第30候 咲き誇れ、紅の花


5月26日 晴れ


映画初日。何度か観たいから次の休みにレイトショーを予約した。予定よりもお金を使ってしまったけど心の満足度は高かった。また頑張って働こう。久しぶりに沢山喋ったから喉が少し痛い。


良かったこと:ぜんぶ



・・・



「やっほ」「おっす」という声かけのみで済まされた待ち合わせ。はじめましてとは思えないほどスムーズで、はじめましてとは思えないほど当たり前のように、連れ立って歩きだした。長年の付き合いである「百舌鳥モズ」を相手に今更緊張することはなにもなかった。



2時間の映画は言うまでもなく素晴らしかった。カメラのアングルがいいとか、惹きたて方を監督はよくわかっているとか、挿入歌のタイミングが最高だったとか、そういう熱っぽいことを早口で話し合いながら歩いた。


「あの映画をつくったすべての人に勲章くんしょうが与えられてほしい」

「許されるならエンドロール後にスタンディングオベーションしたい」

「とてもわかる」


冗談めかした口調で「好き」をぶつけあうのが楽しくて、いつもの何倍も口が達者になった。つぎに出したい言葉が、言葉を押し出していくように、ぽこぽこと玉突きを起こしている。



映画館を離れてそのまま近くの百貨店に入り込んだ。誰かとウィンドウショッピングをするのは久しぶりだ。


色々なことを話しながら、慣れた仕草でコスメコーナーに吸い込まれていく百舌鳥にくっついて歩いた。普段遠目にみるだけで入ることのないエリアだ。以前うっかり近寄ったときに次々と話しかけられて、思わず逃げてしまった苦い思い出がある。



百舌鳥モズの自撮りは、これまで何度もみたことがあったけれど、近くで実物をみると、本当に綺麗な顔立ちをしていて羨ましい。本人はよく荒っぽい言動をするけれど、身なりを整えるのにちゃんと気を使ってるんだろうな。中性的な顔つきに派手な柄シャツが良く似合う。


僕も今日はそれなりに頑張って身なりを整えてきたつもりだったけど、こうして百舌鳥の横に立つと、なんだか芋くさい気がしてくる。


百舌鳥が、突然あっと声をあげて立ち止まり棚から商品を手にとった。



「なんか良いのあった?」

「…これアカリに似合うよ」

「僕?百舌鳥じゃなくて?」

「そう」

「ええ…いや、綺麗だけどさ」



とても鮮やかな紅色のアイシャドウだった。派手なばかりではなく少し混じった朱色が全体のバランスをとって大人らしい色に魅せている。よくみるととても細かいラメが入っていて高級感がある。きちんとした化粧品はこういうものなんだろうか。


メイクは思いついたようにときどきするくらいだった。だけどそれはどちらかといえばニキビを隠したり、肌の粗を覆い隠すためのもので、着飾るような目的で使ったことはほとんどない。それに、こういう明るい色選びも考えたことがなかった。自分の顔は化粧映えする顔じゃない。すこし情けない気持ちになってきた。



「綺麗だけど、普段メイクしないしなあ。そもそも似合わないし…僕よりも百舌鳥のほうが綺麗に使えそうだし」

「あのね」


ぼろぼろと自虐的な言葉が出てくるのを制した百舌鳥モズは、ビシっと僕の銀縁メガネを指して言った。


「推しが、その眼鏡かけて、この紅を目尻に引いてたら、どう思う?」


脳内でかしゃかしゃとそのイメージができあがって、頬が熱を帯びるのを感じる。すべての語彙力をかなぐり捨て、呻くように小さな言葉が絞りだされた。


「良い…尊い…好き…」

「でしょう?こっちおいで」


だいぶ思考力が削られた状態で、綺麗な店員さんの前に連れていかれ、綺麗な鏡のついた椅子に座らされ、断りきれないまま、色々なものを顔に塗られ、ついに紅色を目尻に置かれてしまった。


そして不覚にも、その顔が綺麗にみえてしまったんだ。自分の顔なのに、ちょっとそれっぽく見えちゃうじゃないか。やっぱりプロってすごいんだな。


それに少し埃がくっついたまま放置されているような家の洗面所とは全然違う。大きくて、きらきらした鏡に映っている整った顔の「千歳」は、なんだか背筋が伸びて、目も大きくみえる。その姿が妙に「千歳」そのものを肯定してくれている気がする。


ほらみろと言わんばかりの百舌鳥と、言葉巧みで可愛い店員さんに褒めそやされて、いつのまにか財布をひらいていた。「宝の持ち腐れは良くないから」と百舌鳥と店員さんは同じようなことを言ったけど、その真意はまったく反対方向にありそうだ。


どこにつけていく用事があるわけでもない。決して安いものでもない。憧れはあったけど自分には不相応だと諦めていたものだった。1ヶ月分の米とおなじくらいのお金と引き換えにした、アイシャドウと綺麗な黒い紙袋。それがあまりにも軽くてふわふわしそうだ。



「あれ、テスター落とさなくていいの?」

「今日は…まあこのままでも別に…」

「へえ〜?」



百舌鳥モズが意地悪く笑うから、表情が緩むのを隠すように顔を逸らした。頬も、目尻も、気持ちも、いつのまにか訪れた夕暮れも、すべてが紅色に染まっていった。

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