2-7 天雷と氷結の魔術師

 翌日のまだ日も登らないほどの早朝。心地よかった布団とも早々にサヨナラすると、昨日の人込みが嘘であったかのような人気のない大通りを抜け、朝霞が周囲を包む中、自分たちはカラサスを目指すべく、モールの南門を出た。

 今回は早い就寝と早朝の出発であったこともあり、馬車護衛などを探す余裕もなかったために、カラサスまでは徒歩で行くこととなった。右手には昨日まで通っていたオルト大平原が広がり、左手にはオルティア山脈の麓となる林が立ち込めている。日の上らない早朝であるために、細身の木々の向こう側は木漏れ日すらない鬱蒼とした闇が広がっている。

「あーもう、昨日は疲れた」

 慣れない敬語や相応の態度に表情筋が疲れてしまい、今でも頬をもみほぐしている。

「昨日のは序の口だぞー。もっと大きな町で数日滞在なれば、ずーっと演じてもらわないと行けないからね」

「うっわ、嫌だなぁ……」

「俺は面白かったけどね」

「トールのいじわる」

「ハハハ、可愛らしいねぇ。さてと、……来たな」

 一応の和やかな雰囲気は、前をを歩くトールの反吐交じりのため息とともに止まった。まだ敵は姿を見せないが、明らかに昨日感じた悪寒とぬめりの感覚が山脈側の林から感じ取れる。しかも複数。町の中と違い、人気が一切ない街道では、敵の気配もはっきりと読み取れてしまう。

 だが、敵はこちらを観察するばかりで、一向に動く気配がない。

「これは……癇に障るな」

 ダインもまたトール同様にため息交じりで、背中の剣に手を伸ばす。昨晩は宿に泊まったものの、人影のことが気になったようであり、二人で交代で起きていたらしく、まともに休めていないのだ。おかげで表情もやや険しく、明らかに虫の居所が悪くなっている。

「だが、あいつらは町からある程度遠ざかるまでは、襲ってこないさ。衛兵と世間様の眼は怖いんだとさ。めんどくさい奴らだよ……」

 そういってトールは武器を取り出しつつ、カラサスのほうへ歩みを再開させた。こちらとしては、さっさと出てきてもらい、捕縛するなりしてさっさと町に引き渡してしまったほうが距離や時間、手間の面からも早く済むのだが、出てくる気配がない以上は余計な手間を強いられる結果となっている。

 ダインは武器から手を離したものの、トール同様にため息交じりに相手をより一層警戒しながら、ルカとネフェルトに前を歩くように促す。自分もいつでも抜刀できるように左手は愛刀に手を添え、最後尾からダインと一緒にトールの後を追った。

 それから約五分後。

「止まれ」

 ようやく、件の気配から声をかけられた。振り向いた先には、純人族(ホミノス)と牙獣族(ガルムス)の男が立っていた。二人とも清潔感のないボサボサの伸びきった髪と髭に、頬骨が見えるほど痩せこけた姿である。衣類も襟や裾が擦り切れ、幾日も選択されていないような薄汚れた麻の上下と、今にも千切れそうな革の草履と、常日頃の生活が悲惨ということを物語っている。

 そして手にはそれらの襤褸姿とは似つかわしくないほど、磨き上げられた刀に似つつも刃幅の広い曲刀が握られている。

 そうやって、相手の指示に従って立ち止まり、風貌を観察している間にも、山脈側の林から似通った姿の男たちが数人出てきた。追加した数は四人であり、先の者と合わせて総勢六人が、自分たちを取り囲む形となった。

「女三人と金品、武器、食料を置いていけ。そうすれば命だけは助けてやる」

 在り来たりな言葉に芸の一つないと思ったが、それは人数差と性別比率から自分たちが優位だと感じたからの言葉なのだろう。

(舐められてるなぁ……)

 自分には他人が見ても分かるほどの明らかな武器(刀)を手にしているが、この状況で何もできないひ弱な女性のほうへ一括りにされているようであり、少々腹が立った。

 また、人数ではこちらのほうが不利ではあるが、相手は何日もまともに食事をしてなさそうな痩せ方であり、持久力の点ではこちらが有利と見れる。加えて相手の手にしている大型の曲刀は不慣れなのかゆらゆらと揺れており、重心が定まっていない。持ち方自体も、武器の脅威さを前面に押し出すように、無造作に前へ突き出しているあたりが、まったく使い慣れていないことを物語っている。

(こういうやつらが人攫いなんてやるんだ……)

 何が彼らをこんな状態まで貶めたのかは分からないが、こんな薄汚い方法で場当たりなお金を得るぐらいなら、その労力を何か別の真っ当な仕事に回せばいいのにと思ってしまう。

「ふーん……、まぁ答えは決まっているんだけどさ。断固拒否する、ね!」

「同じくっ!」

 トールはすでに抜き身状態だったバルディッシュを構え、ダインも腰を落として背の大剣を相手への威嚇を込めて、盛大に抜きはらった。かくいう自分も二人の抜刀を合図に愛刀を抜き、前衛三人でルカとネフェルトを背で囲むように、守りの陣形をとった。

 人攫いの男たちは、こちらの臨戦態勢に一瞬だけ身じろぎするも、集団の代表たる男の「やれ!!」という怒号を皮切りに、各々の武器を振り上げながら奇声とともに一斉に飛び掛かってきた。

 こちらは前衛が三人、相手は六人。一人が二人ずつ相手すればいいという計算になるが、自分に向かってきた男は一人だけ。もう一人は横をすり抜けて、内側にいるルカとネフェルトを狙うよう、すでに軌道が異なっていた。

「皆さん、下がってください。――サンダーストーム!!」

 だが、自分たちと相手双方の刃が交わる前に、円陣の中心から強烈な白紫の発光と落雷に似た轟音によって、全てが遮られた。

「痛っ!」

 強烈な白紫色の光に視界を奪われつつ、さながら冬の静電気を思わせる肌の痛み。魔法を直に食らっていない自分ですら痛みを訴えているのだから、それを直接受けている敵集団の六人は様々な寄生と悲鳴を上げながら、雷撃の前に次々と倒れていく。わずかに香ってるく肉の焼けた匂いから、雷撃は男たちの肌を火傷させたと思われる。

「あらら? ちょっとやりすぎましたか? やはり愛用のじゃないと少し狂っちゃいますね」

 魔術師を自称し、得意とする属性の中に雷と言っていただけはあり、たった一つの魔法だけで六人の男を一斉に気絶させたネフェルトの実力は、本物だった。

 だが、相手もただでは倒れてくれないようであり、純人族(ホミノス)の男が一人立ち上がると奇声を上げつつ、こちらへ突っ込んできた。狙いは逆恨み先のネフェルト。

「させない!!」

 自分が前に出て立ちふさがると、相手は怒りの矛先をこちらに切り替え、太い曲刀を振り上げると、そのまま力任せに振り下ろしてきた。甘い。直線的な攻撃ならまだしも、曲刀の自重に任せきった振り降ろしは勢いがあるものの、攻撃そのものに鋭さと速さはなく、避けるのは容易だった。

 振り降ろし攻撃を半歩左にずれることで回避すると、男の後頭部めがけて、柄の先端である柄頭(つかがしら)を思いっきり打ち付けた。男は目玉が飛び出るのではないかという衝撃を受けると、今度こそ昏倒し意識を失った。

「こんの、クソアマあああああ!!」

 仲間が倒れたのを見て激高した男が一人。ダインのそばで倒れていたが立ち上がると、倒れた男と同じように振り上げて突撃してきた。こちらは先ほど倒れた男と違い大型猫系の牙獣族(ガルムス)であり、瞬発力が段違いに高い。距離があったにも関わらず、すぐに距離を詰められた。

(早いっ!?)

 まともに食事を取っていないような痩せこけ方をしているにもかかわらず、常軌を逸した瞬発力に対応が遅れた。曲刀の振り下ろしに対応できたとしても、爪などによる追撃があれば、確実に食らってしまう姿勢しか取れない。

 しかし、そんな危惧も互いの間に割り入れられた大剣の刃によって、必要のないものへと化した。耳をつんざくような金属のぶつかり合う甲高い音。大剣の主へ視線をやれば、そこには瞳を赤く光らせたダインがいた。

 非常にありがたい場面なのだが、とあることを思い出してしまう。

 彼は『超加速は任意に使うことはできない』と言っており、また発動条件が『命のやり取りを含める戦闘中限定』ではないかと、みんなで推測していた。

 しかし、今の場面はどうだろうか? 確かに自分は命の危機に晒された。だがそれを絶妙な間合いと瞬間で、ダインは防いだ。任意ではないといいつつも、ここまで見事な割込みが、たまたま発生したものだということに驚きを隠せない。

(偶然だとしても……うらやましい)

 自分はこの“何の魔力補強もない”手足しかなく、自分の身体能力を地道に高めることでしか、状況を打開できる力はない。あるだけマシな彼に、密かに対抗意識を燃やしたのだった。

「二人とも、そのまま動かないでください! ――ヘイルプレス!」

 ネフェルトの声が再び響き渡る。魔法名が叫び終わったその時、こちらに襲い掛かってきた牙獣族の男の頭上に、巨大カボチャや大玉スイカ四個分のどの大きな氷塊が出現し、自由落下ののちに男の脳天に直撃した。氷塊が砕け散る中、直撃を食らったとこは白目をむきながら倒れこむと、ようやく事態が収拾した。

「ダイン、ありがとう」

 巨大な氷塊を食らった男が起き上がらないことを確認して、先ほどの割り込みに対する礼をダインに向けて言った。

「あ、ああ……。いや、あれは本当に発動してくれてよかった」

 すると、彼は何やら一瞬だけ驚いたようなそぶりを見せた。それがお礼を言われたことに対してというよりは、自分の存在に気付いたからのように見え、且つ彼自身に起きたことにも驚いているような様子である。

(本当に偶然ぽい?)

 言い返せば、あれが発動していなかったら自分は何らかの攻撃によって、致命傷を受けていたことになる。偶然の産物とはいえ、本当に命拾いしたと思えば、彼を妬んだり、疑ったりする以前に、もっと感謝しなければならないのだと痛烈に恥じた。

「ふぅ……。使い慣れない杖で、無詠唱ってのは、かなり疲れますね」

「ね、ネフェさん、す、す、すごいです! 複数人を一度に捕捉して、私たちに被害を出さずに、あんな高度な魔法を無詠唱で出しちゃう、なんて!」

 大人しめのルカが頬を赤く染めながら興奮気味に言っているのは、最初に放たれたサンダーストームと叫んでいた雷の魔法のことだろう。

 魔法というものは、基本的に単体を対象として効果を及ぼすものであり、対象人数が増えたり、効果を及ぼす範囲が広がったり、対象との距離が長くなるほど高度で扱いづらいものとなっていく。

 今回の場合、一度に六人を捕捉し、補足した対象との距離はどれも五mを超えている。それでいて味方への誤射もなく、半数以上は気絶させたのだから、ネフェルトの魔法に対する制御能力は極めて高いということになる。

 加えて、魔法の形や効果、反応させるマナを決めるための宣言である定型文の詠唱を省くというのは、己の中に発動させたい魔法に対する強力な想像と思念、原理への理解、そして形作るための膨大な魔力を要するために、長い間の研鑽が必要となる。

 ルカの得意分野は治癒魔法であるために、魔法の方向性が大きく違うものの、魔法を使うものとしてもネフェルトの技術には興奮と羨望があふれてしまったようである。まさに専門職にふさわしい実力を持っていることが、ここに証明されたのだ。

「ふふふ、ありがとうございます。魔術師を自称したからには、それなりのことができなくてはいけませんからね」

 自分は魔法が使えず、本や見聞きした情報だけの知識と感覚でしか魔法をとらえることができないため、ネフェルトの言うそれなりの基準というものがよく分からない。

(なら、アタシは……)

 手に握られた愛刀を見つめた。一応、自分としては自分のことを剣士として認識している。それが単純に剣を扱うものなのか、剣技を駆使した専門職なのかと問われれば、一応は後継者予定として育てられただけの力量と才能は持っていると自負しているため、後者寄りの立ち位置と考える。

 問題は、魔法の行使できない体と身に着けた技術が、どこまで役に立つのか。どこまでみんなの足を引っ張らないで済むかだ。

(……はっ。これはいつもの悪循環。ダメダメ。アタシはアタシ)

 この魔法に対する対抗と抵抗の意識については、生きてきた年齢の分だけ向き合ってきた問題点であるために、ついつい考えが悪循環な方向へ傾きかねない。先ほどのダインへの失礼も含めて、頭を切り替えなければと、両手で両頬を少し痛みが走る程度に叩いた。

「よいしょっと……縛り上げはこれで完了っと。いやー、ネフェさんの実力はおっちゃんの盗難対策魔法でも唸るものがあったけど、ここまでとは思ってなかったな」

 トールの縛り上げという言葉に周囲を見渡してみると、気絶した六人の男たちは全員が麻縄で手首と足首を縛り上げられており、完全な拘束状態となっていた。おそらく自分が一人気絶させている間から、縛り上げ始めていたのだろう。

「ふふ、トールさんもありがとうございます。ただ、今後は詠唱を入れていきますので、魔法発動までの間は皆さんに守っていただかなくてはなりません。その時はよろしくお願いいたします」

 ネフェルトが先ほども零していたが、使用者との相性が悪かったり、本人用に調整されていない杖というのは、使用者の魔力に反発や抵抗することがあるらしく、魔法ごとに設定されている魔力消費量に加えて、制御用の魔力と体力を別途消費しなければならない。また、魔法の無詠唱も一時的に強烈な集中力と魔力を必要とするために、連発すれば魔力切れか体力切れによって昏倒してしまう。安全かつ望んだ効果を得るためには、多少の時間が必要となろうとも詠唱を入れたほうがよくなるということだ。

「それこそ、俺たち前衛の仕事だから、気にしないでくださいって」

「ありがとうございます。では、改めまして雷と氷の魔術師のネフェルトです。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 これでようやく自分の力を証明できたと微笑んだネフェルトは、美しい所作でふんわりとお辞儀をすると、自分たちもつられてお辞儀をし、改めて彼女の同行を歓迎した。

「そ、それで……この方たち、ど、どうしましょう?」

 お辞儀の最中に視界の隅に入り、恐怖が再起したルカが縛り上げられた男たちを見ながら、自分の後ろに回り込んで身を隠した。いくら気絶し、縛り上げられているとはいえ、襲われそうになった恐怖が早々消えることはない。

「まぁ……すんげーーーーーー手間だけど無理やり引きずって、モールの衛兵に引き渡そうと思う」

 引きずるとトールは言ったが、見た目から痩せこけているとはいえ、体重は一人当たり四十kgと仮定しても、ルカやネフェルトが引きずるのは無理な話だ。自分も筋力はあるとはいえ、かなり厳しいだろう。人数的にダインとトールは三人ずつ引きずるのだろうか。言い出した本人(トール)は非常に嫌そうである。ダインも口元を抑えながら、どう運ぼうかとブツブツつぶやいている。

 加えて、今いる地点からモールの町まではすでに一km以上離れている。そんな距離を引きずって戻るのに、どれだけの時間と体力を要するか分からない。目眩が起きてしまう。

「それなら、私にいい案がありますよ。

 ……水精来りて地を満たせ、氷精紡ぎて道と成せ。――アイスウォーク」

 どんよりとする空気の中、一人明るいネフェルトは何かの呪文を唱え始めると、言い終わる際に手に持った指揮棒で自らの踵を二回叩き、モールのほうへ一歩踏み出した。足が地面につくと、靴の裏から水たまりが発生し、次の瞬時には凍り付き、地面に氷の板ができている。さらに数歩歩けば、彼女の後ろには氷の道が出来上がっていた。

「上手くいきましたね。この上を滑らせれば、楽に運べるんではないでしょうか」

 ネフェルトの思いがけない贈り物に、トールの嫌そうだった顔がみるみると明るくなり、氷の傍にしゃがみ込むと叩いてみたり、表面を触って色々と確かめている。

「こりゃいい……。厚みも十分。表面の摩擦も少ない。よし、ダイン。こいつらを数珠繋ぎにして引っ張るぞ」

 目途も立ったことで、手伝いを指示されたダインもどこか足取り軽く、自身の持っていた縄を取り出すと、軽やかに男たちを繋いでいった。

 連結が完了するとネフェルトが前を歩き、そのすぐ後ろにダインとトールが数珠繋ぎされた男たちを左右から引きずる。そして自分とルカが最後尾で数珠繋ぎの列が乱れないように、調整用の縄を握りながら歩く。他人から見れば、一種の儀式にも見えるように奇妙な光景を描きながら、モールの街へと帰っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る