2-6 終点と始点の街 モール

 晴天の下、若草色の大海となっているオルト大平原を軽快に横切る馬車の上は、新たに瑠璃色が加わり、南天色が乳白色に変化していた。角隠し用の頭巾をもらった後は、ルカとトールが用意してくれた朝食を食べ、一行は再びモールの街を目指して馬車を走らせていた。

「カキョウちゃん、それ、やっぱり似合ってます、ね」

 ルカがそれと示したのは、今朝にタブリスからもらった藤色桜が散りばめられた乳白色の頭巾のことだった。差し色こそ違うものの、基調色は上着の布色にかなり近いものであり、最初から服との一式物にも見えるほど違和感が少ない逸品である。

「そ、そうかな? へへへ」

 身の安全を考えるなら、街に入る前から着けていたほうがいいという指摘をもらい、贈り物に喜ぶ子供のようにさっそく装着していた。荷運びを目的とした風呂敷を使っているために頭巾自体は丈夫で少々重みがあり、突風で巻き上がらない限りは外れる可能性が少ない。

「ほんと、羨ましいほど似合ってますよ。私も翼を隠せたらよかったんですけどね」

「ネフェさんのを隠すなら、背負う荷物に擬態させる感じなのかな?」

 と言ったものの、ネフェルトの翼は折りたたんでも身長と大差ない高さがあるために、すべてを覆うほどの偽装となると、人間と同じ大きさのものを背負うことになる。

「それはそれで……何を運んでいるのか、疑われちゃいます、ね」

「あー……ソウダネ」

 人間と同じ大きさの物体となると、自然と棺桶を想像してしまう。また、ネフェルトのような細身の女性が巨大な箱を軽々と担ぎ上げることも不自然というものであり、人目を大いに引くだろう。

「そういう注目の的も勘弁って感じですね。まぁ、私の翼は本当に仕方がないことなので、どちらかというとパーティの見え方を調整したほうがいいかもしれませんね」

「ぱーてぃ……この集団の見え方?」

「そうです。今はルカさんを中心としていますが、トールさんかダインさんを中心としたほうが違和感は少なくなります」

「えっと、それって違いあるの?」

 ネフェルトの発言通り、この集団は巡礼に対する護衛集団であるため、ルカが中心人物となる。しかし、他人から見れば巡礼者とも、傭兵に協力する聖サクリス教の信徒とも見え、一つの戦闘集団であることは変わりないはずだ。

「よっと、結構変わるぞー」

「ひょわっ!? びっくりした!」

 トールの声がお尻のほうからすると思って振り向けば、まるで穴にはまって動けない人よろしく、馬車の御者台に立って、胸から上だけを荷物の上に出しているトールがいた。

「ごめんごめん。ようは、俺かダインを少しチャラく見せることで、希少種族を含めた複数人の女性を侍らせている金持ち坊ちゃんの道楽に見せるってことさ。金持ちの坊ちゃんなんて基本的に貴族か豪商の子が相場だから、常識がある奴はちょっかいを出してこないさ」

 貴族は言うまでもなく権力的抹殺の未来が待ち受け、豪商は貴族との繋がりや商人連合の組織力を利用した経済的抹殺に追い込まれる危険性があるために、常識のある人間ならば迂闊に手を出すことやかかわりを持つことはしない。

 ルカの背後についている聖サクリス教も巨大かつ強力な組織ではあるものの、巡礼中に不慮の事故や事件に巻き込まれ、命を落とすことはよくある話であり、それらを自力で乗り越えた真の信者こそ、昇格にふさわしいという見方が存在する。そのために巡礼者が事件に巻き込まれても、基本的には救出のための人員派遣が行われず、各地域の治安組織に任せる状態であり、貴族や豪商ほどの効力は発揮しない。

 さて、ネフェルトとトールの話から上がった、中心人物の切り替え先についてだが……。

「ダインがチャラく……ないない!」

「女性を、侍らせ、る……想像、できません」

「確かに似合いませんね。どちらかといえば、ヤンチャな坊ちゃんに頭を抱える護衛といったところでしょう」

 自分を含めた女性陣営の意見は満場一致だった。雰囲気や仕草、態度のすべてが軟派という言葉からかけ離れた存在がダインというものだ。馬車の後方を見れば、トールと同じく胸から上だけを出して、安堵のため息を漏らすダインがいた。

「でっすよねーーーー! 知ってた! はいはい、というわけで、みんなは俺に侍られてる女性たち。んで、お前は……借金の形(かた)に売られ、俺のお目付け役と護衛を任ぜられている幼馴染(弟分)だ」

「……俺だけ設定が濃いな」

「気分の問題だ。んじゃそういうことで。町に着いたら、全員そういう感じに振舞ってくれ」

 安堵したのも束の間、妙ちくりんな設定を付与されてしまい、腑に落ちないと不満げな顔をするダイン。だが、箱詰めで勘当された経歴や、性格面からも割としっくりくる設定だと思ってしまったのは、胸の内に秘めておこうと思った。

「いやはや、皆さんのお芝居は本当に面白そうですね。ずっと見ていたいですが、残念なことにモールが見えてきてしまいましたよ」

 タブリスの言葉に、全員が進行方向へ視線を移す。楽しい団欒は時間と距離を忘れさせ、目の前には新緑色に染まる巨大な壁と、赤レンガを思わせる褐色色の屋根を持つ建物が近づいていたことを気づかせなかった。



 一行を乗せた馬車は草原を抜けると、西門と書かれた巨大な門をくぐった。

 この町は、大陸を東西に分断するオルティア山脈西側の麓に位置し、西側地域における陸の玄関口と評される交易拠点である。特に南北に連なる山脈のちょうど中間地点にあるために東側地域から西側へ、逆に西側から東側へ行くための中継点という大事な役割を持っている。

 元々はオルティア山脈でとれる天然資源のために開拓された鉱山都市であったようだが、すでに資源は掘りつくされ、枯渇した坑道と何年も動いていない採掘施設が山の斜面に点在している。

 鉱山都市の名残りとして、門を抜けた先の大通りは馬車が二台すれ違っても余裕があるほどの道幅が確保されており、採掘された鉱石や石炭を運び出す馬車がたくさん往来していたことを思わせた。この馬車の往来に特化した大通りは、今でも交易拠点として活用されている。

「とはいえ、海竜騒動のせいでポートアレアでの荷揚げが減ってるために、この町の利用者もかなり減りましたよ」

 しみじみと語るタブリスの声は、今は無き活気ある街の姿を懐かしむ遠くへ向けたものだった。

 やがて馬車は中央通りから外れ、一区画裏手にある広場に入った。この広場は商人連合に加盟している商人だけが使えるの馬車専用の駐車場である。は今回乗っていた大型馬一匹が引ける程度の馬車なら十台は止められるであろう広さがあるが、タブリスの話通りに街を訪れる商人自体が減っているためか、自分ら以外の馬車はなかった。

 馬車は人間用の出入り口近くに駐車され、短くも驚きに満ちた馬車旅が終わりを告げる。

「さぁさぁ、みなさん。名残惜しいですが、ここでお別れです。二日間だったとはいえ、大変貴重な体験ばかりでした。ありがとうございました」

 全員が馬車から降りると、タブリスが皆に向かって小さくお辞儀をし、それに合わせて皆もお辞儀を返した。ほどなくして、一番近くにいたトールにタブリスが薄茶色の封筒を手渡していた。おそらく護衛の報酬だろう。こうして別れの要素が積みあがっていく。

「いやいや、楽させてもらったのはこっちだからさ。どうぞ、今後ともご贔屓に」

「こちらこそ」

 トールが今後ともと言い、タブリスがそれに是と返す。これがお付き合いであり、何度も二人が仕事を共にしたことの証であり、再びどこかで会えることを意味し、別れを悲観する必要はないと教えてくれる。

「それでは皆さん。武運長久を」

 タブリスは改めてこちらに向き深々と頭を下げると、すぐさま踵を返し、一足先にと露店の立ち並ぶ大通りへ消えていった。

「……さて、俺たちも行こうか」

 タブリスの背中を見送ると、次はいよいよ自分たちの出発だと動き出そうとした。

「あれ、馬車ってこのままでいいの? 盗まれたりしない?」

 だが、ふと目に留まったのが、先ほどまで乗っていた馬車だった。荷台部分には大量の荷物とそれを覆う雨除けの撥水布だけ。自分たちが離れてしまっては、残されるのは馬車と馬だけとなってしまう。

「いいよいいよ。この馬車は、盗難対策の魔法がかけられているんだ。荷台の下を見てみ?」

 そういってトールがしゃがみ込んだので、促されるままにしゃがみ、荷台の下を覗き込んだ。荷台の底面となる部分には彼の言葉通り、うっすらと白紫に光る魔法陣が浮かび上がっていた。

「おお、ほんとだ」

「こうなっているのか」

「な、なんとなく、魔法の気配を感じて、いましたが、こういうこと、だったんですね」

 トールの言葉に促されたのは自分だけでなく、ダインとルカもいつの間にか両隣でしゃがみ込んでいた。

「効果はですね、悪意を持った人間が馬車や馬に触れると、しばらくは気絶するぐらいの電流を発するんですよ」

 しゃがみこんでいた三人は車輪や荷台に手を置いていたが、ネフェルトの言葉に驚くと、飛びのくように馬車から離れた。いくら魔方陣が反応しなかったとはいえ、気絶してしまうほどの電流を想像しただけで身震いしてしまう。

「あれ? おっちゃんからは、静電気みたいにビリッとする程度って聞いてたけど」

「実はですね、服のお礼として、魔法陣を強化しておいたのですよ」

「なーるほどねぇ、さすがは魔術師を自称するだけはあるか。んまぁ、そういうわけで大丈夫ってことさ。さて、今後について話そうか」

 気持ちを切り替えてと言わんばかりに、トールは手を叩て全員の注目を自身に集めた。

「まず、この町でやることなんだけど、ルカちゃんは教会で礼拝。その間に、俺たち四人は買い出しだ。ルカちゃん、食料以外で欲しいものがあったら、先に言ってくれると助かる」

「あ、いえ、今回は、だ、大丈夫です」

 急に名指しされたからか、ルカは焦ったようにしどろもどろに答えた。オルト大平原の移動中には戦闘が一切なかったため、これと言って消耗したものもなく、自分も訊ねられたら同じ答えになる。

「分かった。あと、今日はこの街に一泊する。んで、ここからが本題なんだけど、次の目的地として、ここから南に行った砂漠地帯の入り口にあるカラサスという街に行くことを提案する。街全体が少し変わっていて、皆にぜひ見てほしいんだ」

「変わってる? どんな風に?」

 野宿が回避されたことに心躍ったが、それ以上に興味をひかれる言葉の羅列に思わず口を出してしまった。故郷のコウエン国は平野や森、湿地帯に山岳地帯といった緑と水分の多い地形に富んではいるが、乾燥気味の地形は火山の周辺ぐらいであり、砂漠となると如何にも外の国に来たのだと実感させられる。また、彼の口からもわざと少し変わっていると表現したということは、自分たちが知る街と比べて何かが明らかに違うのだろう。好奇心が口から出てしまった。

「それ、今言ったらつまらないでしょ」

「おおう、確かに」

 当然のツッコミではあるが、それだけカラサスという街に期待を寄せてしまう。

「まぁ他にも、南の街道は平坦で広く歩きやすい道だし、また馬車護衛とかあれば二日ぐらいでたどり着ける。一応、教会もあるけど巡礼の必須地じゃないから、寄り道に近い場所なんだ。さて、ルカちゃん、いかがでしょうか?」

 ここで再び名指しされたルカだが、この旅がルカの護衛名目である以上、道選びの最終決定権を持つのはルカなのだ。

「え、えっと……私も、変わってるっていうの、気になり、ます……ので、お願いします」

「分かった。んじゃ、行先も決まったことで、いろいろと用事を済ませようか」

 行動指針が決まった自分たちは、駐車場に係留(けいりゅう)されているタブリスの馬に「ありがとう」とお礼にひと撫ですると、自分たちも大通りの人混みへ入っていった。



 まずはモール内の教会へ向かい、ルカを巡礼礼拝のために残すと、残る四人は予定通り買い出しに出かけた。

「さてと、まずはネフェちゃんの服についてだけど、ここで買いそろえようか」

「トール様、ご厚意はありがたいのですが、この服はタブリス様が丁寧に作ってくださった品ですので、しばらくは大丈夫です。代わりにですが、杖を買っていただけないでしょうか?」

 町に入る前に決めていた金持ち御子息の道楽と侍らされている女たち及び男従者という設定が早速始まっている。年長組の二人はこの状況を非常にノリノリで演じており、見ているこっちは本当の関係性を知っているために笑いそうになる。

 さて、いくらタブリスが丹精を込めて仕立てた服とはいえ、簡易的なものであることに変わりはなく、今後の旅を考えると整えておきたいのがトールの心情だろう。しかし、せっかく一晩かけて作ってくれた服なのだからと、ネフェルトは服の新調を辞退した。後で聞いた話だが、西側地域では有翼族(フェザニス)はあまり存在していないために、翼の部分を考慮した背中の空いた服装が少なく、簡単に慎重することができないらしい。

「杖を?」

「ええ。魔法を放つ上で、杖があるのとないのでは、いろいろと効率や成果に差が出てしまうんです」

 杖は体内に流れる魔力の出口や蛇口部分に相当し、いろんな方向に溢れようとする魔力を一方向に固定することができる便利な装備品である。これによって、離れた相手を弓のように照準を合わせ、個別に狙い定めることができるようになる。

「んー、それもそっかー。じゃぁ、どんなものがいいんだい?」

「贅沢はいいませんので、安価で少し丈夫な指揮棒(タクト)系でお願いできれば」

 魔術師が使う杖といっても、長さによって呼び方が違うらしい。肘から指先程度までの長さしかない最も短いものを指揮棒(タクト)と呼び、腰から下ぐらいまでの長さのものを短杖(ワンド)と呼ぶ。ルカが携帯している杖もこのワンドと呼ばれる種類のものだ。一番長い長杖(ロッド)は、ネフェルトやダイン、トールといった長身の者たちと同じぐらいの長さがある。

 そうこう話している内に目的の道具屋に到着すると、トールとネフェルトが杖選びを始めたので、自分とダインは店内を見て回ることにした。

「ねぇ、ダイン……様は何か買うものありますか?」

 そう、自分とダインが会話するうえでも、侍らされている女と従者を兼ねた幼馴染なら、後者のほうが立場が上となるために敬語で話さなければならない。

「あ、ああ……いや、消耗したものはないから、食料ぐらいだ」

 突然話しかけられたダインは、面食らった様子で一瞬戸惑いつつも、話を合わせてくれた。とはいえ、彼の口調や素行を見れば、生やされた設定は彼の普段の様子を形容したに過ぎないほど、全く変わらないものであった。

「そっか。アタシもそうなんだ、ですよねぇ……」

 相手にもよるだろうが、気心の知れている彼に対する敬語というものは、なかなか切り替えが難しく、気恥ずかしいものがある。

 なお、食料は別の店での購入を検討しているようであり、ここでは本当に旅に必要な治療薬などの補給が主な目的だった。とはいえ、減ってないものを買うわけにもいかず、予備を持つほどの収納的余裕もないため、本当に見て回るだけになった。

 少々可愛らしい装飾品を見つけたので、手に取ろうとした時だった。装飾品の置かれた机に面した窓の隅に、黒い人影を見た。気になったので人影を凝視しようと窓に近づくと、黒い人影は逃げるように遠ざかった。

「……何、今の」

「さぁ……。ただ、気にはなるな」

 手に取っていた装飾品を元の位置に戻すと、ダインと二人して窓の外を注視していた。

 すると、再び黒い影が窓の縁からじわりじわりと店内を覗き込むように現れた。黒い人影との目があった瞬間、ゾクリッと寒気とねっとりとしたぬめりを感じる強い視線を感じた。

「ひっ……!」

 その視線に全身鳥肌が立つ。まるで舐めまわされるような視線に、思わず小さな悲鳴を上げたが、次の瞬間には怒りに代わり、店の外へ飛び出した。道具屋の横に回り込んだものの、黒い人影がいたはずの窓には誰も居らず、すでに大通りの人ごみに姿を隠したようだ。

「カキョウ」

 遅れてダインが店の外に出てくると、自分たちの異変に気付いたトールと茶色い上薬を塗られた木製の指揮棒を持ったネフェルトも続いてやってきた。

 トールに事のあらましを説明すると、彼は人ごみに向かって一回だけスンと鼻を一嗅ぎすると、神妙な面持ちでつぶやいた。

「早速ってのは嫌だねぇ……。わかった、さっさと食糧調達したら、ルカちゃんと合流して、宿を取ろうか」

「トールは、……トール様は何か知ってるのですか?」

「知ってるというか、大方の検討がつくといったほうが正しいかな。だからこそ、さっさと安全確保だ。ささ、次の買い出し行くぞ」

 トールの知る正体が気にはなったものの、それを聞かせてくれそうな余裕はなさそうであり、指示通りに次の店へと移動して数日分の食料を買い込むと、急いでルカと合流したのだった。

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