第18候 桜はじめて花ひらく

3月25日 晴れ


桃祭りの日。公園の近くで野良猫に出会ったけど無視された。にゃーんって言ったら寄ってくるかなと思ったけど、なるほど、人は浅はか。猫心の攻略はそう簡単にいかないらしい。お花見しながら飲むお茶が美味しい。風流である。


良かったこと:約束を実行できた

頑張ったこと:早起き



・・・



桃の花の優しい香りと、若草の香りが混ざり合い、さざなみのような風に乗って広がっていくような…詩的に言うならきっとそんな日だ。遠くで鳥が鳴き交わしていて、春の訪れをみんなで祝ってるみたい。


予報通りの晴天で過ごしやすい日だ。親子連れが多そうな昼間の時間を避けてきたから、静かでゆったりお花見ができる。



なんだか良いなぁ、こういうの。


地元ではこの時期になっても雪が溶けきらず、外でまったり花見なんてなかなかできなかった。桜ならまだしも、桃や梅なんてあんまり見た試しがない。


こちらにきたばかりの時はこんなふうに余裕を持てなかった。植物を育てたり、花見を計画するなんてことをしていると日々の変化を感じやすくて…生活している実感が湧く。



もものき広場の片隅を陣取り、いつものシートを広げた。頑張って作ってきた弁当を並べていると、なんだか小学校の遠足みたいで楽しい気持ちになってくる。


好きなものばかり入れたから、彩りなんてものは皆無。ほとんど茶色だ。弁当箱の中でちょっと蒸れて冷えたお惣菜は、ふにゃっとしていていつもと違う美味しさがある。



木の下で拾った落花らっかを手の中で転がすように観察していたら、桜よりも膨らみがあって、複雑な形をしていることに気がついた。あんまり花の形なんてしっかりみたことがなかったから、なんてことないこの小さな気づきを残しておきたくて、手帳の余白に桃のスケッチを描き入れた。ついでに桃葉の似顔絵も。



「それ私?ねえねえ、それ私?」

「そうだよ」

「なるほどねえ、千歳には私がこんなに可愛く見えてるんだな〜?桃ちゃん可愛い?」

「はいはい可愛い」

「あっ適当に返したでしょ今」

「うん」



実際、桃葉は可愛いとは思うけどな。色眼鏡というか…親友としてのフィルターはかかっているかもしれないけど、私にはない可愛さがあって羨ましい。


桃葉の良さは可愛さというよりも愛嬌の方が大きい。誰とでも仲良くなれて人との距離感は適度に保ち、その上でいつも寄り添ってくれる。


たまにわがままを言ってくるけど、それも悪意があって言ってるわけでもなくて。それに桃葉のわがままに付き合ってると意外とあとでいいことがあったりする。


桃葉との関係は深いとも浅いとも言い切れない。まだ互いのことをきちんと理解できていないし、こうしてちゃんと向き合って共に過ごせるようになるまでにも結構かかった。だからこそ、こうやって一緒にいれる時間は大切にしたい。



「あのさ」

「はぁい」

「この前カウンセリングんとこの先生に言われたんだ。桃葉とちゃんと付き合っていけってさ。甘えたり、頼りすぎちゃダメなんだってことだと思うけど」

「え〜?そうかなあ」

「実際たしかに頼りすぎてるところもあるし、だから…」

「そうでもない気がするけど」

「え、いやでも結構甘えちゃうというか」

「そうじゃなくて」

「ん?」

「先生が言ってるのはそういうことじゃないと思うよ」



桃葉は淀みない口調で言った。

確証があるような言い方だ。

じゃあどういう意味なんだろう。



「先生が言ったのは本当にそれだけ?」

「ん…ちょっとパニクってた時だったし、もしかしたら何か聞き漏らしたかもしれない…はっきり覚えてないや」

「じゃあ次はもっとちゃんと聞いておいたほうがいいんじゃない?」

「まあ…うん」



それはたしかにその通りなんだけど…先生が言いたかったのは「依存するな」という意味だと捉えてたけど、そうじゃないんだろうか。ダメだな、どうも痛いところを突かれたあとは、人の話を聞くことが苦手だ。


今後はバイトも増えて疲れやすくなるだろうから、桃葉にこれまで以上に負担かけそうだから先に謝っておこうと思ってこの話を始めたのに。行きどころのない「ごめんね」が中途半端に喉の奥へ引っ込んでいった。



「桃葉はどういう意味だと思う?」

「わっかんない!」

「ええ、なんだよそれ」

「だってそんなの千歳が理解しないと意味ないもんね。カウンセリング受けてんのは私じゃなくて千歳だもーん」

「くっ…意地悪…」

「治療に協力的と言ってほしいねぇ」

「そりゃ桃葉がいてくれるのは助かってるけどさ」

「桃ちゃんは千歳の守護神なのだよ」

「ああ…はいはい、ご加護をどうも」



桃葉のあっけらかんとした調子に付き合っていると、ちゃんと話そうとか向き合おうとか、そんな覚悟を持って今日に臨んだのが少しバカらしくなった。カップルの倦怠期でもあるまいし、腰を据えて話をする場を設けるほどのことじゃなかったのかもしれない。


あえて「する」ようなことでもないのかもしれない。当たり前に一緒にいるんだから当たり前に日々に向かっていけばいいのかな。


例えるなら、一心同体とかそんな感じ。


帰り際、別の区画で桜の木が沢山の蕾をつけているのを見かけた。そうか、次は桜が咲くんだ。なにかが過ぎたらなにかが始まるという、当たり前のことを突然に実感した。毎日一緒に暮らしているんだから、きっとこれから話すタイミングはいくらでもあるだろう。



普通の人間になりたい

普通の暮らしがしたい

普通の家族が欲しい


そういえば、子供の頃は毎日そう願って生きていたっけ。いつの間にか普通の毎日を生きられるようになっていた。


朝日が登って、陽が沈むこと。


そんなことを当たり前に受け入れられたり、絶望したりしなくていい普通の毎日をいつの間にか獲得していたんだ。「普通」って変化があるとかないとかじゃなくて時間の流れを、日々や季節の移り変わりを当たり前に受け入れられることなんだろう。



この気づきは…後で日記に書いておこうかな。

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