1-9 武器を振るう意味
懐中時計に目をやれば、時刻は十四時。教会を出てから街に戻らず、教会の敷地から北東の森へ入った。
森の中は、中天の陽光が木漏れ日のように差し込むものの、基本的には薄暗く、空気に湿り気があるように感じる。今、歩いている道は、町や教会の人々が薬草や木の実、キノコなどの採取を行うために軽く舗装が施された小道であり、想像していた森の中の道よりは歩きやすく感じた。
面白い事に、この森は小道を挟んで左右の木々の色や種類が違う。
左側は西に広がる大海の影響を受け、塩害のように木々の色が薄く変色している。右側はその影響が少ないために、青々しく苔むした木々が立ち並ぶ。
「さーてと、ダインとカキョウちゃん、君たちに確認しておきたいことがある」
分け入って程なくした時、先導していたトールが神妙な顔つきで振り向いてきた。
「二人は大型の刃物を今持っているが、ヒトを切ったことはるか?」
その言葉と次第に鋭くなっていく彼の眼光、そしてこの先にある想定される事態に、嫌な汗が背中を伝う。
先の作戦説明では、自分たちが危険になることは無いだろうと言っていたが、それはあくまでも事態が目算通りに進んだ場合でしかない。
むしろ、状況だけで言うなら、敵の本拠地に近づく時点で危険が無いなんてありえない。
ましてや、暴行や強盗など人に危害を与えるようになっている集団である以上、鉢合わせとなれば戦闘状態になる可能性は間違いなく発生するだろう。
トールの質問はその点を踏まえて、こちらの実戦経験を聞こうとしている。
「真剣を使った模擬戦と昨日、ケンギョというモンスターと戦った程度だ。……だが、意図的に人間を斬ったことはまだ無い」
模擬戦といっても、相手は力量の知れたネヴィアだけであり、グラフ殿が監督についた安全面の確保された場での試合のようなものだった。また武器を奪う、戦意喪失、次の行動で相手の死が確定する状態となったら、自動的に戦闘が終了したために、実戦的とは言いがたく、昨日のケンギョとの戦いが、初の実戦ということになる。
「アタシは……人間は無いけど、ダインと同じくケンギョと……熊なら」
耳を疑った。ケンギョ戦での身のこなしなど、実剣の扱いに慣れているとは思ったが、まさかあの“巨大で、獰猛で、腕一振りで命を刈り取られかねない生物”との戦闘経験があると言い出した。
「……は? それは……本当、なのか?」
世間知らずの自分でも、侯爵家であるアンバース邸に狩猟で生計を立てる領民から毎年一頭の熊が献上されてきていたので、死体として直に見たことがある。
巨大な黒光りの爪を持ち、全身が毛むくじゃらのずんぐりむっくりとした四速歩行の大型生物背丈は三mから四mまで成長し、平均的な巨人族(タイタニア)の身長をも上回る。一.八八mで矮躯呼ばわりされていた自分にとっては、モンスター同然の巨大な化け物としか思えない生物だ。その巨体を支える腕や脚の太さは、自分の腰周りと同じぐらいと太ましく、一振りで岩をも粉砕してしまう噂話も聞く。
「え? そんなに驚くことなの?」
そして、カキョウはこのとおり、驚くべきことではないという態度で言い放つ。
この世界における正しい認識での、平均的な女性の背丈はまだ分からないが、ティタニスの外では彼女のような屈強な女性が闊歩しているということか?
自分の胸元までの背丈しかないカキョウが、倍以上の大きさの獰猛な生物と殺り合ったという点や先の戦闘からも、剣士として二歩も三歩も先を行っている。
(剣の腕を見たいとか言ったくせに、コレは俺が全面的に守られてしまう側なのか?)
今までの自分の知る女性というのは、自分よりも遥かに背も体格も良く、力も拮抗した者たちばかりであった。故にカキョウはどちらかというと守るべき存在だと、どこかで勝手に認識していた。
「……ハハッ」
そんなのは儚い幻想だったようで、心の片隅に芽生え始めていた男としての小さなプライドが、乾いた笑いと共に散った瞬間であった。
「ああー、うん、そうか。……ねぇ、ダイン。ティタニスの熊は……特別大きいんだよ」
こちらが一人打ちひしがれていると、何処か合点のいったラディスから思いがけない言葉が飛び出た。
「あああ……、俺もやっと通じたわ。いいか、ダイン。ティタニス以外の熊ってのは、多少の地域差があれど大よそ二m前後、大きくても三mだ」
俺の反応に三人は少々怪訝な表情を浮かべていたものの、ラディスは苦笑し、トールは少々呆れた感じに変わり、カキョウは何のことか理解で出来ずに困惑している。
(まさか……他国の熊は……)
単純に、他国の女性が化物じみた強さをしているというわけではなく、ヒト同様に熊もまたティタニス限定で巨大化しているということか。
ラディスとトールはこちらの状況を理解しているようなので、カキョウに自分の知るティタニスの熊について話してみた。
「いやいや! その熊は大きすぎるよ!! そんなの、アタシなんてペシャンコになっちゃう!」
ペシャンコとはまた可愛らしい表現だと思いつつ、現金なことに安心と同時に崩壊しかけていたプライドがジワジワと修復していく。
「そ、そうか……ティタニスが色々と特殊なんだな」
「そうだね。今から見る風景のほうが、世界としては当たり前だから、どんどん吸収していくといいよ」
すかさず差し込まれるラディスのフォローに、自分はどれだけ救われていくのだろうか。つくづく、彼の優しさが身に染みる。
「さて、話が逸れてしまったけど……察していると思うが、十中八九戦闘が発生する」
偵察が本当の任務だとしても、見つかれば戦う事になるし、救出不可能の判断となれば交渉部隊と合流して、やはり戦闘になるだろう。
それについては、任務内容を聞かされた段階で分かっていた事である。
「言っておくと、俺達ネスト所属の傭兵は救出・護衛で生じた戦闘時は、“正当防衛という名目での殺人を許可されている”」
サイペリア国の法律では、本来いかなる理由であろうとも殺人は重労働付きの終身刑か死刑である。不慮の事故よるモノであっても、原因が大小関係なく人為的と判断されれば、責任者に連なる者全てに殺人罪が考慮される。刑法書の序文にも「犯罪者はヒトに在らず」と明記される程、世界屈指の厳しさを誇る。
その上で、ネスト所属の傭兵と軍属、公安機構だけはその職務の性質上、正当防衛と認められる場合、特例として必要となった殺害は、刑法の適用外となる。
(何なんだ、この厳しすぎる刑法と、ネストが持つ権限の大きさは!?)
どのように法律が作成され、制定していくのかは各国によって大きく異なるために、郷に従うだけである。
しかし、ネストの保持する権限については、任務が終わってからでも色々確認しておいた方がいいだろう。
「はい、質問」
考えに耽っていると、右手を天に向かってピンと伸ばすカキョウ。
「何でしょう、カキョウちゃん」
まるで生徒と先生ごっこのように、かしこまった口調でトールはカキョウの質問に答える姿勢となった。
「アタシとダインって、まだ傭兵ってわけじゃないでーす」
カキョウの言うとおりで、自分達は採用試験を受けている最中であるために、法の定める厳密な傭兵ではないはずである。
「いい質問だ。君たちはマーセナリーズネストから許可を受けた協力者として、任務中に限定して特例が摘要される。つまり今回の依頼においては、正当防衛による殺人は許可される。特に今回は、相手がタイタニアで、しかも性格も凶暴、残忍、狡猾、倫理観ゼロと性格破綻重犯罪者いうヤツだ。向こうは殺人もお構いなしに暴れ周り兼ねないから、その時には躊躇するな」
法的に許されるとはいえ、性格破綻の重犯罪者とはいえ、ヒト一人の命を奪って良しと宣言される事に、小さく違和感を感じた。
トールの言が正しければ、この国においては理由はどうあれ、協力者なり正当防衛なりの名目が成立すれば、殺人は簡単に許可されるということだ。
それでは実際は罰せられなければならない殺人も、言いくるめや解釈次第で万人がいついかなるときも殺人を行える可能性があるという、とんでもない法律とも読み取れる。
「……うわぁ、そうなんだ」
「もしかして、驚いた?」
「驚いたというか、厳しいのか緩いのか分からない法律だなって」
カキョウも似たように読み取ったのか、目を皿にしながら、引きつるように片方の口角が震えるように釣りあがっている。
「誤解しているみたいけど、この協力者ってのは事前に法務局に申請しておくか、捕まった際に適用外の組織からの弁護や証明を受けれないと、正当防衛が成立しても法の適用になる。君達の場合は、支部長名義での証明書が発行されるってことだな」
つまり、確固たる後ろ盾の無い正当防衛は、正当防衛とみなされず、犯罪として扱われる。
元を正せば、正当防衛の前の段階である犯罪を犯すものがいなくなれば、そもそも正当防衛なんていう状況は生まれない。
言ってしまえば、法律以上に“誰が犯罪者”であり、“何が犯罪”であるかを、立証できる証人と後ろ盾がない以上は、皆犯罪者も同然となりうる危険がある。
(何のための“正当”防衛だ……)
とにかく、巻き込まれないことと、後ろ盾の無い行動は避けることが、この国の歩き方なのだろう。
もっとも、その瞬間が訪れない事を願うばかりだ。
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