第12候 月が霞んで見える夜

2月23日 雨のち曇り


ポストをひさしぶりに開けたら電気代の請求書があった。見なかったふりをしたい額面だった。散々引きこもってぬくぬくしていたので覚悟してはいたけど、さすがにちょっと笑えない料金。公共料金なら2ヶ月くらいなら死なないけど、シフトを増やしてもらおうとおもった。


良かったこと:フリマアプリでCDが売れた

悪かったこと:サバ落ちして対戦に負けた



・・・



夕飯を片付けたあと、フレンドからお誘いを受けてひたすらオンラインゲームをしていた。気付けば深夜の4時。さすがに腰が痛いしお腹もすいてきた。チャットルームに退出の挨拶を投げると、数人から反応があった。


顔の見えない相手にでも、おやすみと言えばかえってくる。現実の人付き合いがないわけじゃない。それでも、長年ネットを通して交流している相手とのやりとりは、他とはすこし違う特別な嬉しさがある。


可愛らしいアバター達が画面で手を振りあい、お辞儀するモーションをしているのをすこし眺めてから、ゲームの電源を落とした。



くぁ、と伸びをしてあくびをひとつ吐いたところで、ベランダに洗濯物を干しっぱなしにしていたことに気づいた。取り込みたいけれど、無防備なTシャツでベランダに出ようものなら四方八方から冷気に突き刺されてしまう。仕方なしにのそのそと立ち上がり、手近な上着を拾って羽織った。


カラカラと小気味良い音とともに戸を開けると、せっかく暖めていた部屋が容赦なく冷やされていく。暖房代のことが少し頭をよぎったが、どうせ数百円しか変わらないと諦めた。もうすぐ桃や梅が咲く。その頃には暖房は必要なくなっているはずだ。


ベランダに出て洗濯物を手に取ると、服がやや湿っている。どうやら異世界で剣をふっていた間に一雨去ったらしい。明日は雨の予報。面倒だが部屋干しをするしかない。ハンガーごとすべてまとめて取り込み、腕に抱えたとき、ようやく向こうの空が見えた。



白い。



曇っているだけかと思ったが、どうやらきりだ。こんなに寒ければ霧が出るのもおかしくないか。


「桃葉、おいでよ」

「なあに」


室内からひょこっと半身を覗かせる桃葉の横着おうちゃくさに、本当に自分そっくりだなと思ってしまった。


「こっちまできて」

「ええ、絶対寒いじゃん」


そう言いながらもベランダに出てきた桃葉と一緒に空を眺めた。


こんな時間なのに、駅の周辺は空が明るい。遠くから新聞配達のバイクのエンジン音も聴こえる。そんな街を、もったりとしたきりが包みこんでいた。美しさと、ほんのすこしの不気味さが混じり合う。さっきまでやっていたゲームだったら、なにかが起こりそうでゾクゾクするような景色だ。



その中に優雅にたたずむ光があった。

上弦じょうげんの月がぽつりと浮かんでいた。



綺麗な半月のオムレツみたいだ。雲ときり曖昧あいまいに溶け合っていて、どこからが空なのかも判然としない。ぼんやりとした光を放っていると思えば、切れ間からくっきりと現れる。それも束の間、再びかすみに呑まれていく。どうやら上空は風が強いらしい。



「ね。月が綺麗だよ」

「写真撮る?」

「いい。めんどくさいからね」

「じゃあ今日こそお月見だね」



そんなやりとりを交わしていると、じぶんからほくほくと登る白い息が、きりのように月を一瞬、隠したことに気づいた。36.2度の身体からふわっと吐き出された空気は一瞬はかなげにひらいて、そのまま白くけて散っていった。


それがなんだか面白くて、とても綺麗だったから、しばらくほうっと息を吐いて月を隠して遊んだ。白い息に月がかすんでいく。



「いい加減風邪引くよ」と桃葉が苦笑するのも構わずに、息を吐いて眺めるだけの時間を楽しんでしまった。こんなことで無邪気な子供のように楽しめるなんて。あれだけ冷たかった毎日を忘れてしまいそうなくらい、桃葉と一緒に暮らす世界は温かい。


満足してようやく室内に戻った時には、身体は芯まで冷え切っていた。そして散々吐き出してしまった熱を取り返すかのように、翌朝には見事な風邪を引いたのだった。

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