1-8 出会い-人生の先輩-
変わらず晴天の下、春風と潮風の合流する丘の頂に建つシュローズ教会は、孤児院を併設した『聖サクリス教』の中でも大型施設である。同時に、隣接する灯台が街の最も高い位置から海に出る者たちの安全を祈る、名実共にポートアレアの象徴となる建物だった。
街の建物と同じく、白い漆喰の塗装が施された石レンガ作りだった。正面には奥行きのある街中で見た三階建ての建物ぐらいの高さがある礼拝堂が建ち、海面となる正面向かって左の西側には、礼拝堂の倍ぐらいの高さがある白亜の灯台がそびえ立っている。
また、孤児院を兼ねた宿舎は、礼拝堂から東側へ垂直に連結しており、上から見ればΓの形をした造りをしている。
礼拝堂と宿舎の間には、教会の職員と孤児達で作ったような手作り感溢れる木の柵で囲われた菜園が広がり、その奥には数種類の果樹も花をつけている。礼拝堂と灯台が海風を和らげる壁となっており、建物の構造を利用して塩害対策を採っている菜園となっている。
礼拝堂の入口は両開きの木製の扉となっており、先導していたラディスが数回叩くと程なくして「どなたですか」という女性のような声が聞こえてきた。
「ネストから来た“援軍”です」
ジョージに言われたとおりにラディスが答えると、再び女性の声で「入ってください」と許可が出た。
しかし、ラディスは許可を得たにもかかわらず、扉に手を掛けることなく、じっと扉を見つめている。
「……ダイン、左手で左の扉をゆっくり開けて」
はじめは、何故そのような指示を出してくるのか、分からなかった。
しかし、彼の表情が徐々に険しくなり、この扉の向こうから声を発した女性が依頼主ではない別の誰か……敵の可能性など、様々な懸念があることを示唆している。
つまり、この瞬間……いや、ネストの建物を出たときから自分達の仕事は始まっている。場合によっては扉を空けた瞬間から誰かと敵対し、戦闘に発展する可能性も出てくる。
左手で開けさせるのは、俺の利き手が右であるためであろう。食事など様々な場面から読み取る機会は何度もあった。その意味で合っているかは分からないにしても、指示のまま左手を扉のノブに手を掛け、右手は背負っているブロードソードの柄に指をかけた。カキョウもその意味を読み取ると、腰に刺している刀の柄に手を掛けた。
指示通りに左側の扉を手前側にゆっくりと開けると、そこは自然光に近い色合いで照らされた物静かな礼拝堂が広がっていた。
正面奥には、赤や青などの彩度の強い色を使わず、自然光に近い白や黄色、淡い緑などを主軸に、聖サクリス教が主として崇めている奇跡の少年サクリスを描いたステンドグラスと呼ばれる巨大な硝子絵が飾られていた。このステンドグラスのおかげで、礼拝堂は明かりが必要ないほどの光量がもたらされている。手前には祭壇が置かれ、更に手前には五人掛けの長椅子が中央の通路となる空間を隔てて左右に五席並んでいる。
完全に扉を開け放っても何も起きない状況に、緊張感だけが膨れ上げって行く。
「……うん、大丈夫みたい。入ろっか」
するとラディスは一人何か確信したようで、横をすり抜けて、礼拝堂の中にあっさりと踏み入った。
突然の行動に慌て、彼の腕をつかもうと手を伸ばすと、寸のところで触れることが出来なかった。しかし、避けられた手のひらを見ると、皮手袋は色が変化するほど水分を含んでいた。
(魔法を使っていたのか?)
魚人族(シープル)が使う魔法の中には、空気中の水分や空気の流れを利用して、周囲の様子を探知できる魔法が有る事は知っていた。これは水生生物である魚の特徴を有した種族であるために、水分を利用した魔法が得意であると言われている。つまり、彼も水分を利用した探知魔法を使ったのかもしれない。
ソレが分かってしまうと、それまで張り詰めた緊張感が、空気を抜かれた風船のように急激にしぼみ、自分の胸の底も何か抜け落ちたように軽くなってしまった。
「おお? ラディスじゃんか。久しぶりだな」
中に踏み入れた途端、扉の影の向こう、つまり一時的にできた死角から男性の声を発した人影が現れた。
(ッ!?)
気が抜けた途端に現れた人影に息を呑み、背筋が凍りつく。心臓が突き抜けそうに痛い。
依頼主が女性であり、扉の向こうから聞こえた声も女性。加えて、ラディスの言葉から敵勢反応が無いという答えのはずが、頭の中で件の女性しかいないと思い込んでしまったために、この男と思われる人物の出現は想定外だった。
息を整えている間にも、人影は徐々に近づき、その姿がステンドグラスの光によって露になっていく。
光に照らされた髪は、輝くゴールドブロンドのふわっとしたボブショートヘア。上半身に比べ、明らかに長い下半身から理解できるほどの長身。見識のない自分ですら、美男という言葉が当てはまると思うほどの整った顔立ち。服装は白いシャツに赤の指し色と鈍い銀色に光る肩当が附属した黒のベストに、同じく黒色のスラックスと、動きやすさを重視した柔らかい黒化靴。言葉に表せば礼装風に聞こえるが、ベストの改造にシャツの腕まくりや裾出しなどと、かなり着崩しているため、堅苦しいという印象は無く、美顔と併せて爽やか好青年に見える。
特に眼を引くのが、髪と同じ毛色をした頭頂部に生える獣耳と、臀部に生えるフサフサとした尻尾だった。特に尻尾はスラックスが黒であるために、金色の毛並が映える。獣耳と尻尾を生やした種族は、犬や猫を祖先とする牙獣族(ガルムス)の最大の特徴である。
「トールも元気そうで何よりだよ」
ラディスにトールと呼ばれた牙獣族(ガルムス)の男は、ラディスと旧知の仲らしいが、抜き身の状態で右肩に担がれている、柄だけで青年の背丈に達する巨大な半月状の刃を持つ長柄の斧――バルディッシュに警戒を解けずにいる。
「……なぁ、そっちの二人は?」
それまでラディスと爽やかな会釈をしていたトールは、こちらに視線を寄越すと、観察するようにじっとりと見てきた後、表情をくしゃりと歪めた。向けられた険しい視線に、小さく息を呑んでしまう。
「お察しのとおり、彼らも含めて“援軍”だよ」
「はあああぁぁぁ……、あんにゃろ、帰ったらドついてやる」
ネスト受付のジョージが言っていた先輩傭兵が彼であるなら、そりゃ見ず知らずの小奇麗な若造に援軍といわれても、微妙どころか不安要素と期待はずれの落胆しかないだろう。じっとりとした視線がやがて恨みを持つ睨みへと変わり、溜息と共に地面へ吐き捨てられた。
トールは再び顔を上げると、それまでとは打って変わっての、一番最初に見せた爽やかな青年の顔だった。
「見苦しいとこ見せちゃったな。俺はトーラス・ジェイド。トールでいいさ」
自己紹介をしながら、バルディッシュの刃を専用の皮袋に納めつつ、礼拝堂内に響くような足音をわざとらしく立てながら、こちらに近づいてくる。
今まではトールとの間にそれなりの距離があったために気づかなかったが、眼前まで近づかれると自分よりも目線が僅かに高いことに気づいた。
「今日は俺のサポートよろしくね、お嬢さん。危なくなったら、お兄さんの後ろに隠れるんだよ」
そして、自分には目もくれず、俺の斜め後ろに立っていたカキョウの前に膝をつき、恭しく右手を差し出していた。右に抱えていたバルディッシュもいつの間にか、左側に持ち変わっている。いわゆる貴族が目上の者に対する紳士的挨拶の姿。
「は、はぁ……」
先ほどまで恨みを垂らしていた長身の男に眼前まで迫られ、急に紳士然と優しく振舞われれば、その差に引くのも当然だろう。
「…………あれ? え、何、君のこれ、本物?」
カキョウはトールの右手は受け取ることなく驚いた表情で固まっていると、トールの興味はカキョウの頭に生えている角へと移った。
「そ、そうだけど……」
「ワーオ! 俺、ホーンドの女の子と知り合うなんて初めてなんだよね! ねぇ、君、名前は!?」
「え、ええっと、カキョウって言い、ます」
「いいねぇ、いかにもって感じだね! その服装に腰の武器も! そっか、君は本物なんだね! いやー、お嬢さんに出会えて、俺は運がいい。俺の事はトールって呼んで。お兄さんでもいい! 何々? 君もネスト入り希望なの? 嬉しいなぁ! もう、お兄さんが手取り足取り教えちゃうからね!」
それまで紳士然としていた彼は、好奇心を爆発させた犬のように尻尾を振り乱しながら、いつの間にかカキョウの手をがっちりと握り、軟派な態度連打で詰め寄っていた。さすがにカキョウも表情が完全に引きついっている。
とどのつまり、これが噂に聞く軟派と呼ばれる存在なのかと、自分の辞書に書き加えた。
「どぅどぅトール、それぐらいにしよう」
二人の間に割って、強制的に引き剥がす事に成功した。ラディスの仕草は、似たような現場に何度も遭遇しているのではと思うほど、実に手慣れたもののように見える。
「おいおい、俺を犬みたいに扱うな」
昔、ネヴィアが小型の……いや、純人族(ホミノス)の大きさにして中型ぐらいの犬を拾ってきたことがあった。目の前の青年は人懐っこく、常に嬉々とした表情と盛大に振られたしっぽ、相手に対する執着の姿が見た目も相まって、正にあの時の犬を連想させるものだった。
「今の君じゃ、犬同然だよ。せめて時と場所を考えようよ」
忘れそうになるが、今いる場所は礼拝堂の中だ。入るまで漂っていた厳かな雰囲気は、当の昔に何処かへ去ってしまっている。
「仕方ないじゃないか。最近の仕事はムサい野郎ばっかりだったんだ。これぐらいの栄養補給は許されるべきだと思う」
「ソレはご苦労様。でもやるべきことを先にやろう?」
「はぁ~……分かりましたー。んで、名前は?」
ラディスに諌められたトールは、あまり乗り気じゃないけどと小言をつぶやきつつも、こちらの名を聞いてきた。
まぁ、そんなはっきりとした態度を取られてはあまり良い気分ではない。
「ダインです。俺たち二人とも駆け出しにも満たない半端ものですが、ご教授よろしくお願いします」
が、わざわざこちらから礼儀を欠いて、今後の関係を悪くする必要もない。背負っていたブロードソードを外し、深々と頭を下げた。
「おおぅ……頭を上げろ。なんか調子狂う」
こちらの態度にトールは思いの外、驚いたようなそぶりを見せた。
ネストでも言われていたように、最近の新人は粋がっている者たちが多く、自分のような礼儀を通す者は本当に珍しいようだ。
「そうか、お前がダインか。話は聞いている。……てか、何、同時に教育するってことか?」
「アハハ……そうみたい」
「……やっぱりド突く。ぜーったいド突く!!」
笑みを基本とするラディスと違い、驚き顔に怪訝顔、憤慨とトールという男はなんと表情豊かだろう。
察するところ、本来ならトールはラディスから自分を引き継いで、傭兵家業及び社会の中での生き方を教育するようになっていた。且つ、この援軍は自分達ではなく、別のベテラン傭兵が来るものと思っていたのだろう。無理矢理な予定繰上げと無理難題に、彼の落胆と怒りは、火を見るよりも明らかだ。
また、彼らの会話からも、俺が傭兵を含めた突発的に賃金を稼ぐ事が可能な職業を案内し、長期間サポートする者を宛がう事は、全て織り込み済みのかなり手の込んだ国外追放計画だったように思える。
果たして、自分の存在はそんな施しを受けるような価値があるのだろうか?
なら、何故今更……と結局、同じ疑問を抱き、分からないし、もう知る事もないと何度も同じ答えに行き当たるのだ。
「トール殿、もうよろしいですか?」
入口から右手、西側に伸びる廊下の入口から、こちらを窺うように女性と思わしき人影が姿を現した。
大きな白い襟を持つ紫色のロングワンピース状の修道服と呼ばれる聖サクリス教の制服を纏い、頭はベールと呼ばれる修道服と同色の布で顔以外を覆っている。頭をベールで覆っているためにかなり近づかれることで、ようやく初老に達する前後の女性であることが分かった。声に聞き覚えがあり、恐らく礼拝堂への入室許可を出した声も、この方だろう。
「ああ、すみません。この三人がネストからの援軍になります」
トールが代わりに紹介をすると、初老の女性はこちらの顔を一通り一瞥し、ゆっくりと頭を下げてきた。
「ワタクシは、ここの修道士長を勤めております修道士(クレリック)のマイカと申します」
修道士(クレリック)とは、『救世主である聖サクリスが世界を救った時のように、区別も差別もなく、万民に愛と奇跡を差し伸べよ』という、博愛の精神を教えとする聖サクリス教に心身を捧げ、様々な奉仕活動や慈善事業を行う者たちのことである。
修道士となったものは、組織的な階級はあれど皆、救世主サクリスの恩寵を預かる兄弟・姉妹として互いを男性修道士は兄弟(ブラザー)、女性修道士は姉妹(シスター)と名前の前に付ける。このブラザー・シスターという呼び方は、聖サクリス教の教えに賛同する一般的な信者と修道士を区別する時に用いられる事が多く、世間一般でも敬称として使われている。
「此度は、我らが姉妹……シスター・ルカを救出していただきたく、お願い申し上げた次第です」
シスター・マイカは頭を深々と下げ、改めて依頼内容であるシスター・ルカの救出を請願してきた。
頭を上げてもらうと、その表情は不安を滲ませながらも、憔悴という言葉には程遠く、どこか自信と希望を持ち合わせたような凛々しさを感じさせた。
その表情が自分の眼に焼き付いた。なぜそんな表情ができるのだろうか? 一種の身内がさらわれたことに対する不安や恐怖心はないのだろうか? どうしてそんな表情ができるのだろうか? 悲しいことに、今の自分にはその表情の意味が理解できなかった。
シスター・マイカはトールに促され、今回の事件の当事者であるシスター・ルカと犯人集団である『バッドスターズ』について、自分たちに語り出した。
シスター・ルカは孤児院の中では職員を除くと最年長の十五歳であり、純人族(ホミノス)の女子とのこと。
「アタシより一つ下だ……」
口ずさんだのは、カキョウだった。カキョウが自分よりも二つ年下……といっても、先日誕生日を迎えたばかりなので、彼女の誕生日次第では一つしか違わないか?
ともかく、少なくともシスター・ルカがカキョウに近い年齢であり、純人族(ホミノス)であるということは、一種の救出材料になるだろう。
また、既に修道士(クレリック)として教会運営の手伝いと、人々の外傷を『療』系統の魔法で治療を行う癒し手見習いを行っており、近々、一つ上の階位である司祭(プリースト)への昇格試験を兼ねた巡礼の旅に出る予定であった。
「恐らく、彼らは分かっていて、この時期を選んだのだと思います。
それだけ、彼らは以前のような可愛げのある集団では無くなっています」
犯人であるバッドスターズとは、街の秩序や大人の意見に対し反感や疑念を抱き、非行という形で自分たちの意思を伝えようとする成長過程の青年たちが自然と寄り集まった集団であると同時に、創設から四十年と言う歴史を持つ“青少年の倫理観育成に関わる必要悪”の一種として認識された街の伝統的な青年団の一種であった。
主な行動内容は、露店の商品を盗んだり、民家への落書きなど軽犯罪に分類される行為ばかりであった。しかし、補導や軽い懲罰などで教育したり、反対組織である青年自警団等が対処することによって、前述した伝統と必要悪という危うきながらも、均衡が保たれた街の一要素であった。
また、行き過ぎた行動をとれば、マーセナリーズネストの屈強な傭兵たちが出動する状態だったが、いざ傭兵たちに睨まれたら、しばらくは恐怖におびえる子犬同然のように大人しくなるという、可愛げのある集団でもあった。
ところが、約一か月程前から、それまでよく吠える子犬と思われていた非行集団が突如、恐喝や暴行、強盗、器物損壊といった庇い立ての出来ない明らかな犯罪を犯すようになっていった。
「上の連中も度が過ぎているって怒ってな、ネストで下っ端一匹捕まえて白状させた結果、どうも『頭が変わった』らしい」
バッドスターズの新リーダーとなったのは、巨人族(タイタニア)のグローバスという男。種族特有の巨躯と魔物のような酷い人相を持ち合わせ、体格と顔に物を言わせ、サイペリア国内で恐喝や暴行を繰り返していた重犯罪者兼賞金首であった。
サイペリア国首都の牢獄に放り込まれていたが脱獄し、行方知れずとなっていたが、バッドスターズを乗っ取り、犯罪行為を指示していたことが証言から判明した。
重犯罪者の隠れ蓑と再出発点にされたとあって、伝統としてバッドスターズを可愛がってきた街の大人たちが『思い出を汚された』と大激怒。
「そして、今回の誘拐事件が起きちまったことで、堪忍袋の緒が切れた上の連中が、修正という名の掃討作戦を行うことを決定したってわけ」
まず交渉に応じる構えを見せつつ、この交渉の場に街の総力を差し向けるという“噂”を相手に与える。相手が噂を真に受けて、白旗を揚げるなら儲けモノ。
想定としては、噂を聞いて街の守備が手薄になったと思い込ませ、街を襲うように誘導しつつ、ノコノコとやってきたところを一気に叩くという誘い込み戦法。街側はバッドスターズの反対組織である青年自警団、街の衛兵、海竜騒動で出港停止を食らっている気が立った船乗りたち、日頃店を滅茶苦茶にされ作戦に意気揚々と準備する街の大人たちと、種類と数に富んだ編成の守備隊が待ち構えている。
また、建前として交渉も行うために、町長とその護衛役としてネスト所属の傭兵で構成された交渉部隊が交渉現場に赴き、交渉を進めつつ可能な限り敵を殲滅するという、街と交渉現場のそれぞれが戦場となる大規模作戦である。
「そう、うまく誘導されてくれるものなのか?」
相手が噂に飲まれることなく、交渉場所にて総力を結集させている場合がありえる。または、人質を含めて総力を街のほうに向ける場合もある。交渉期日を改める等の逃亡でもされれば、シスターの命の危険性は大幅に上昇してしまうことも予想できる。
「さぁな。元々の粋がったガキの集団だったら、馬鹿の一つ覚えに交渉場所で大人しくしてるだろうけど、今の頭じゃ予測がつかない。だからどんな状況になってもいいように、いくつかの遊撃隊を準備してある」
特に交渉場所が森の分け入った先であり、周囲は木々で囲まれた閉鎖空間である以上、大人数での行動は大幅に制限されるため、交渉部隊もいくつかに小分けされている状態であるようだ。
「でだ、俺達はその遊撃隊の一つとして動く」
そういってトールは、一枚の行動指示書を差し出してきた。
主任務は依頼にもあったとおりシスターの救出。開始時間は十四時五十分。脅迫状に書かれた指定時刻より十分早めに到着し、小屋の周囲や内部を偵察しつつ、救出方法を模索。可能なら救出行動を行い、不可能と判断したら定刻どおりに到着する交渉部隊に合流せよという内容である。
救出と銘打ってはいるものの、目視範囲内に見張りがいない等のかなり安全な状況にならない限りは危険な行動を避け、交渉部隊及び人質の安全性を高めよと記載されているあたり、本命の任務は偵察行動にあるようだ。
(俺達は建前部隊ってことか)
トールが口に出さずに、指示書として紙で伝えてきたのも、シスター・マイカ等への配慮と言ったところだろうか。
たとえ建前のお飾りであっても、救出部隊と謳っている所にド素人の自分達が宛がわれるのは、いくら街ぐるみの付き合いで人手不足だと理解されていても、失礼に当たるだろう。
「うんじゃ、説明は終わり。質問はあるかー?」
他の細かな事については、現地に行く道すがらに話すらしいので、ここではもっと大まかな事への質問受付と言う事だった。
「では、シスター・マイカ殿に一つお聞きしたいのですが」
「ええ、何でしょう?」
「その……不安ではないのですか?」
これまでの話を聞いていれば、自分達が如何に素人集団であることかは、十分理解していただけたはずなのに、シスター・マイカは指示書の本当の内容を知らないとはいえ、こちらの作戦会議に口を挟むことなく、毅然と静観していた。
だからこそ、こんな自分達に任せてしまっていいのかと、問いたくなった。
シスター・マイカは一瞬驚いたように目を見開くと、それまでの静止した真顔を崩し、何故か朗らかな笑みを零した。
「フフフ、貴方は若い……いえ、少々幼いようですね。お答えしますと、不安はもちろんあります。先の話からも、お二人は実践経験が全く無い、完全な素人であることは伺い知れました。
ですが、作戦への着眼点や、ちゃんと“恐怖している”という点では安心しているのです」
ネストでも言われていたが、粋がっているだけの素人に比べれば、幾分かはマシというのは、市民目線からも同じことが言えるということだろうか。
「それに、トール殿とラディス殿には、何度も助けてもらっていますので、実力も分かっております。
ですので、私は今回、あなた方“ネストの人間”を信頼することにしました」
つまるところ、トールとラディスの安定感が自分達という不安要素よりも大きいために、不安は無いということか。
それでも我が子同然に育てたシスターの救出というだけでも、大きな賭けだというのに、不安要素の俺達まで許容してしまうとは。
(なんと、肝の据わっている御方なのだろうか)
「まぁ、正直、私が信じてあげなければ、シスター・ルカを待つあの子らがもっと不安になってしまうというところもあります」
そういって、シスター・マイカの視線の先には、廊下の入口からこちらの様子を窺う大小種族様々な顔ぶれが、不安げな表情でこちらを見ている。子ども達の服装は、聖サクリス教のシンボルマークである涙型の印章が刺繍された紫色のシャツと、白のハーフパンツで統一されていた。
先日まで長きに渡った監禁生活の中では、常に自分が一番小さいという環境であり、年の近いカキョウとラディスを抜けば、遥かに自分よりも小さい子どもという存在を初めて目の当たりにし、息を呑んでしまった。
「皆、ルカを姉と慕う子達です。私のためというより、あの子らのために、どうぞよろしくお願いいたします」
シスター・マイカは視線をこちらに戻すと、改めて深々と頭を下げた。
不安は誰にでもある。ただ、自分以上に不安を抱えやすい者たちがいるからこそ、年上である彼女が毅然と振舞うしかないだけなのだ。
入口の陰に隠れる子どもたちを見れば、すすり泣く者、眉間をクシャリとゆがめつつ、服の裾を握る者。より大きな子どもに抱き付く者。ここが孤児院であるということは、子ども達は自分と同じく親から何らかの事情で放された者たちだ。彼らにとって、ここでの年長者は全て、肉親代わりであり、心の拠りどころであることは、自分だからこそ身を持って分かっている。
(グラフ殿……、ネヴィア……、ルシアさん……)
心のどこかで、最期の一歩が近づけていなかったとはいえ、やはりあの屋敷と住まう人々は、曲がりなりにも“家族”だったのだ。子ども達の痛ましい姿を見て、ようやく気づかされた、遅い心の真実。
「……死力を尽くすと誓います」
孤児院の子らの視線を見てしまったからこそ、自分もまたより一層の任務と責務に対する恐怖を抱きつつも、シスター・マイカ同様に毅然と振舞うしかなかった。
一秒でも早く、この子たちの不安を取り除いてやらなければ。
「チビども! このお兄ちゃんががんばってくれるってさ! それに、今夜にはルカちゃんは帰ってくるから、今の内に泣き止んでおけよ!
……それじゃ、出発します」
子ども達には励ましの激と勝利を約束した笑顔を飛ばしつつ、シスター・マイカに一言挨拶すると、トールは力強く玄関口へと踵を返した。。
「ルカおねえちゃんをお願い!」
「悪い奴等やっつけちゃえ!!」
子どもたちは口々に、シスター・ルカの救出とバッドスターズへの報復を、目頭に涙を溜め込みながら願った。それだけシスター・ルカという存在は、子供たちにとっても大きなものであり、この任務がただの救出任務ではない事を色づける。
(タイタニアの犯罪者……か)
自分は巨人族(タイタニア)というわけでもなく、ましてや生まれ育った巨人族の国から追放された身であるために、想う部分は無いと思っていた。
しかし、この胸の奥に生じた小さな痛みは何なのだろうか? 女々しく、あの国を故郷と思い、自分は巨人族(タイタニア)としての出来損ないと思ってる部分がまだあるということか。ヒトというものは、そうそう簡単に割り切れない生き物なのだと、つくづく感じさせられる。
それでも、振り返ればシスターの帰りを待つ子ども達の泣き顔に、感傷はかき消されていった。
この小さな子供らを泣かせているのは、他でもない大きな大人なのだ。しかも自分の巨躯を利用して犯罪を行っている。小さき者を守るのが大きな者の役割ではないだろうか? と、感傷を胸にこみ上げる怒りに切り替えながら、自分達は教会を後にした。
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