1-17 始まりの風が溢れる朝
勝利の酒宴も終わって、翌日の朝八時。ネストのポートアレア支部二階から上にある傭兵たちの宿泊区画の一室。隣のベッドで頭を抱えているトールを余所に、差し込んできた朝日に誘われ、窓を開け放った。飛び込んできたのは、まず暖かな春風と爽やかな潮風。そして、雲一つない晴天の空であり、差し込む朝日が体を温めていく。
眼下には、昨晩の喜びと酒気に包まれていた市場が、昨日到着した時と同じ露天商や行きかう人々という本来の活気と風景に、すっかり戻っていた。船旅、人質救出作戦、初めての対人戦、初めての祝勝会と酒という、とてつもなく濃厚だった昨日が嘘のようである。
「あっくぁ……、なぁ、ダイン。お前、平気、なのか?」
「おはよう。ああ、俺は何ともないが……」
急に差し込んだ朝日で起こされたトールは、上半身を起こしたものの、まだ頭を抱えており、顔色も少し悪かった。サイドチェストに置いておいた水を渡せば、おとなしく受け取り、ゆっくりと流し込んだ。
「ああ、おはよう……。そうみたいだな……。ああもう、俺もう、絶対、お前とは、勝負しない……」
ラディスの背を見送った後のこと。カキョウは夜も遅いと女性の先輩傭兵に連れられ、先に宿泊区画へと上がっていたが、自分たちはまだやることがあると言われ、その場に留まっていた。すると、先ほどカキョウをナンパしていた男が酒樽を一つ抱えて現れ、酒の飲み比べ勝負を申し込まれた。トール曰く“新人への洗礼"というものらしく、ナンパ男に加え、トールと酒に強いと自称する先輩たちが次々と集まり、この夜最後の酒樽を開けた。
結果は、泥酔や爆睡をし始める先輩たちを余所に、最後の最後まで酔うことのなかった自分が立っていた。葡萄酒はれっきとした酒であるにもかかわらず、それが喉をほんのり焼く程度のジュースに似た物という認識になるほど、自分が酒に対する耐性が恐ろしいぐらいに高かったことが判明したのだ。
しかし、この頂点は勝利者にしては喜ばしいものではなく、待ち受けていたのは洗礼に参加しなかった先輩たちや支部長のジョージと共に、酔いつぶれた野郎どもの片づけだった。トールは酔いつぶれ組の一人であり、昨晩も自分が彼を抱えて二階まで上がった。
「……はぁ、少しマシになった。すまんな。あー、しかし、酒には自信があったんだけどなー」
水をすべて飲み干したトールの顔色は、寝起きの時よりもマシになっており、現在はベッドの縁に座りなおしている。問題は虫の居所といったところか。
「まだ言うのか」
「言うさー! お前、酒初めてだったんだろ!? どうなってんだよ、お前の耐性!! ザルか! ワクか!! もぉ……お兄さんのプライド、バッキバキの粉々だ!」
「仕方ないだろ……俺もこんなに飲めるとは思わなかった」
過去、何度か先に成人しているネヴィアの絡み酒に付き合わされそうになったのを回避し、昨晩は本当に初めての飲酒であった。酔ったネヴィアの姿や養父のグラフから酒にまつわる怖い話は聞いていたために、実に恐る恐る杯を進めていったが、はっきりとした意識の中、さらさらと入っていく飲み物は、噂に聞く魔物とは程遠いものと感じていた。トール曰く、酒樽から生まれた愛し子と呼べるほど、昨晩の飲みっぷりは異質だったらしい。
「まぁいい、酒がらみの任務もらったら、全部お前に回すからな!」
「うっ……」
酔わないのだから、宴席での護衛なり潜入なりにはうってつけであり、まさに適材適所となる。あと、このサイペリア国でも十八歳未満の飲酒は禁止されているために、未成年のカキョウは除外となる。
(カキョウの酔った姿か……)
成人して初めて飲んで帰ってきたネヴィアの、顔を真っ赤にして、全身の筋肉を弛緩させたベロンベロンの酔い姿を思い出しつつ、その姿をカキョウへと移せば、興味がないとは言わない。だが、やはり未成年の飲酒はどの国でも法律で禁じられており、強要は犯罪にあたるため、全力で守り抜こうと心に誓った。
コンコンコン。
ちょうど会話の切れ目に鳴ったノック音。この部屋を訪れる者はネスト関係の人間に限られているはずなので、特に警戒することもなく「どうぞ」と返した。
「よ。おはようさん。ほら、カキョウちゃん、勝者はピンピン、敗者はデロリンしてるだろ?」
「おはよう。失礼しまーす……うお! ほんとだ。えっと、朝ご飯持ってきたんだけど……食べれる?」
開かれた扉からは、相変わらずガウンを着崩した支部長のジョージと、朝食らしきものを持つ元気そうなカキョウが姿を見せた。朝食は野菜やハムを挟んだパンとオレンジジュースのような黄色い飲み物といった、栄養バランスの良さに加えて、見た目も華やかな、胃をそそる軽食が並んでいる。
「俺はいただく。トールはどうする?」
「はっ、カキョウちゃんが持っていてくれた朝ごはんだぞ? 食べるに決まってるだろ」
「アタシもいい? 二人を待ってて、食べてないんだ」
「まじかよ。ダイン、そこの折り畳みテーブル出して」
「これか」
ちょうど自分の後ろ、開け放った窓の左下には天板が半分に折れたテーブルと、その奥に簡素な折り畳み椅子が二脚立てかけられていた。定期船の船室と同じく、ベッドを二つと荷物を置くだけの最低限の広さを確保するために、移動可能な家具は折り畳み式にしてある。この部屋も純人族(ホミノス)用のベッドを窓に対して水平になるように二個並べただけで、足元側に一人分の通路が辛うじてできるぐらいの狭い部屋であり、船室よりもわずかに横広い程度だ。
トールの指示に従い、折り畳みテーブルをベッドの間、足元側に置き、トールはベッドの縁に腰掛け、自分は通路の窓側に椅子を設け、カキョウは対面の部屋の入口側に椅子を作った。
「その前に、トールとダインに昨日の報酬をだ。あとダインには、これもだな」
そういって、ジョージから手渡されたのは、少々厚みのある手のひらよりも名が広い茶封筒が自分とトールに手渡された。中を見れば、世界共通通貨であるベリオン札が入っていた。
「へぇ……結構入ってる」
「任務以上の成績を出したからな、俺から少し色を付けといた。あと、賞金首分はまるっと四人で山分けだからな。みんな悔しがってたぞ」
トールは結構といっているが、封筒自体は五mmほどもあり、それなりの分厚さを持っている。しかし、これも消耗品の購入や武具の修理費などで、すぐに消えていくのだろう。
そして、自分にはもう一つ手渡された物。ステンレス鋼製のネックレスチェーンに繋がれた、指二本分の幅と長さ、厚みは二mmぐらいの同じ素材の小さな板だった。片面には板には自分の名前、数字の羅列が刻印され、裏面の中央には“尻尾のつながった二匹の竜と翼のように広がった蜘蛛の巣”の模様と“F”という文様が刻印されていた。
「うちの所属傭兵の証、ライセンスタグさ。表は名前と登録番号。裏面にはネストの紋章と、お前さんの傭兵としての腕前をランクって形で刻んである。登録者が“証明したい”と念じれば、彫ってあるものが光る仕組みになってる」
ネストの紋章として描かれている尻尾のつながった二匹の竜は、アンフィスバエナと呼ばれる双頭竜であり、両方向に進めるものという意味から、組織は何ものにも捕らわれない、あらゆる方面から独立した組織を表す。蜘蛛の巣はネストの名からである。傭兵会社であるので善の組織とも、悪の組織とも言えないが、意味が先行した禍々しさがにじみ出る紋章というのが、正直な感想である。
さて、面白そうで単純な仕組みのものがあれば、試したくなるのは誰しも思うところであろう。言われたとおりに“証明したい”と考えてみると、手の中のライセンスタグの刻印がほんのりと赤く光り出した。
(そういえば、昨晩、血を採取されていたな)
おそらく彫り部分の燻し(わざと黒に変色させ、彫りを目立たせる方法)の塗料に、血と魔力によって発光するポーションなどを混ぜた物を使用し、かつタグの中に血の持ち主の魔力によって発動なのどの術式が埋め込まれているのだろう。手のひらに収まってしまう大きさではあるが、これも列記とした魔道具の一つである。
「これで今日から君たちは、正式なうちの一員となったわけだ。言い方を変えれば、今後すべての行動にはうちの組織名がついてくることを忘れるな。……とまぁ、一応決まりだから言ったけど、変に気構えず、礼節と状況判断だけ気にしてくれればいいさ。改めてよろしくな」
差し出された支部長ジョージの手を取り、気持ちを込めた力で握り返した。酒盛りの時に交わした挨拶と違い、まさに正式な証も拝領した上での、真の契約となった瞬間である。
「よし、今後についてだが、しばらくはトールの下で見習いとして動いてもらう。というわけで、トール、頼んだぞ。それじゃね~」
「へいへい。しばらくはよろしくな。お二人さん」
ここからはトールが全面的に引き継いだという雰囲気になり、ジョージはこちらに手を振りながら、さらりと部屋を後にした。
すべてを引き継いだトールは、よろしくと改めてこちらに顔を向けつつ、何やら右手のひらをこっちに向けて、笑顔を放っている。
「ん? ああ、ハイタッチだよ。これぐらいなら分かるん…………ダイン、お前もこうしてみろ」
途中で押し黙ったあたり、察された様子である。自分は対面状態なので、指示通りに左手を前に出した。すると、トールが右手でこちらの左手を弾き、パンッと乾いた空気がはじける音が鳴った。
「イエイ! ほら、カキョウちゃんも……イエーイ!」
「イエーイ! じゃぁ、アタシもダインと!」
「あ、ああ」
再びパンッ! 今度は右手と彼女の左手が弾きあう。それはとても小さな出来事なのに、笑顔がトールを始点にカキョウへ、そして自分に徐々に伝染していく。
「……なんか、気持ちがいいな」
「だろ。普通なら戦列の入れ替え時にやる動作だけど、こうやってお互いの気持ちを共有したいときや、気軽い挨拶なんかにも使うからな」
「分かった。覚えておく」
この時、初めて目の前にいる二人がはっきりと“仲間”であるという共有の認識ができた瞬間だった。
「よし、じゃぁ飯食おうか。食べ終わったら、あるところに正式な依頼を受けに行く」
「あるところで、正式な依頼?」
言葉をオウム返しにつぶやくカキョウだが、ありがたいことに手元は盆の上からさりげなく朝食を配っている。手渡されたパンを受け取ると、礼という感じで、軽くパンを上げて見せた。すると、カキョウからも返事という感じで、ほんのりと笑みが戻ってきた。
「ま、行けばわかるさ。ささ、食おうぜ」
「だね! いただきまーす!」
「いただきます」
早起きしていたカキョウは、完全空腹という感じでパンに対して、口を大きく開けてかぶりつく。自分の腹の虫も限界に達していたので、彼女に負けじと大きくほおばった。
朝食も終わり、身支度も済ませること午前九時。ネストのポートアレア支部を後にすると、向かった先は支部の北側に広がる丘陵の先、シュローズ教会だった。昨日と同じく、丘陵を吹き抜ける風は春の陽気に温められた潮風が優しく頬を撫で、草花や果樹の葉を揺らす。
さらに言えば、昨日の戦闘で鎧や服に出来た傷が、街の鍛冶師によるリペアメント(補修)という魔法によって、すっかり消え去っている。着心地は二日前と同じく新品の着心地であり、新人傭兵としての一歩として気持ちのいい演出となった。
緩やかな坂道も終わり、昨日ぶりのシュローズ教会に到着すると、トールが妙にリズミカルに木製の扉をノックした。
「い、いらっしゃいませ」
今回は扉のほうが間を置かずにして勝手に開き、昨日の救助対象であったシスター・ルカがゆっくりと、どこか怯えた表情で上半身だけを見せた。たった一日で連れ去られ、死人が出なかったとはいえ、血濡れの惨状が広がった現場にいたのだから、警戒気味なのも無理もない。
「ルカ! もう大丈夫?」
「カキョウさん……! は、はい! もうすっかり、です!」
シスター・ルカは、トールの後ろから顔を出したカキョウの姿を見た途端、それまでの怯えた表情が一転し、ほんわりと嬉しそうな笑顔を見せ、すぐにカキョウの元へと駆け寄った。カキョウもまた同じく、元気そうなシスターの姿に表情がほころんでいる。
シスター・ルカの姿は昨日とは少し様子が違っていた。昨日はスカートの裾が地面まで付きそうな長さだったが、今はひざ下までの長さになっている。靴は足首を優しく保護する厚手のブーツであり、右肩から左腰に掛けて斜め掛けされたソフトレザーの肩掛けカバンを装備している。また、隠れていた左手には、乳白色に反射で水色とも桃色とも光るような、球形の宝石が埋め込まれた長さ一m程の短杖(ロッド)を持っている。まるで旅支度が済んでいるという姿だ。
「さて、ダイン、カキョウ、今から新しい任務だ。内容はシスター・ルカが無事に巡礼の旅を終えれれるよう、旅の護衛を務める」
この巡礼の旅とは、昨日シュローズ教会を訪れた際に軽い説明を受けた“修道士(クレリック)が一つ上の階位である司祭(プリースト)や退魔師(エクソシスト)への昇格試験を兼ねた巡礼の旅”のことである。季節ごとに一回、修道士の中から満十五歳以上の者が総本山の厳正なる審査を経て、昇格にふさわしいと判断された者に、サイペリア国内にある五つの大教会を巡礼する許可が下りる。
巡礼とは長き旅路の苦難を乗り越えることは、聖人サクリスの魂と精神に近づく崇高な儀礼であり、巡礼者に選ばれるのは、聖サクリス教の修道士にとって誉の一つである。
「この任務は、ネストと教会の間で結ばれた相互協力協定の一つで、季節の恒例行事なんだ」
巡礼の旅は長く険しいものであり、道中では魔物や盗賊などの危険も多く存在するために、教会はネストから護衛の傭兵してもらう。代わりに癒し手や退魔師が必要となった際には、教会から人員を派遣するという協力関係が築かれている。なお、報酬については巡礼先となる各地の教会を訪れた際に、現況報告の対価として旅の経費と共に支払われる形だという。
任務の終了条件は、五か所の大教会を回り、最後に総本山である聖都アポリスの大聖堂で祈りを捧げること。期間は特に定められていないが、順当に回れば半年ほどで完了できるとのことだ。
「実はな、この任務こそ、お前の最初の任務且つ教育開始になるはずだったんだ」
と言われても、昨日のラディスとトールの会話からも、自分のネスト入り自体は予定調和の一つであり、各種確認も巡礼の護衛のほうで行うことも察していた。
では、昨日の採用試験について聞いてみれば、自分についてはあくまでも実力を図るための理由付けでしかなく、しいて言えばカキョウにのみ適用される言葉だったという。
「まぁ、結果としてお前の実力も見れて、懐も温まって、カキョウちゃんという嬉しい誤算もあったわけさ」
「嬉しい誤算?」
「そりゃ、単純に華が増えるってのもあるけど、やっぱ女の子一人に大男二人ってのは……ねぇ」
「ああ……そういうことね」
トールがほんのりと濁した部分については、巡礼の主役たる本人も自覚しているようであり、明らかに自分とトールには怯えており、そそくさとカキョウの背後に回っている。しかも、自分らはただの異性ではなく、身長差が四十cmほど開いた大男二人だ。もはや意思を持った壁であり、自分もまったく同じ境遇にいたからこそ、シスター・ルカが受ける威圧感と恐怖は理解できる。
「というわけで改めまして、アタシ、くれさ……じゃなくて、カキョウ・クレサキ。今日から長い間、よろしくね!」
「は、はい! カキョウさん、よろしくお願い、します」
「さん付けは、かたっくるしくない? 歳もほとんど変わらないしさ」
「じ、じゃぁ……、カキョウちゃん、で」
「はーい」
くるりと振り返り、シスター・ルカへ向けたカキョウの満面の笑みが、強張った表情を溶かしていく。トールの華という言葉が今なら理解できる。男だけなら、こんな華やかな雰囲気にはならなかっただろう。
そんな風景に見惚れていると、トールから次の番と言わんばかりに肩を叩かれた。確かに自分は、シスター・ルカに名乗りを上げていない。また、自分は先述どおり、外の世界では大柄に分類されているようで、今は距離が開いているが近づけば相当な威圧になってしまうだろう。必要最低限の距離まで詰めつつ、ほんのりと屈みながら、右手を差し出した。
「シスター・ルカ。挨拶が遅れた。俺はダイン・アンバースだ。ダインと呼んでくれ。これからの道中、よろしく頼む」
「はわ、はわわわわ……! え、えっと、だだだ、ダイン、さん。よ、よろしくお願いします。わわわ、私も、ルカと呼んで下さい……」
こちらがひとしきりに名乗りを終えると、シスター・ルカもとい、ルカは顔を真っ赤にさせながら差し出された手をとり、名の短縮の許可をくれた。
しかし、次の瞬間には素早くカキョウの後ろに隠れてしまった。何かまずかっただろうか?
「あー、ダイン。気にしないで。なんか、トール以外の大柄な男の人って、初めてらしいの」
「懐かしいねぇ。俺の時も同じ反応だったさ。まぁ、すぐに慣れるって」
カキョウの後ろから覗いてくるルカは、小動物のように縮こまりながら「す、すみません」とこぼしている。そんな状況を懐かしそうに、それでいてクツクツ笑いつつ、人の肩を太鼓のように叩くトールが妙に腹立たしい。
しかし、一昨日のカキョウ、昨晩の祝勝会、今日のルカといい、外の世界において自分は本当に大柄か程いい大きさに分類されるのだなと、つくづく感じてしまう。たったこれだけでも、自分にとっては生まれてくる世界を間違えたと感じるほど、とても心地よく温かい。なので、ルカの反応は驚きはしたものの、気分を害したとかはなく、むしろ新鮮に思える自分がいるのだ。
「俺は気にしていない。改めて、よろしく」
「は、はい!」
まだ、カキョウの後ろから頬を赤らめつつも、ルカは小さく笑ってくれた。それを見たカキョウが微笑み、トールも「お疲れ」と小さくねぎらってくれた。
ここには多くの新鮮が溢れており、今まで味わってこなかった“完全なる他人”が“仲間”もしくは“友人”という新しい形で結びついていく。これは壁の中にいたら、決して味わうことのなかった、何物にも代えがたい経験である。
「……あ、あの……ラディスさんは?」
さて、一件落着したかと思われたが、ルカは零した名の人物を探すように周囲を見渡していたが、徐々に表情が暗くなっていく。
「あいつなら、昨日の夜に出た臨時船で、ミューバーレンに戻ったよ」
「そ、そうだったんですね……ぶ、無事につきますように……」
トールから伝えられた事実は、ルカの表情をさらに暗くし、誰にでもわかるような落胆へとなりつつも、胸元で手を組むと、彼の無事を願う祈りをささげた。
「ねぇ、ルカ。もしかしてラディスと知り合いだったの?」
「はい……。教会に、よくトールさんと一緒に、食品を届けて、くださっていたので、てっきり……」
言葉は消えていったが、内容は明らかに「一緒に旅するもの」と続いただろう。自分も、彼と会って二日しか経っていないが、この場に彼がいないだけで、場の物足りなさを感じている。それに比べて食品の運搬となれば、ルカを含めた教会としての日々の生活にも密接にかかわっており、それこそ数日に一回は顔を合わせる仲なら、彼との旅も期待していたのかもしれない。
とはいえ、彼は何かしらの事情で、帰らなければいけないような雰囲気は出していたから、ラディスとの旅は初めから存在していなかったのだ。
むしろ、それを伝える時間すら作れなくなった昨今の海竜騒動は、本当に数多くの人々を蝕む事態となりつつあるのだろう。
「ルカちゃん。海竜に関しては、近々三国同盟での大規模作戦を行うらしいから、巡礼中に解決していたら、みんなでラディスに会いに行こうか」
「……! は、はい! ぜ、ぜひ!」
巡礼で訪れる教会の順番や、道順などについては、この集団のリーダー格兼最年長者のトールによって調整が行われる。もとより期間制限がないために、巡礼と言いつつ社会経験を積ませる目的もあるため、ゆっくりといろんな場所を回ること自体は問題ないようである。そんな彼が言ったのだから、いつかどこかのタイミングで行くことになるのだろう。
だからこそ、ラディスとの別れはさみしいものではなく、「またいつかどこかで」という、楽しみとなっている。
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