春分
第17候 雀が朝を連れてくる
3月20日 晴れ
今日はちゃんと起きれたから、やりたいことをやる日と決めた。最近暖かくて暖房がいらなくなったので嬉しい。薬の量を調整してから調子が良い。推しの映画の予告映像が出た。銀縁メガネ姿をシアタースクリーンで見たら、嬉しくて泣いてしまうんじゃないか。こないだ買った眼鏡で、絶対に初日に観に行くんだ。
嫌だったこと:台所で死んだゴキ発見、不穏。
頑張ったこと:植物に水をやったこと
今日のポトス:葉がわさわさなので少し葉を摘んだ
・・・
今朝はいつもよりスッキリ起きれた。
二度寝するのはもったいない気がする。
余裕がある日の朝のルーティン。
湯沸かし器のスイッチを押す。沸騰するまでの数分間で読みたい本を見繕って机に置く。コーヒーの粉をマグに溶かし、たっぷりのミルクをいれる。ちょうどよく冷めたものを飲みながらの読書タイム。
昨晩届いた新刊の漫画を最後まで読み切った。良い話だった。夢に向かってもがき続けた人の話。こういうのには弱いから熱い涙がぼろぼろこぼれてしまった。
最近、日中なら窓を開けていても酷く凍えることはなくてありがたい。ちょうど朝日が窓辺の菜の花を照らしている。あれから数日、少し弱々しくなってきた。それでもこの子は黄色い花びらを最後まで踏ん張ろうと懸命に咲かせている。
一方、ポトスはその鮮やかな黄緑色の大きな葉を堂々と広げて、新鮮な水を飲みながら太陽を一身に浴びていた。
消えゆくものと栄えていくもの。
ふたつは対極の位置にありながら、どちらも一瞬でも長く自分らしく生きていようとしている。
心臓のない植物に、命だとか心の有無を問うのはもしかしたら夢見がちで野暮なことかもしれないけれど、その活力で自分らしくあろうとする存在は等しく心があるのではないか。
たとえ誰に認められなくても、その身に心を宿しているものは等しく大切なのではないか。付喪神なんてまさしくそれの最たる例だろうに。想いをこめれば米一粒にも神が宿る、それが先人の残してくれた考え方だ。
開け放していた窓から、春風がそよそよと入り込んできた。彼女は少し伸びてきた私の髪をいたずらに触ってそのまま部屋のどこかへ消えて行った。
小さな感覚、小さな気づき、小さな感動。そういうものを重ねていくことで、自分の気持ちも軽くなってきているのを感じる。
先月は随分落ち込んでしまったが、なんとか持ち直した。もともと波というものはある。荒波に争う手段を僕は知らない。命ぐらいは助かるように必死に耐え抜き波が引くのを待つしかない。
4月に入ればバイトが忙しくなる。
どうしても桃葉と一緒に過ごす時間が減ってしまうから、そうなる前に一度くらい桃葉としっかり話す時間を取るのも大事かもしれない。僕自身が今年に入ってから色々と変わったけれど、桃葉も去年とはずいぶん変わったように思う。
そういえば、そろそろ桃祭りの本番か。天気予報とバイトのスケジュールを見る限り、今週末ならきっと花見日和だ。ダイアリーのページを開いて、25日のマスに「桃祭り」と書き込んでおいた。楽しみだな。
弁当、久しぶりに作ってみようか。
桃葉はお弁当のおかずは何が好きなんだろう。まあ、多分なんでも嬉しそうに食べるんだろうな。どうせ、僕とおなじ食いしん坊だろうから。
窓の外で雀が2匹、茶化すように鳴いた。
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