第24候 霜が晴れ、苗が飛びだす

4月25日 曇り


久しぶりのカウンセリングにいった。久しぶりにちゃんと話せて良かったとおもった。3月のカウンセリングをすっぽかしたことは怒られなかった。先生が残しているカルテってどんなことが書いてあるのか気になる。ここに来ると話すのに必死になって、勢いで喋ったことを忘れてしまうから困る。


頑張ったこと:ちゃんとカウンセリングにいった

良かったこと:帰り道で食べた鯛焼きが美味しかった



・・・



「どう?」


先生は桃葉みたいだ。いろんな意味を含んだ質問を投げかけてくる。どんなふうに答えてもいいし、答えたくないことは答えなくていい。僕が話したいように話せばいいという聴き方だ。


「ぼちぼちです」


そう答えながらバッグの中から日記を取り出して机の上に置いた。こういうものは先に出しておいたほうがいい。いい意味で逃げ道を絶ってもらわないとズルズル後に伸ばしてしまうから。


「これは…親友ノート兼ねてる日記です」

「へえ、見てもいいですか?」


どうぞ、とひらひら手を振って応えた。先生は素早く文章に目を走らせながらページをめくっていく。その様子を見ながら、ここに来るまで考えていたことをどう伝えればいいかを考えていた。




親友ノートをはじめたのは昨年1月のことだった。自己肯定感、自尊心、自己愛。なにひとつとしてまともになかった僕に対して「自己観察力をつけるため」といってすすめてくれたのがこの取り組みだ。


桃葉が言ってくれるあたたかい言葉の数々は、僕がひとえに言ってほしかった言葉たちだ。もしも僕に世界一の親友がいたらきっとこうして話をしてくれる。


親友は、僕が頑張りすぎていれば無理をするなと言ってくれる。だけど肯定するだけの存在ではなくて、例えば万引きをしたといったら「なんてことをしたんだ」と怒るだろう。良くも悪くも親友なんだ。


最初はほとんど何も書けなかった。


日記どころか、メモ程度に書いた「病院にいけた」に対して「お疲れ様」と返すのに一晩かかっていた。そのくらい自分自身を褒めることに抵抗があった。親には罵倒されることはあっても褒められたことなんてそうはなかったからだ。



安定的に桃葉を頭のなかに呼び出せるようになるのに1年近くかかった。今でこそ当たり前に話ができる桃葉の存在ですら、僕の心理状況に大きく影響されてきた。桃葉はどんな存在なんだろう。本当にいるように感じることもあるし、姿形も違う、なにか別の存在に感じることだってある。まるで自分だけしか見えない幽霊を心のなかに囲っているような感覚だ。



「なるほどねえ」と先生が呟いて日記から顔をあげたので、慌てて思想にふけっているところから目の前の先生に意識を戻した。


「桃葉ちゃんは海宝かいほうさんにとってどんな存在だと思う?」


たった今、それを悩んでたところだってば。


「…その名の通り、親友だと思います。家族とは少し違うけど恋人でもない。最近は少しずつ桃葉がいることが僕のなかで当たり前になってきました。こないだなんてうっかり部屋の中で桃葉!って呼んじゃって…誰もいないのに。だけど日記は、ゲームとかでいうところの魔導書みたいなものだとおもう。日記に書くことで現れる妖精みたいだから」


「桃葉ちゃんがみえてる?」

「いや…どうかな…」


難しい質問だ。みえるといえば、みえるような気もする。だけど実際には、脳内で補完されている外見と声をもつ存在としていつもある。桃葉の絵をかけといわれればかけるけれど、そういう二次元的な存在とも言い切れない。もっと肉質がある。瞼の裏にいる桃葉の姿を、きっと先生に完璧には伝えきれないだろう。



奇抜ではあるけどまとまったファッション。目立たないけどいつもつけてる綺麗な石のピアス。少しだけ派手な色だけど清潔感のある髪と柔らかく結われた三つ編み。優しく笑うときの薄くて綺麗な唇のかたち。細いけれど骨張ってないちょうどいい腕。ぎゅっと握るとクリームパンみたいになるまるくて柔らかい手。踊るようにトントンとリズミカルに歩くこと。ひとりでいるときはもごもご舌を動かして顔面体操をすること。


そして、いつでも僕からの呼びかけに応えてくれて、一緒に笑ってくれること。だけどどれだけ近くにいても、心だけが暖かくなるばかりで、その肉体には決して触れられないこと。羅列するようにぽつぽつと桃葉のことを先生に話した。



先生は頷いたり時々なにかメモをとったりしながら、僕にとってはじめての親友のことをきちんと聞いてくれた。話し終わる頃にはなんだか少し後ろめたいような気持ちになってきて、もごもごと付け加えた。


「いないってことはわかってますよ、ちゃんと。頭の中で勝手に声がするとかじゃないし自分で意識してる…つもりですし」


「そういう心配はしていないよ。なによりそれ自体は大きな問題じゃないからね。それよりも1月から毎日、ここまでよく続けられたね。去年は途中で続かなくなってしまったでしょ。だから、それがまずいちばんえらい。短い日もあるけどそれでもちゃんと続いている。会話の内容もきちんと残っているし、親友の言葉が増えていくということはそれだけ自分について考えて肯定的にみる力がついてきてるってことだよ」


「そういうもんですか」

「そういうもんです」


先生がこちらに日記を戻しながら笑った。

受け取ったとき、ふと気づいた。


そうか、桃葉は先生に似ているのか。こうして人を受け止めて褒めてくれるところも賢くて優しいところも。ときどき意地悪なところも。


「なんか、悪いところとかありますか」

「いや、今のところは大丈夫そうだよ」


独特の絶妙な答え方だ。それは「大丈夫じゃないけど今この場で指摘するべきことではない」って思ってるときの言い方だから。だけど先生がそういったのなら「この付き合い方は、今はまだ大丈夫、だけどいつかは向き合うべき時が来るよ」とそういうことだ。


「これからも続けていけそう?」

「…今のところは、大丈夫そうです」


少し意地悪く、保証はしないけどやめたいとも思わないという、絶妙な答えを切り返しておいた。今日はだいぶ和らいだ気持ちでカウンセリングを終えることができた。日記を大事にバッグにしまい込む。また帰ったら話そう、桃葉。



桃葉はいつか心の中に住みたいと言ってくれた。あれは僕のエゴが言わせた言葉なのかもしれない。それでも桃葉の言葉には変わりない。今は生ぬるいこの時間を大切にしたい。


どうせ、ひとりで生活しているんだから日記のなかにくらい、親友がいてくれたっていいじゃないか。

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