清明

第20候 ツバメが渡り、空を繋ぐ


4月5日 曇り時々晴れ


1か月頑張ったので自分へのご褒美温泉の日。人の金で食う焼肉は本当に美味しかった。久しぶりにお腹いっぱいお肉を食べられたので嬉しい。


良かったこと:心も胃袋も満たされた

気づいたこと:思った以上に先輩が怪力だった



・・・



プレオープンの日からの連勤を終え、ねぎらいの休みを数日間もらった。せっかくの休みができたとなれば、やるべきことはひとつ。疲れ切った身体を休ませるためにいつものスーパー銭湯にやってきた。


いつもと少し違うのは、隣に先輩がいること。


人と温泉に来るのは初めてで、さすがに少し緊張してしまうけど、あの頃のモヤモヤがけむに巻かれて晴れていったおかげで、ずいぶん気楽に話せるようになっていた。


風呂上がりのコーヒー牛乳をちびちび飲む自分と一気に飲み干す先輩。2人で並んでこんな時間を過ごすなんて思ってもみなかった。



明日は先輩が地元に戻る日だ。



海宝かいほうちゃんも遊びにくる?」

「えっ」

「往復の電車賃くらいなら出すし」

「…いえ、やめときます」

「そう。自分で決めてるならいいや」

「でもオーナーやみんなに伝えてほしいことがあって」

「うん」

「あの時のこと、本当に申し訳なかっ…ィダァッ!」


パァンと大きな音を立て力強く背中を叩かれた。背中に手形がつくのではないかと思うほどの力だ。じりじりと背中が熱い。


「もうその話は終わりな」

「ぐぅ…すいません」


先輩の口調は軽いけれど、有無を言わさぬ雰囲気があった。


「あんたはもうこっちで生きてるんだから、向こうに縛られなくて良いの」

「…そっすね」

「ここ数日の仕事ぶり見てて、成長したなと私は思ったよ。周りを見ることができてるし判断力が前よりついた。あんたは前から周囲を気にするタチだったけど、周りの顔色を伺うことと、周りを観察することには大きな違いがあるんだよ。気付いてるか知らんけどさ」


そうだろうか。

自分ではよくわからないままだ。


「やっぱり後輩ができたってのがデカいんだろうな。誰かに頼られたり、何かを教える立場になったりして、自分がそいつのフォローをしなくちゃならないと思うと自分の行動も変わってく。仰々ぎょうぎょうしいこと言うつもりはないけどさ、やっぱり守るべきものがあるってのは大事なことなんだろうな」


「先輩も、そうでしたか?」

「そりゃそうだわな、海宝かいほうちゃんみたいなおっちょこちょいが入ってくればこっちも身が引き締まるからね」



先輩はけらけら笑いながら言うけれど、実際そうだったんだろうな。本当に先輩にはお世話になったなと思う。



「先輩のおかげですよ、私が人並みにできるようになったのは」

「でしょうね、感謝しなさいよ」

「してますったら」


「…あんたもいずれはそうなるよ。誰かにとって支えになることで自分自身が満たされることもあるだろうし、一方でまた次の壁にぶつかるだろうし。そんで、もっともっと先に気付くことになるんじゃないかな。こっちが守ってやらなくても自力で出来るようになった後輩が生まれて、またその次の世代に引き継がれてく。自分が必要とされなくなってから、存在意義を揺るがされないくらいの自信をその時もっておかないといけない」


「そういうもんですか」


「ま、部活みたいなもんだよね。3年間で引退しなくて良いってところは違うけど…正直バイトなんてさ、いつでも辞められるしいつでも逃げられるじゃん。うちの店だってあんたみたいに愛着持ってくれるやつばかりじゃない。1日目でバックレるやつだって普通にいるから…はじめは大きな期待は持たないに限るんだよ」


「私のときも、そうでしたか」


「ぶっちゃけね。なんか色々抱えてそうだったし、その上に仕事のストレス与えたらすぐ折れるかもしれないなとは思ってた。とはいえそんなこと思いやってたって仕事は回らないから、どんどんやらせたけどさ。そしたら思ってたより雑草魂ざっそうだましいが強かったってだけ」


「雑草って…」


「ここ数日は店も忙しかったし、あんたは自分じゃ気付いてなかっただろうけど、もう私のこと振り返らなくなってたよ。いっつも怯えた仔犬みたいになんでも私の指示を仰いでた昔のあんたからじゃ想像できない。ちゃんと目の前のお客さんをみて、後輩の動きをみて、目の前の仕事をやって、頼るべきことは周りに頼って。あんた、あの子らにとっては随分いい先輩になってきてるんじゃないかな」



ま、私には遠く及ばないけどね、と付け加えて先輩が笑う。先輩がこれだけ饒舌じょうぜつに話すことも、これだけ褒めてくれることも珍しいことだった。目頭も頬も熱くなるのを感じる。温泉で身体が火照ったからだ、きっとそう。


「…先輩は明日には、向こうに戻るんですよね」


「そうね。こっちの初動に大きな問題はなかったし長居する必要もないかな。まあ、できればあと一人バイトがいてくれれば人手的にも安心できるだろうけど、それは売り上げが安定してからだね。新人の成長具合にも期待かな。あんたらが努力して、こっちで常連さんをちゃんと獲得して、また来ようと思ってもらえるようにする。それだけ気をつけてれば、なにかしら結果はついてくるものだから」


「そうですね」

「まあ、気負いすぎずにやんな」

「…はい。あ、そうだ、帰る前に紅茶の淹れ方教えてくださいよ」


「え〜?やだ。自分で頑張って見つけな。別に紅茶じゃなくてもいいし。ワッフルの焼き方、チョコソースのかけ方、ミントの置き方…なんでもいいんだよ。お客さんのことを思ってできることがあればそれで。常連さんの様子を見てれば、相手が求めるものも次第にわかってくるから。ほら、ブラックがいいとか、ミルクは多めがいいとかさ。そういうのを忘れないってだけでもいいのよ。自分が成長したいことは自分で見つけないとね」

「やっぱ、そういうもんですか」

「それに正直バイトとしてどうこうよりも、あんた個人のことのほうが心配だけどね。また自堕落な生活してるんじゃないか、とか」

「いや、それは先輩には言われたくないです」

「はは、たしかに」



空白の時間と距離を埋めていくように先輩との会話は尽きることがない。温泉でこの貧相な体を見たからか、先輩に「ちゃんと食え」といわれ帰り道で焼肉店へ連れ込まれた。せっせと焼いて次々に僕の皿へ肉を放り込んでくる先輩は、やっぱり元来がんらい世話好きな姉御肌なんだろうな。


ありがたく、その世話を受け取ろう。

いつかそんな先輩に自分がなれるように。


「今日のぶんは出世払いな」

「えっ、まじすか」

「おう、頑張れ」

「えぇ…」


胃袋も心も満たされて、なんだかいつもより自分の存在が重くなったように感じる。先輩がこの背に叩きつけてくれた「責任」と「自信」が、少しだけ重たくて心地良い。


でも…しばらく体重計に乗るのはやめておこうかな。

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