【幕間】小さくても本物

 有翼族(フェザニス)の女性魔術師ネフェルトを拾ってから、一晩が明けた。目が覚めた現在は、東にそびえるオルティア山脈の尾根から朝日が顔をのぞかせたばかりの早朝。空は昨日と同様に、小さい雲が遠くに点在する快晴に近い状態である。また草原を抜ける春風は、まだ地肌に冷たさを運ぶが、快晴と合わせて空が昨晩の憂鬱を持ち去ってくれたかのように、体が清々しかった。

「おはようございます」

 大草原に向かって体を伸ばしていると、後ろから声をかけられた。

「ネフェさん、おはようございますって、その姿」

 振り向いた先には件の魔術師ネフェルトが立っていたが、彼女の服装は昨日のボロボロだったものから少々変化していた。首元の黒い人工毛皮やボロボロの黒色礼装はそのままだが、その上から胴の部分を覆うように礼装と同じ黒色の布が巻かれていた。右の合わせ目には真鍮色の金具ボタンが留められ、腰には明るい茶色の帯革(ベルト)によって、ある種のきちんとした服装に見える。

「これですね、昨日お貸しいただいたマントで作ってもらった、タブリスさんお手製の即席服なんです」

「お手製!? すごい……違和感ない」

 体に巻かれた布は、昨晩ネフェルトを解放した時の外套を適度な大きさに切り抜いたものであり、切った端の部分はかがり縫いによってほつれを減らす工夫がされるなど、丁寧に補整されている。さすがは布製品を専門的に扱う商人だと感心させられた。

(時間があったら、頭巾みたいな物を頼めたかな……)

 角を隠す方法については、モールの街についてから対策をとるという方針になったものの、今更ながら街に入る前から対策をしたいという気持ちが膨れ始めていた。

 だが残念なことに本日の夕方には、タブリスの護衛終了地点であるモールの街に到着してしまう。草原の街道は比較的に整備された道であるとはいえ、針仕事をするには振動が強すぎるために、今から頼んだところで難しい話である。加えて、自分の手持ちはグローバス討伐で得た報酬金があったものの、旅道具の購入費用に充てたために、あまり多く残っていない。

「……カキョウさん、どうしましたか?」

「あ、いえ、何でもないんです! そ、そうだ、その……ずっと気になってたんですけど、その黒服って……喪服ですか?」

 ここで誤魔化す必要はなかったとは思うが、自分の行動に対する愚かさやネフェルトの衣類に対する羨ましさを説明するのも、また変な話であると思い咄嗟に、だが彼女を見つけた時から抱いていた疑問を投げかけてみた。

「そうですよ。やはり、気になりますか?」

 質問の内容が繊細な事柄であるために、流されるなどの回答拒否を取られると思っていたが、予想に反してネフェルトはあっけらかんと肯定した。

「そ、そりゃぁ……」

 今まで見たことのなかった種族の者が墜落しており、それが人攫いから逃げてきた結果であり、なおかつ黒一色の礼装改め喪服を着ていたとなれば、もはや攫われた時点に何が起きていたのか想像するなというほうが無理な話だ。

「まぁ、お察しの通り、とても大切な人たちを亡くしました。そして葬儀後、墓の前で一人になったときを狙われました」

 ネフェルトは遠くに見えるオルティア山脈のさらに向こうの空を見つめながら、笑っている。言葉に淀みもなければ、湿り気も震えもない。まるで諦めにも似た透明度のある声音だった。

(大切な、人たち……)

 大切なと形容するほどの重要な間柄の者が、複数形として示された故人。安直に考えれば、両親や兄弟、親族ではないだろうか。

「それなら、アタシたちといるより、早く帰ったほうが……」

「どんなに急いで戻ったとしても、その人たちが戻ってくることはありません。ですので、気長に皆さんとご一緒できればと思ったんです」

 進言も空しく、というよりは本当に戻ったところで誰もおらず、何も変わらない『孤独』な光景が広がると言いたげな感じである。

 であれば、むしろ自分たちと共いたほうが気が楽なのかもしれない。それでネフェルトの心が落ち着くのなら、もはや自分からは何も言うことはない。

「そっか……分かりました。あと、変なことを聞いてしまって、すみませんでした。えっと、その話って、みんなに話さなくていいんですか?」

「フフフ、大丈夫ですよ。皆さんも聞いてますから。ほら」

 ネフェルトが微笑みながら後ろを振り向くと、馬車の陰からこちらを見つめてくる四つの眼差しがあった。

「す、すまない……見回りしてたら、声が聞こえて」

「その、ホラ、俺、耳いいから」

「あ、朝ごはん、でき、ましたよー……」

「ホホホ、すみませんねぇ……、盗み聞ぎするつもりはなかったのですが」

 四人四様の返事ではあったが、皆総じてバツの悪そうな顔をしている。

「いえいえ、大丈夫です。気にしていませんよ。情報共有は大事ですから。そういうことですので、私については気兼ねなくどうぞ」

 情報共有の大事さ。昨晩から自分に突き刺さる言葉である。

(伝わってよかったと理解はしている。けど……)

 この世界に生きる人間として魔法が使えないというのは、如何にその事実を補うだけの技能を持ち合わせていたとしても、不完全もしくは異常者扱いなのだ。この変えることのできない事実が生きてきた十六年の間、絶え間なく突き付けられてきた自分には、伝えるべき事柄よりも隠せるなら隠したい恥部だった。

(でも……汚点の大部分は伝わったから、大丈夫かな?)

 モノは考え様であり、すでに自分の恥部を晒したために、角や魔力に関してはこれ以上評価を下げる心配はない。むしろ今まで通り、汚点が霞むほどの経験を積み、実力をつけ、功績をあげることが、一人の人間として認めてもらう近道となる。

(なら、今のアタシにできることをやるだけ!)

 落ち込んでいても仕方がない。少なくとも、今ここにいる仲間たちは、欠陥だらけの自分に対して、否定的な意見は見受けられない。表面化していないだけかもしれないが、現状の好意に対して甘えさせてもらうことにする。

「時にカキョウさん、これを受け取ってはいただけないですかな?」

 一人小さく決意をしている時、商人のタブリスから乳白色の平たい布製品が差し出された。広げてみると長さにして一m四方ほどの風呂敷だった。頂点の一つが調理器具のお玉のようにお椀状に形成されており、近くには赤い紐がついている。対角線上の角周辺には濃淡の違う藤色で描かれた桜模様が散りばめられている。

「カキョウさんの故郷ではフロシキと呼ばれている布をですね、少々手直ししてフード風に仕立ててみました。どうぞ、角を隠すのに使ってください」

「ええええ!? 仕立ててって、いつの間に!? てか、こ、こんなに良さそうな物、貰っちゃっていいんですか!? あ、違う! これ、いくらなんですか?」

 確かにネフェルトの服を見て、自分も小物を仕立ててもらえたらとは思っていたが、まさに晴天の霹靂である。フードと言われて最初に思い出したのが、バッドスターズ掃討作戦のルカ捜索時にトールから借りた迷彩模様の頭巾を思い出した。改めて頭巾を見てみると、赤い紐は顎に引っ掛けるためのものであり、頭巾裏側の角が当たると思われる部分には、革の端切れを使って当て布が施されている。

「ハハハ! お代は要りませんよ。まぁ、その代わりといっては何ですが……一つ、お願いがあります」

「な、なんでしょう……」

 タブリスは心広く軽快に笑ったかと思えば、山の天気のように表情が急に変化し、神妙な面持ちでこちらを見上げてきた。その雰囲気に飲まれ、生唾を飲み込む音が周囲に伝わるほどあからさまに身構えた。

「角を触らせてはいただけないでしょうか?」

「……へ? そ、そんなことでいいんですか?」

 正直、拍子抜けである。これが胸や尻といった衣類の下ならともかく、常に外に出ている角を触らせるだけでいいなら、無料も同然である。

「そんなことと軽くおっしゃらないでください。以前、ホーンドの商人にお聞きしたのですが、ホーンドにとって角とは命と同等の意味や価値を持つ象徴的器官であると。私はいわば、貴女の心臓を触らせてほしいのと同じお願いをしております。そして昨日もお話ししましたが、ホーンドは存在自体が貴重です。滅多に訪れることのない機会を、どうぞ私に与えていただければ、と」

「た、確かに角は命の次に大事だけど、それは普通の大きさの角を持つ有角族だから意味があるのであって、アタシなんかの大きさだと……」

 有角族の角は深部にある角芯が折れると、二度と生えてこない。加えて角の大きさが各個人の人格や地位を表す器官でもあるために、タブリスの言葉通り命の次に大事である。

 しかし、これはあくまでも一般的な有角族に該当する概念である。角が小さく炎も出せない有角族モドキである自分に該当したことはなく、同族からも遠慮なしに角を触られることは多かったために、角に触られる抵抗感は少ない。

 とはいえ、触られることより触る相手側のことを思えば、有角族モドキの角を触ったところで、本来得られるはずの価値から遠のき、意味がないのではと思ってしまう。

「何をおっしゃいます! 我々、他の種族にとって角の大きさは関係ありません。ここに本物があるというだけでも、大変貴重なのですから」

 だが、この場、この時においては自分だけが唯一の有角族であり、唯一の本物なのだ。

(そうだ……ここは、故郷じゃない)

 昨晩は自分のことを歩く高額商品と表したように、ここは角のあふれていない外の世界。身の危険が生じると同時に、種族としての価値が強制的に引き上げられる。トールとルカが顔をしかめ、ネフェルトが好奇と同情の眼差しを送り、ダインが頭を抱えるほど、自分の希少性は確かなものなのだ。

「何から何まで、ありがとうございます。ならば……はい、どうぞ」

 だがそれ以上に、タブリスの肯定と温かい好意が冷え切った心を満たし、視界を歪めてくる。これ以上は好意を無碍にするだけだと、歪む視界を抑えつつ、タブリスが触れやすいように軽くかがんで、頭を差し出した。

「お、おおお……では、さっそく」

 ゴクリと生唾を飲む音が聞こえたものの、角に触れるまでには数秒ほどの間が開いていた。目を伏せているために、タブリスの顔を確認することはできないが、緊張していると見ていい。

 触れる手はガラス細工を扱うように恐る恐ると表現するほど優しく、頭蓋骨と髪の毛を通じて僅かに感じ取れる程度だった。それでも時折握ったり、引っ張ったりしているあたりは、生きた本物をじっくり味わっているようだ。

「おお……素晴らしいです。なんでしょう、触り心地が想像よりもなめらかですな」

「角の表面は角鞘っていう爪に似た皮膚で覆われてるんです」

「ほほう、皮膚の一種なのですか。なるほどですね……」

 感嘆の声を漏らしつつも堪能しきったところで、名残惜しそうに触れられている感覚が徐々に消えていく。

「いやはや、とても貴重で有意義な経験ができました。本当にありがとうございました」

 顔を上げれば、タブリスは両掌を胸元で合わせる『合掌』をしつつ、ゆっくりとお辞儀をしていた。これはコウエン国で最大限の感謝や御礼、尊敬を贈る意味が含まれる所作の一つである。商人という職業柄だからか他国の礼儀も知っているということだろう。

 物という形で好意をいただいたのは自分が先だというのに、これほどまでに丁重な感謝を受けてしまうと、こちらこそと言いたくなった。しかし、それでは御礼合戦になりかねなかったので、こちらも黙礼として静かに頭を下げた。 

「……みんなも触ってみる?」

 数拍後に自分とタブリスが頭を上げた直後の一言。実は途中から気づいてはいたが、残る四人の好奇に満ちた視線が痛いほど刺さっていた。有角族の商人に会ったことのあるタブリスですら歓喜してくれたのだから、残る四人も似たような反応ではないだろうか。

「いいのか?」

 皆を代表して返事をしたのはダインだった。誰が見ても明らかなほど、彼の瞳は輝いている。彼には角の根元を見せたが触れさせてはいないために、好奇心の膨れ方が大きいのだろう。他の三人も嬉しそうに顔が華やかに綻んでいる。

「いいよいいよ。この際だし、みんなにちゃんと知っててほしいからさ。ささ、順番にどうぞ」

 こちらの言葉を皮切りに、四人が待ってましたと駆け寄ってきた。

 それがただの好奇心から来るものだとしても、ここにいる唯一の有角族だからにしても、差別することなく純粋な興味を持ってくれているこの瞬間が心地いい。

 みんなの触れる手に悪意が一切なく、純粋に感触や構造を楽しむための触り方は、どこか気持ちがよかった。

 ここに小さい角を馬鹿にする者はいない。

 ここに自分の存在を否定してくる者はいない。

 生きている中で、こんな時間と機会を得れるとは、想像していなかった。

 ようやく、自分が自分でいられる場所ができたのだと、実感するひと時だった。

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