1章 始まりは、春風と潮風と
1-1 始まりの木箱
ソレは、人目をはばかるように行われていた。
まだ日中だというのに、曇天の空は一切の光を通さず、視界を奪うほどの滝のような大雨。顔がほとんど隠れてしまうほど大きなフードをつけたローブを纏った四人の男性が、成人からすれば二回りも小さな、子供用と思われる棺桶を担ぎ、ゆっくりと街の東側にある教会へと運んでいた。
「寒そうですね」
外はまだ冬から春に切り替わろうとする、季節の幕間。春雨ともいえる雨は、十分に冷たいであろう。
ソレは、ある人物の葬儀。
棺桶の上には、とても小さな花冠。横には白と黒のリボンが着飾ってある。
だが、花は雨によって花弁を散らし、可憐だった原型はもう無い。リボンもずぶ濡れとなり、いつ落ちてもおかしくない。
ここは、わざわざ用意された見下ろすための特等席。
この国一番の大通りに面した部屋であり、晴れの日なら様々な屋台と行きかう人々で賑わい、夜遅くまで煌々と光が照らされるのだ。
だが、こんな土砂降りの大雨では、見知らぬ誰かの葬儀のために外に出ようとするものは、いないだろう。見送る者が居ない何とも寂しい葬儀である。
「どうして……雨の日に行ったのですか?」
「たまたま、今日が雨だったからです」
「別の……晴れた日には、できなかったのですか?」
「……出来ません」
眼下の棺桶を見つめながら、窓の反射に映る少年の後ろには、この光景を痛々しい眼差しで見つめている中年の男がいた。
特別な儀式であるために、日取りを移すことができない事は重々承知しているものの、これでは故人も浮かばれないであろう。
だが、その棺桶の中には、誰もいない。
見送る者もいなければ、見送られる者もいない。
沿道を飾る花もなく、大きな通りを四人の男が大荷物を大事に運んでいる程度の風景。
人目を憚るようにだなんて、偶然でしかないのに、必然と感じてしまう。
「変なものですね……。自分の葬式を見るなんて」
棺桶の中に誰もいないのは、当然なのだ。
この葬式は、僕の……俺の葬式なのだから。
姿が見えなくなるまで、誰も入っていない棺桶をずっと見つめていた。
それから数日後、外出禁止の約束を破って、屋敷を抜け出した事があった。
あの日と同じく、土砂降りの昼間。
あの日と同じく、人気の無い大通り。
空は薄暗く、いつ夜の帳が下りてもおかしくない、夕暮れのような暗さ。
外出を許されない自分に、雨避けの外套は用意されていない。代わりに真っ白な敷布団用のシーツを雨除けとして羽織った。
(……寒い)
土砂降りの下、防水加工の施されていない布切れ一枚に何の意味も無く、いたずらに身体から体温を奪っていく。
(……体が重い)
また、布が吸い上げた水分が、容赦なく小さな身体にのしかかり、体力も奪っていく。足がもつれ、何度も石畳に体を打ち付けながら、必死に走った。
行き先は、自分の棺桶が運ばれていったであろう、街のはずれにある国営の教会。首都に住んでいた故人たちは皆、この教会の外周に墓を設けられ、弔われる。
先日の棺桶も、かつての国民達が眠る場所に運ばれているはず。
泥濘(ぬかるみ)に脚を取られ、何度も転びながらもたどり着いた墓地は、この国の歴史を物語るように広大な墓地であった。
その中に一つだけ花が飾ってある、異様に小さな真新しい墓石が目に入った。近づいてみれば目星の名前が刻まれている。
墓とは本来、この場所に眠る者が存在していた証を刻む物。
だが、この場所には誰も眠っていない。
この墓石は、刻まれた名の持ち主を他者の記憶から殺すための記号。
そう、僕を……俺を殺すための記号。
「ここに居られましたか」
背後から向けられた声の持ち主が、誰かは分かっている。遅かれ早かれ、必ずこの男が自分を見つけ出す。
そもそも、子どもの足で、そうそう遠くに行けるわけがない。自分がここに来ることだって、予想の範疇であったはずだ。
「僕は(俺は)……、過去ですか?」
振り向けば、男は雨除けの外套も傘も指さず、ずぶ濡れのまま立ち尽くしている。雨のせいで分からないが、男の目元はどこか雨とは違った濡れ方をしているように見える。
男は一歩、また一歩と近づき、雨水と泥水で汚れることを気にせず、膝をつき、壁ともいえる巨大な身体で抱きしめてきた。通常の十歳よりも遥かに小さな自分の身体では、この男――グラファリス・アンバースの身体に完全に抱き込まれてしまっている。
「いいえ、いいえ! 貴方は未来です! だからこそ、貴方はここに……このような場所に来るべきではありません!」
大きな身体がワナワナと震えている。抱きしめる力も強まった。少し苦しい。
矮躯ながらに小さな腕を伸ばし、必死に男の脇腹を叩いて訴えた。男もすぐに気づき、急いで身体を放す。
体温も体力も限界目前に迫る中、いつ意識を手放してもおかしくなかったが、抱きしめられている間は、身体の芯がとても暖かかった。頬には雨とは異なった暖かい水分の感触が伝い、土砂降りに掻き消えながらも、自分は何か声を出していた。
「さぁ……帰りましょう」
男はこちらの膝裏に左腕を通し、右手で背中を支えると、まるで赤子をあやす様に優しく抱きかかえた。
男の肩越しに遠ざかる墓地は、それまでの土砂降りが嘘のように弱まっていき、遠くの空では真鍮色のような鈍い色の光が差し込んでくる。
墓地の入口には四輪式の箱馬車が一台停まっており、赤銅色の縦巻き髪をした小さな女の子――ネヴィアが泣きそうな顔をしながら、窓に張り付いている。
その顔は、彼女の父親に向けられたものだろうか。
それとも……そのほんの一部に、僕(俺)への心配が含まれているのだろうか。
そうだと嬉しい。
そうであって欲しかった。
期限付きだとしても、この腕の中が、彼女のいる場所が、自分の新しい帰る場所となるのだから。
こうして僕は……俺は、墓石に刻まれた“本当の名”と“過去の自分全て”を捨てさせられた。
◇◇◇
まるで底へと引きずり込まれるような、されど天へと持ち上げられるような、不思議な感覚に夢が遠のき、現実へと戻ってきた。
まどろみが身体を支配する中、うっすらと目を開けると、まだ外は暗かった。
「……またこの夢か」
どんなに時が過ぎようとも、何故か決まって誕生日の夜に、夢という形で強制的に見せられる、忘れることを許されない自分の過去。自分はもう死んでいる事を刻み付けるように、何度も、何年も、はっきりと再生する。
正直に言えば、もううんざりなのだ。
まるで自分が女々しく過去に縋りつくようで、夢に体力を奪われる。
「痛っ……」
意識が覚醒してくると、身体のあちこちが痛いことに気付いた。どれだけ長い時間、右腕を下敷きにしていたか分からないほど、右側が痺れている。
寝ていた場所は、硬い床の上に薄い絨毯を敷いて寝ているような粗悪な場所であり、体の痛みと合一層不快感が増した。
それどころか、この場所は妙に窮屈な場所である事に気付いた。
足は軽く曲げられており、それを伸ばせばすぐに壁のような物に当たる。背中も同じであり、寝返りを打つには狭い。
「なんだこれ」
薄暗い空間に目が慣れてくると、天井と四方が全て、壁紙や塗装の一切無い剥き出しの木の板を幾つも並べただけの簡素な壁で出来ていた。窓も無ければ、扉も無い。
上半身を起こしてみれば、肘が軽く曲がった状態でも天井に手が届いてしまうほどの狭い空間だ。小さな身体の自分だから、体を軽く曲げただけで収まっていたが、普通の体格の者なら抱え座りをしないと収まる事ができないだろう。
叩いてみれば、乾いた軽い木材を数枚重ねたような造りの音だと思った。
察するに、俺は木箱のような物の中にいる。
正面の壁には、いつも真剣訓練で使用していた愛用のブロードソードが斜めに掛けてあり、その下には軽金属を使ったグリーブとガントレット、ネックガードとショルダーガードが付いたワンピース状のプレートメイル、なめし革のベルトと手の平より若干大きなウエストポーチが置いてあった。
着ている服装は白いカッターシャツに、ホワイトジーンズ、つま先を鉄製カバーで防護した安全靴形式のレザーブーツ、妙に丈夫ながらも軽い青色のロングコート。
(……白いシャツ? 俺、そういえば、刺されて倒れたような……)
自分の最後の記憶を探ってみると確かに夜、不審者によって俺は脇腹を刺されたはず。
シャツをめくってみると、刺されたはずの脇腹に傷のような跡は一切無く、頬も同様である。
襲われた後、気を失い、その後が木箱の中。何がどうなったのか分けが分からない。
ともかく、現状をもっと把握しなければと思い、革製のウエストポーチを開けてみた。
中には、お金の入った革財布、蓋にアンバース侯爵家の家紋が刻まれた銀色の懐中時計、そして蝋で封印された手紙が一通出てきた。
手紙は高級な羊皮紙であり、蝋印は昨日見たものと同じ物であり、差出人が誰かすぐに分かった。
(この状況を作ったのは……あの人か)
蝋印が全てを物語っている。嫌気からの溜息をつきながら蝋印を剥がし、中身を確認すると、三枚の書面が出てきた。
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ダイン様へ
この手紙を読む頃には、もう遥か彼方でしょうか。
妻を亡くし、娘とともに暗き日々でしたが
貴方を迎えて以来、我が家には笑顔が戻り、
一層賑やかになりました。
なかなか“様”が抜け切きれず、
何度も貴方を苦笑いさせてしまいましたね。
ですが、此度は貴方に敬意を表して、
様付けすることをご容赦ください。
せめてもの証として、家紋入りの懐中時計を贈ります。
本来なら貴方の希望どおり時間をかけて、
ゆっくりと外を知ってもらいたかったのですが、
このような形での別れとなってしまったことが、
本当に無念でなりません。
これが今生の別れとならないよう、
ダイン様のご武運をお祈り申し上げます。
グラファリス・アンバース
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まず目に入ったのは、アンバース家の家紋が上辺に印字された、養父からの手紙であった。
アンバースの姓を貰ってから、十年の月日が流れているにもかかわらず、義父の中では未だに自分が、あの墓石に刻まれた名の人物として扱われている。
それはずっと感じていた。実の娘であるネヴィアとなるべく差別しないように扱っていてはくれたが、どこかで腫物を扱うように大事にされている、と。
かという自分も、口では一応『養父(とう)さん』と言いつつも、心の中ではどこか一線を引き、最後までぎこちないままだった。
そんな、お互い様な状態を、ネヴィアは何度払拭しようとしただろうか。口を酸っぱく、子供らしく振舞え、甘えろと言われた。
自分は子供なのだから、行動の全てが子供らしい幼稚なものであり、何をするにも周囲に甘えていないと成り立たない生活をしている。だからこそ、甘えるという意味が分からなかった。
だが、ここに来てようやく、その意味が分かった気がする。
最後まで『聞き分けの良い子』を演じたがったのだろう。
そんな俺を見て、ネヴィアがバカヤロウと言ったのだろう。
結局、最後まで俺は『気を許せなかった』のだ。
俺は家族になれないなんて思って、勝手に壁を作って、俺から突き放していたのだから。
それでも義父もネヴィアも家人の方々も根気よく、俺に接してくれていたのか。
そして、家紋入りの懐中時計。蓋の内側には、我が子へという小さな一文が刻まれた、確固たる物理的な証。
「俺は……なんて馬鹿なんだ」
失くしてから、初めて分かった。だが、失くした時間は戻ってこない。
せめて、この手紙の主が祈るよう、前に進むしかないのだ。
しかし、義父からの手紙から散見できる『別れ』と、この荷物から一抹の不安がよぎる。
そして、木箱の中。
ざらりとした嫌な感覚が、背筋に這った気がしつつも、次の紙に手を掛けた。
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ダインへ
お久しぶりですね。
貴方のことを忘れた日は無く、
陰ながら貴方を見守ってまいりました。
貴方のためとはいえ、
このような形でしか、何かをしてあげれない
至らない母でごめんなさい。
いつか、貴方が戻ってこれるのなら、
成長した姿を間近で見たいです。
その日が訪れることを祈ります。
エリナール
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これが実母からの手紙である事は、文面からでも一目で分かる。
しかし、母という存在は、もうすでにも行きつくことのできない遥か彼方を連想するような、果てしなく遠い感覚と同じだった。
俺が引き渡されるよりも数年前から、いつの間にか接触が禁じられ、同じ家の中にいながらも顔を合わせることが無かった実母。養子に出され、その上で軟禁指示と、何を考えているのか本当に分からない実父に、それを止めようとしない。
大変な立場にいることは理解しているが、子として理解したくなかった部分が多く、このような手紙を貰ったところで、何を思えばいいのかも分からない。
見たかったのなら、何故会いに来なかったのだろうか?
この手紙ですら、残念ながら誰かが代筆したのだろうかと勘ぐってしまうほど、俺は生家のことを良くは思っていない。
そして、気の進まない三枚目の手紙を広げた。
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貴殿を諸般の事情により、国外永久追放に処する。
なお、貴殿の保護に関し、下記の者に一任してある。
当書面を持参するよう。
サイペリア国 首都サイペリス 東区
アーサー・ヘリオドール
行くかどうかは任せる。
好きにするがいい。
生きろ
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「………………………………………………」
もう、考える事すら馬鹿馬鹿しかった。
確かに外へ出たいという希望は、伝えてあった。
三枚を通して、それが今叶っている状況なのだというのも理解はした。
……ただ、何も知らされないまま生家から追い出され、自分の葬式を見せ付けられ、監禁されと、色々な形で振り回された挙句に、俺は『何らかの理由』で『国外追放』になった。
俺が何をしたというのだろうか。
まるで仕方なくこうしたと言わんばかりだ。
何故、何も教えてもらえないのか?
何故、今まで監禁する必要があったのか?
国外にアテがあるなら、何故最初から出さなかったのか。
分からない。
分からない、分からない、わからない。
俺自身の人生を、俺以外の人間が決定する。
どこにも俺の『個人』たる人格と決定権は、存在していない。
「ハ……ハハハ……ハハハハハハハハハハハハ……」
乾いた笑いは、今の乾いた心そのものだった。
何もかもが不本意で、何もかもが自分のことなのに、自分が一番分からないというこの状況は笑うしかない。
不本意に殺されて、不本意に生かされて、不本意に放逐された。しかも誕生日にだ。
これは国の守護神からの試練だったのか、それとも悪魔の悪ふざなのか。
否、これはヒトが意図的に組んだもの。
当事者だけが知らない、喜劇なのかもしれない。
観劇が終わったから、野に放されたのかもしれない。
「何が生きろ、だ」
先の文字列が印字機を使った物に対して、何故か最後の三行は手書きであった。形式的な冷たい書状に吹き込まれたヒトの温もり。
(貴方というヒトは、何をしたいんだ)
この手紙の差し出し主であろう実父が何を思って、この文章を追記したのか、何故こんな文面を残したのか、先の行動や決定から見ても、俺には理解できなかった。
本当なら相手の望みなんて叶えてやりたくないのだが、自分の望みと一致していることが腹立たしかった。
今の自分には、この手紙が示す場所へ行く以外の目的がない。
それでも、ただ好き勝手に生きろと放り出されてしまうよりは、示されているだけマシというべきか。
「……………………ハァ、出るか」
溜息をつきながらも、手紙や懐中時計をウエストポーチの中へ戻し、周囲の物の確認を始めることにした。
改めて身に着けている物や、周辺に置かれた物を見ると、ブロードソード以外はどれも新品であった。
プレートメイルを含めた防具一式は儀礼用の名ばかりな品ではなく、鋼の合板が用いられた装飾がほとんど無い実戦仕様の品々。プレートメイルの腹部は厚手のゴムで出来ており、機動性と防護性を保ちつつ、軽量化が図られている。
続いてウエストポーチ内にある財布を確認してみれば、紙幣で十万ベリオン、小銭で三千ベリオン分がすでに入っていた。
新品の装備一式、お金の入った財布。完全に旅立ちの装備一式であり、まるで餞別と言わんばかりだ。
(まぁ、有るだけマシということか)
大きく溜息をつきながら、装着しやすそうなグリーブやガントレットを引き寄せた。
まずはグリーブ。脛当て式であり、脛に装甲を宛がうと、あとは脹脛(ふくらはぎ)と足首部分のベルトを締めるだけだ。念のため、足の甲部分に当たる小さな装甲の可動を確認する。
次にプレートメイルに手を伸ばした。先にネックガードとショルダーガードを外し、ワンピース上の本体のみにする。胸部分の装甲を外し、腹部のゴムカバーのファスナーを開けると、メイル自体が観音開きのように左右へ寛げるので、ここでようやく着込む。後はファスナーを上げ、外した胸の装甲、ショルダーガード、ネックガードの順に再度装着。
さらにウエストポーチが付いたベルトを、ウエストガードの接合部分の上に乗せるように締め、背面にポーチが来るようにする。
最後にガントレット。構造はグリーブと似ており、腕の外側だけを守る当て物のようだ。だが、手甲部分から肘の先までカバーされたロングタイプであり、簡易的な盾も備えた代物となっている。
「……疲れた」
一通り着終わったら、再び大きくため息をついた。
さすがに、この狭さで座りながら鎧を着るというのは辛いものがあり、何度も壁面にぶつけてしまった。目立った傷こそないが、この装備が最初に負った傷は木の板から貰ったものだというのは、なんとも不名誉であろう。
外に出てから着るという選択肢もあったが、出た途端に襲われてしまっては元も子もないので、これでよかったのだと自分に言い聞かせることにする。
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