雨水

第11候 潤いもたらす春の雨

2月18日 雨


朝から夜までずっと小雨が降り続いてた。なんとなく春の匂いがする。「Beautiful Mindビューティフルマインド」久しぶりに見た。レンタル屋にいかなくてもネットでいつでも見れることがなんだか不思議。積ん読していた漫画も一気読みした。色々なことが消化できた日だった。


良かったこと:新しい発見が多かったこと

悪かったこと:冷たい牛乳を飲んでからお腹がいたい



・・・



本当なら今日は買い物にいく予定だった。けれど、雨雲レーダーをみているとどうもこの街の上空に居座っている雲は剛気ごうきで、どくつもりはないらしい。



諦めて適当なご飯を作り、食べながら漫画を読む。幸運にも冷凍庫の隅から忘れ去っていたアイスを発掘し、食べて映画を観て、風呂に入ってからまた映画を観て、日記を書いた。


今年に入ってしばらく忙しかったから、たまには何も考えずにこうして過ごすのもいいだろう。


喫茶店は、オーナーと社員が内装を整えたり地域へ告知をしたりするのに大忙しの様子。いまのところバイトとしてすることはあまりなく、各々研修資料を元にメニューを覚えたり、モバイルオーダーの操作方法を試したりする程度。


最初は忘れかけていたものの、ひとつ紐解けば芋づる式に記憶が出てきた。モバイルオーダーも多少ボタンの配置が変わったくらいで、仕様は本店と変わらず、目新しいものはなかった。



ただ、時折グループチャットが動いているのを新鮮な気持ちで見ていた。

新商品や内装が出来上がっていく様子の写真があがったり、社員からはシフトについてフランクな口調のやりとりが交わされていたりしていた。



以前はネットのつながりは一切なく、お店でしか知識を学べなかったし、交流もなかった。しかし仲が悪いわけではなく、信用しあって仕事をして、お客さんがいない時間には世間話をするちいさな時間が楽しかった。


いつだったか、ミスが減らない悩みを先輩に打ち明けたとき、いつの間にか店長が把握していて、そしていつの間にか働きやすくしてくれていた。僕のことについても決して追求したりはしない、踏みこんでも来ない。


ただ、僕が勇気を振り絞って口を開いたときには、いつでも相談に乗ってくれる人達だった。働く時間とその他の時間はうまく切り分けられていて、それがとても性に合っていた。苦い思い出まみれの地元で、唯一、本当に暖かい場所だった。



最近は週に一度、合同研修という形で店に行く。そのときは後輩の2人組からあれこれと教えをわれることが多い。いつのまにかホールの業務については、ほとんど教える側に立っていた。これ、いわゆるバイトリーダーというやつだろうか。


トレイの持ち方について教えると、ずいぶん喜ばれた。銀製のトレイを使うとガラスでできたコップや皿は滑りやすい。結露けつろが溜まれば尚更だった。広げた手の腹で支えながら指先で持ち、配置や手つきによって力を入れる指を変える。経験したからこそわかっていくことだ。最初は仕方ない。けれども効率よくコツを掴めれば、可哀想な珈琲カップがひとつでも減るかもしれない。


ふと、昔を思い出す。

僕にもこんな時期があった。


手探りで、誰に聞けばいいかもわからない。それでもひとつずつ覚えていった。ときには、犠牲になったお皿や食べ物もあった。アイスティーをうっかり溢してしまったときは慌てて平謝りしたが、寛容なお客様で大ごとにはならなかった。それどころか「これからの成長が楽しみね」と笑ってくれた。



印象に残っているお客さんは沢山いる。

例えば、初日にはじめて接客した老夫婦。


この2人は毎日夕方来店する。注文内容は決まっている。旦那さんはホットのブレンド珈琲コーヒー、ミルクを2つ、砂糖はなし。奥さんは薄めでぬるいアメリカン。いつも20分ほどで仲睦まじく帰っていく。普通の世間話をしているだけにみえるけれど、きっと2人にとってあの時間は大切なものなんだろう。


店で会うたびに声をかけてくれたから、人見知りの僕も、いつしかこちらから声をかけるようになっていた。旦那さんは個人タクシーの運転手で、バスも通らない時間帯によく駅の前で止まっていた。


こんばんはと声をかけて乗せてもらい、家までの道中では、仕事で無理してないか、だとか品出しがスムーズになったなとか、そんな小さな成長を見つけては励ましてくれた。



店のスタッフだけではなく、お客さんが人を育ててくれるいい職場だった。この店もそうなるといいなと思う。



この街にはどんな人がいるんだろう。どんな人がどんな珈琲を好むだろう。その人は一緒に出す自家製のラスクを残して帰ってしまうだろうか。持ち帰るだろうか。カフェラテに浸して食べる人だろうか。繁華街ではないとはいえ、人の多い街だからそんな情緒じょうちょはないかもしれない。それでもいいから、いろいろな発見ができればいいなとおもう。



寝る前、桃葉におやすみの挨拶をする。


「今日は話すことないの?」

「ないねぇ」

「寂しい〜」

「ふふ、思ってもないくせに」


そう返すと桃葉はへらっと笑って誤魔化ごまかすように肩をすくめた。別に喧嘩したわけでもない。相談したいこともなかったし、特別聞いてほしい話もなかった。日記を閉じ、電気を消して布団に潜り込む。



今日の僕は、じぶんの時間を上手に使い切れたらしい。

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