1-7 語り-創世神話-

 ネストの建物を出てからは、街の北側の丘にある教会を目指した。春の晴天、そして真昼間という時間のために日差しが強く感じられたものの、西からの海風と東側に広がる巨大な草原から来る風がぶつかり、暑さを忘れるほど心地よい温度の風が吹き荒れる瞬間がやってくる。何度か風に乗せられた若草が、口の中に入りかけた。

 そんな風吹く丘は、街の西側から教会まで直通する石畳の階段が整備されており、手入れも行き届いているあたり、教会が街の一部として大事に扱われているのだと分かる。

「あのさ、聖サクリス教だっけ。どんな宗教なの?」

 教会の尖塔の先が見え始めた時、カキョウから質問の声が上がり、自然と歩みが止まった。

 聖サクリス教は、サイペリア国の国教であり、ここ数年の間に周辺諸国へも布教が行われるようになった大規模な宗教だ。アンバース邸にも、何度か宣教師らしき人物が尋ねてきたのを覚えている。

 しかし、何かあるたびに鎖国を繰り返すコウエン国には、聖サクリス教自体がまだ伝わっておらず、世間としてもあまり知られていないらしい。

「すまない……、俺もこの国の国教で、慈善事業に力を入れているということ以外は、知らないんだ」

 かく言う自分も、聖サクリス教については奇跡を起こした少年サクリスを崇め、慈善事業に力を入れる国教指定団体という認識しかなく、実際はどのような教義や理念で活動しているのかは知らないのだ。

「僕が知っている限りの事でよければ教えるよ」

 ラディスはネストの中でも護衛や交渉事など“対人”に特化した傭兵を目指しており、ミューバーレン国民でありながら、会話の種や礼儀作法の一環として、他国の宗教なども学んでいるという。

「そうだね……まず、聖サクリス教を語るには、歴史の話からはじまるんだ」



◇◇◇



 今から約二〇〇年前、天上に住んでいたと言われる『聖』の精霊たちと、魔界と呼ばれる地底のさらに向こう側に住んでいたと言われる『闇』の精霊たちが、“地上”で大規模な戦争を行った。

 戦争の理由やきっかけは不明であるが、この戦争によって地上、天上、魔界が破壊し尽くされ、世界そのものが崩壊寸前の大惨事にまで発展。特に地上は、ただ戦場に選ばれただけの無関係な位置づけであったにもかかわらず、多くの命と財産が奪われた。

 生き残ることが出来た人々は、この戦争を“聖魔大戦”という名前で歴史に残した。

「そして世界は、目に映るありとあらゆるものが、灰色の濃淡だけで表現された“無彩色の世界”へと変貌した」

 天上と魔界が破壊されたことにより、『聖』の精霊達が管理していた“太陽”と、『闇』の精霊達が管理していた“夜闇”が消え去り、明暗がなくなったことで目に映る色の濃淡以外の表現をしなくなった。

 また、地上にいた残りの『火』『水』『地』『風』の精霊達は、自分たちの生存を守るために、故郷である精霊界へ“色”を持って逃げてしまい、地上との境界を閉ざしてしまった。

 これによって、すべての精霊たちが地上から姿を消し、世界中から一切の“色”が無くなった。

「色と表現したけど、実際の色と同時に、世界中から“マナ”を持ち去ってしまったんだ」

 マナとは様々な自然現象の力を精霊によって精製された無味無臭、無色透明のエネルギー物質である。目視することはできないがあらゆる場所に存在し、風や水流、湿気のように肌で感じることができる。

 ヒトや動物など生物の体内に流れる“魔力”と呼ぶ、体温とは違った熱に反応し、マナ本来の姿である自然現象の力を引き起こすことができる。

 人々はこのマナと魔力を反応させ、威力調整や対象物の指定など、反応を管理する術を魔法と呼び、この時代の人々の日常生活を大いに支えた。

 しかし、マナを生み出すことが出来る精霊たちがマナを持ち去ってしまったで、世界からマナそのものが無くなった。

 どんなに魔力を放出しても、反応するマナがなければ、魔法は発動しない。

 つまり、魔法が突然使えなくなった。

 日常のあらゆる所作を魔法に頼っていた人々は、その日から火を熾す事も、水を呼び寄せる事も、風を起す事も、地を豊かにする事、あらゆる日常の一幕を行えなくなった。

 灰色の濃淡だけで描かれた世界で、魔法が使えないこと、精霊がヒトを捨てたことを理解した人々は嘆き、悲しみ、怒り、憎しみ、絶望し、発狂し、次々と死を選んでいった。

 大戦を生き抜いたはずの命が消えていき、世界は別の意味での崩壊へと近づいていった。



「無彩色の世界になってから数日経ったある日、一人の少年が天に向かって祈りを捧げ、“太陽”を復活させた」

 復活した太陽からは、光と共に様々な“色”が降り注ぎ、世界に溶け込んでいった。

 草木は青々しく色づき、花は赤白黄色と美しく咲き誇り、空は蒼穹に相応しい晴天となった。ソレまで息を潜めていた動物や虫たちも、色を取り戻した世界に心が躍ったのか、一斉に飛び出してきた。

 そして、色と共に世界から消え去った“マナ”も戻ってきた。

 肌に伝わるマナの感触に、人々は思い思いに魔法を放ち、精霊達によって奪われた日常が帰ってきたことに、むせび泣きながら歓喜した。

 人々が歓喜する中、世界に祈りを捧げた少年は名乗ることなく、人知れず何処かへ姿を消してしまった。

 その後、少年の姿を見た者は誰もおらず、皆世界のために命を犠牲に祈りを捧げ、黄泉路へ旅立ってしまったのだと考えられるようになった。

 人々は彼の尊い犠牲と功績を讃え、魔法名等で使用される古代の言葉“精霊語”の犠牲『サクリファイス』から、彼に聖人『サクリス』の名を与え、聖人・救世主として崇め、奇跡と功績を語り継ぐための集団『聖サクリス教』を立ち上げた。

 聖サクリス教は聖人サクリスの祈り、献身、犠牲の姿から自分達も彼と同じように『万民に、奇跡と愛を』運べるようにと、数多くの慈善活動を行っている。

 また、この奇跡の発生点が現在の聖サクリス教総本山であるサイペリア国の聖都アポリスであるといわれ、サイペリア国は聖サクリス教を国教として保護することとなった。

 現在では、『この世は神も精霊も見放した、ヒトの世界』であると、聖人サクリスの奇跡の話を交えて、周辺諸国への布教活動を行っている。



◇◇◇



「僕が知っているのは、これぐらいだね。この国……いや、世界の基本的な歴史ってことで覚えておくといいよ」

 これぐらいとラディスは謙遜気味に言うが初めて聞く者からすれば、まるで教会関係者のように見えるほどの記憶力と理解力に感服した。

 むしろこれぐらい様々な情報や知識に精通していないと、交渉事専門の傭兵は勤まらないということだろうか。名実共に箱入り状態だった自分と、鎖国の影響で他国の情報が入りづらいコウエン国出身のカキョウに宛てた、真摯なアドバイスと言ったほうが正しいのだろう。

 更にいえばこの先、外の世界で生きていくのなら、知らずに損をする場面が増えてくるはずだ。

 考えすぎだとしても、今の自分には大事な知識ではあるために、ありがたく受け取っておく。

「すんごい勉強になった。ありがとね! でも、他の国だと精霊様はヒトと世界を見捨ててて、新しい太陽はヒトの手で作り出されたことになってるんだね」

 聖サクリスの奇跡が前面に出た話ではあるが、二つの精霊が引き起こした戦争に、無関係であるはずのヒトと地上が巻き込まれ、他の精霊達は何もせず、マナを持ち去ってしまったという、精霊批判の話でもある。教本によっては“ヒトの時代のはじまり”とさえ書かれている。

 ここまでは、ティタニスでも共通の歴史観であるが、彼女がわざわざその点について聞いてくるという事は、かの国では違うということだろうか?

「コウエンでは違うのか?」

「そうだよ。シンエン様……あ、他の国だと火の大精霊だっけ? が、地上に残った精霊達と協力し合って、新しい太陽を作ったって」

 ヒトの時代のはじまりと銘打つ新しい太陽が、コウエンでは精霊からの最後の贈り物として描かれている。新しい太陽を作り、自分達の命をマナに変換したことにより、地上に残っていた精霊達は全て消え去ったという。

「へぇ……、コウエンってやっぱ不思議な国だね。ってことは精霊信仰がまだ残っている感じぽいね」

「残ってるというか……季節は巡ってくるし、火山は未だに噴火を続け、魔法は以前と同じように使えるから、シンエン様を含めたすべての精霊は、ただ姿を見せていないだけなんだって」

 コウエン国は、世界で最も多くの火山を持つ国であり、自然の管理者である精霊無き今でも火山活動が活発な土地である。

 噴火、火山性地震、間欠泉など多くの自然災害に見舞われる一方で、温泉や地熱、豊かな土壌や鉱物資源など、多くの恵みがもたらされている。

 このように炎や火山を司る『火』の精霊とは、生活から災害まで様々な場面で密接した国柄である。

 未だに活動し続ける火山がある故に、精霊は人々に姿を見せないようにしながら、この地上世界に戻ってきているのではないかと言われているようだ。

 そのために、コウエン国は火の精霊と火山を崇め奉る『拝火教』が、国教ととなっている。

 精霊が見捨てた世界と、精霊が救った世界。山脈を隔てただけの隣国で、こうも間逆の歴史的観念を持つというのは驚きであると同時に、面白いなと思ってしまった。

「他の国だと、どうなんだろう……?」

 それはカキョウも同じようで、新しい知識に触れることが楽しそうに見える。

「ミューバーレンでは冠婚葬祭や漁業と航海の成功祈願で便宜上、『水』の精霊の名前を使うことがあるぐらいじゃないかな。歴史も聖サクリス教の話に近くて、精霊が世界を捨てたからこそ、あの海竜が暴れまわっているんだって」

 海運や漁業を主産業にしているミューバーレン民からすれば、海竜の出現は天災以外の何物でもない。大戦以前の世界なら、精霊が自然の管理を行っていたと記されているために、海竜が発生しなかった可能性もある。 

 このように、生活が脅かされている状況に対し、何の天恵も無いことから、聖サクリス教の提唱する『ヒトの世界』に賛同する者も多いらしい。 

「ティタニスも?」

 自分の棺が運ばれていった先の教会はかつて、『地』の大精霊サルトゥスが祀られていた。聖魔大戦以前はサルトゥスを中心とした精霊信仰が盛んであったと聞いたことがあるが、大戦以降は姿と共に精霊という文字自体が歴史書から消えたことから、ミューバーレン同様に冠婚葬祭で名を使われる程度の概念でしかない。

 また、ティタニスの歴史教本では、海の彼方から昇った新しい太陽がマナを運び、無彩色の世界を終わらせたと言われている。この海の彼方がサイペリア国を指し、新しい太陽が聖サクリスの奇跡によって作り出された太陽と言い換えることができる。

 つまり、ティタニスの歴史自体も聖サクリスの奇跡のほうが近いのだ。

 しかし、監禁生活だったために、実際の街での扱われ方や一般的な考え方などは知らず、全ては身内の言葉や実生活の記憶を頼るほかない。

「ああ、似たようなもの、だ……」

 消え入るように、口の中で小さく「……たぶん」とつぶやく。

 嘘ではないかもしれないが、一般的な考え方からはかけ離れてる可能性もあるために、はっきりとした返事が出来ない事がもどかしい。

「そっかぁ……」

 そんな歯切れの悪い答えでも受け止めてくれたカキョウは、なにやら眼を輝かせながら、ゆっくりと遠くを見渡すように両腕を胸の高さで大きく開き、天に向かって深呼吸した。

「どうしたの?」

 ラディスがカキョウに問いかければ、さらに輝きを増した瞳でこちらに振り向いた。

「いやぁ、世界って見た目だけじゃなくて、いろんな意味で広いんだなーってね。……アタシ、今、ちゃんと“外の世界”にいるんだなって」

 コウエン国は鎖国を繰り返す国と言われるだけあって、外を受け入れることも少なければ、中から出て行くことも少ない。一生が国内だけで終える人々もいる中、彼女は危険を冒しながらも、己の人生に大きな印をつけたのだ。

 自分も輝く彼女に見習い、目の前に広がる“世界”に目をやった。

 左を見ればポートアレアの街並みと奥に広がる大海原が、右を見ればはグランドリス大陸最大の大草原地帯と地平線の彼方に霞む山々。上は雲が遠くにぽつぽつ見えるほど、澄み渡った真っ青の晴天。見渡す限りの広大な世界そのものが広がっている。

 それは、あくまでも目に見える物質的な世界のことでしかない。

 ところが、物質的な世界の遠くの果てに目をやれば、身体の奥底から押し広げられ、頬を伝う潮風に視野が乗せられるような、不思議な感覚に包まれる。

 まるで、自分自身が目の前に広がる世界に溶け込んでしまいそうな、感覚的な広がりが身体に溢れている。

(あぁ……、これが世界なのか)

 この青い晴天の下には何千万ものヒトが様々な国で生活し、各々の思想で生きている。これは壁の中では、決して味わう事の無かった感覚。

 自分の知っている知識だけが世界の全てではない。言葉として分かっていても、自ら体験して得た知識とは質が大幅に違うのだ。

「……そうだな。世界って、広いんだな」

 きっかけは歪な物になってしまったが、今こうして外の世界に立っているという事実が、自分の人生の大きな印となったのは確かだった。

 特に、監禁生活という強制的な箱入りと、鎖国という国策としての強制的な箱入りは、規模こそ違えど、俺達の共通点という意味なら似たものがあると思ってしまった。

「ふふ……これから二人は、色んな場所を見て回ることになると思うから、もっと世界の広いところを感じる事になるよ。

 でもその前に、目の前の問題を解決しないとね」

 忘れていたわけではないが、人命にかかわる大きな問題が目の前にそびえ立ち、世間知らずの実戦未経験者である自分に何が出来るかも分からない恐怖を、一時でも忘れていたかったのかもしれない。

 もう数百m向こうには、件の教会が見えている。

 再び呼び戻された恐怖心と向き合いながら、止まっていた歩みを再開させた。

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