった。50円割引されていた『七草がゆラーメン』を衝動買いしてしまった。ごはんなのかラーメンなのか。季節の味覚。未知の領域。恐るべし。
よかったこと:食費が浮いた
悪かったこと:風邪をひいた
・・・
毎日、布団と暖房で丁寧に温められていた身体を芯から冷やしてしまった。なんだか勿体ないことをしたような気がする。家に帰ってきてから数時間後には微熱が出て、今度は逆に暑くなってきた。そんな取り戻し方、いやだ。
「昔からそうなんだよね、千歳は」
「風邪は確かにひきやすかったけど」
「そうじゃなくて、急に頑張るところ」
「べつに頑張ってないでしょ……ただの買い物だし。みんなあたりまえにしてるよ。そんなの頑張ってるとは言わない」
「ほーら、そうやって頑張ってないことにする」
桃葉は、僕とは頑張っているの概念がズレていると思う。否定するのは論外、けれど、いたずらに人を褒めたって実りがあるのかどうか、正直疑問だ。
「あたりまえのことをやるのは、頑張ってるって言わないよ」
お風呂に入るのも、決まった時間に起きるのも、できれば三食食べるのも、買い物に行くのも人間としてあたりまえの行為だ。二足歩行ができてえらいというようなものだ。息をしてえらいというようなものだ。
しかし桃葉はあっけらかんとした調子で「じゃあ頑張ってるじゃん」と言い切った。ああもう。こうなったときの桃葉は少しめんどくさい。
「だってめんどくさかったんでしょ。それでも行ったんでしょ。ご飯ないから。ご飯がなくなったら困るから行ったんでしょ。それを頑張ったんでしょ」
「そんなの」
「じぶんのために行動するのはえらいでしょ。やりたくないことやってんのは全部えらいの」
「ちょっとバカにしてるでしょ」
「してないよ、なんで」
「あたりまえのことを褒められんのは、バカにされてる気がする」
「あたりまえって誰が決めたのさぁ」
「誰っていうか……誰……?社会?」
「あー、またいつもの社会論はじまった」
「桃葉はいつもの揚げ足論でしょ」
ああ、熱のせいだ。
冷静に返そうと思っていたのに、カチンときて嫌味な言い方をしてしまった。自覚はあるけど謝るのもなんだか悔しい。こどもじみた反抗心が控えめに唸る。
「揚げ足で結構。頑張ったことをじぶんで言わないとご褒美なんかもらえないよ。冷蔵庫にあるアイス、私が食べちゃってもいいの?」
「えっ」
「だって頑張ってないなら甘いものいらないでしょー」
「くっ…」
「ハーゲンダッツは?」
「…じゃあ、今日は頑張った、ってことで」
「煮え切らないなあ。でも頑張ったって言えてえらーい」
絶妙にイラッとする言い方をされた。正直納得はしてないが、せっかく財布の紐を緩めて買ったハーゲンダッツがなくなるのは嫌だ。
「それにイラッとしたのに怒んなくてえらーい!」
「…うるさい」
「ね。あのね、えらいって大阪弁で“大変だ”とか“疲れた“”頑張った”って意味なんだって」
「…大阪じゃなくて名古屋弁じゃないのそれ」
「そうだっけ?そうかも」
「いいこと言おうとするなら、ちゃんとした根拠出さないと響かないよ」
大阪だとか名古屋だとか、もはや関西圏全域なのではないかとか、無意味で実りのない話し合いを数分もしていたら、どうでも良くなってきた。
「桃葉、あのね」
「なーに」
「この議論、
根負けした僕に、桃葉はいつもみたいに笑って言った。
「えらいって言えてえらーい!」
「…うるさ」
まったく憎めなくて仕方ないなと笑ってしまうのも、熱のせい。布団の温もりがふつふつと煮えて眠りに落ちる寸前、ふと七草がゆラーメンのことを思い出した。ごはんなのかラーメンなのか。結局どっちなのかわからないままになっている。モヤモヤするから、熱が下がったら早く食べよう。
「今日も一日、えらかったね」
頭がボヤッとして、最後のやりとりは夢のなかだったのかもしれない。
まあ、どっちでもいいか。
べつに白黒つける必要は、ないんだから。
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