2-11 虚構の玉座を見上げる丘

 晴れ渡る青空の下、天蓋の町カラサスを朝八時過ぎに出発し、東へ向かってひたすら歩き通す。カラサスの町は緑地の最南端であると同時に、砂漠地帯の最北端に位置していたために、一時間も歩けばすぐに砂地は無くなり、空気中に水分が漂い始める。風に乗る新緑の匂いは、牧草や農作物の多かった西側とは違った硬質の匂いにあふれ、まさに“東側”地域に入ったことを実感させる。

 グランドリス大陸の東側と呼ばれる地域は、巨大な棚田を思わせるような複数の段差型丘陵で構成された地形であり、平坦な緑地の先にはいくつもの地層がむき出しの土壁が並ぶ。

「はーい、左手に見えますかなり高い丘のてっぺんに、この国の首都サイペリスがあります」

 観光案内人かのような仕草で左手の丘の上を指したトール。指示された先には四段構造の巨大な丘陵の一番上に、小さく尖塔のようなものが見える。あれが王城の一部であり、この国の選ばれた人種と思い込んでいる者たちが集まる場所ということだ。

「実際に見てみると、まるで階段の上の玉座だな」

「まぁな。そういう捉え方もあるから、首都の民の選民思想は余計に加速してる。加えて、聖都のほうから流れてくるエレンネス川に抱かれる様が町や住人の神聖度を引き上げてるように見えるんだとよ」

 ダインが言い表すように、あの頂きに見えるわずかな尖塔こそ、まさに玉座であり、この独特な地形も相まって、心意的優位性のような錯覚を見事に引き立てている。

「こうも断崖の丘陵地帯だらけだと、見上げるこっちとしては息苦しいよね」

 実際に見上げる先にあるのは美しい緑の丘陵というよりかは、地層がむき出しの土色をした帳だらけに見え、非常に圧迫感の強い視界となっている。

「これが西側から来る者の心理なんだよ。首都の者たちはあの高き頂で優雅に暮らしているんだろうという羨望と、丘陵の土壁から放たれる圧迫感に加え、その頂にたどり着くまで見上げさせられる息苦しさに、自然と自分たちが下位の人間なのだと刷り込ませてくる」

 初めにトールとタブリスが話していた時に、地形自体が人間の心理にそこまで影響するものなのかと考えていたが、故郷のコウエンはひたすら平野であり、ひたすら田畑が続く場所であったために、このような高さの乱高下する地形はそこまで多くない。

 だが、首都にある王宮は一般的な家屋よりも一段も二弾も高く作られている。それが防衛機能のためだけでなく、こうした視覚的印象操作のためにも高く作られている可能性も、この地形から放たれる圧力の前に考えさせられる。

「でもさ、ネフェさんみたいに翼があれば、ひとっ飛びなんだろうなぁ」

 それこそ、翼のある有翼族(フェザニス)の翼をもって飛べば、これらの高低差から生まれる選民意識なんて、大空から見下ろした米粒のように些末なものと思えるのだろう。

「確かに、ウィンダリアのほうがもっと標高も高かったので、あっという間に飛べちゃいますね」

 ちょうど進行方向となる東方の奥には、遠くであるにもかかわらず、すでに左手に見える首都の尖塔をも軽く超えてしまうほどの、切り立った山々が軒を連ねていた。

 かつて蒼穹の王国として名を馳せた有翼族の国ウィンダリア。目の前の切り立った山々であるグランドリス大陸北部のウィンダール山岳地帯全域を治めていた国であり、ネフェルトの故郷である。居住地の平均標高が二〇〇〇m前後という高山地帯であり、標高の高さと切り立った岩山という特殊な地形しかないために、翼無き他の種族が移り住むには難しい地形をしている。

 そんな天然の要塞めいた地形をしているウィンダリア国も、二十年前の領土拡大戦線によって陥落し、現在はウィンダリア自治区としてサイぺリア国に併呑され、人権擁護法によってあらゆる権利や立場を蹂躙されている。

「こう見ると、私って本当に高いところに住んでたんですね」

 故郷である高き山々を見つめながら小さくつぶやいたネフェルトの横顔は、どこか嬉しそうな口元と、悲しげな瞳という温度差の違う表情をしていた。

 口元は故郷を目にすることができたという喜びを表しているのだろうが、瞳が見せる悲しさは故郷に対する沈痛もしくは憂いなのではという、勝手な想像が頭をよぎる。

(故郷……)

 自分が消えてから約二週間。自分を追い出したかった実父と継母は、喜んでいるだろうか。自分を最後まで心配してくれた弟は、悲しんでいるだろうか。知らせもせずに国を出た私を、故郷の友はどう思っているだろうか。

 だが考えたところで、ここは声も便りも届かぬ海向こうの地。たとえ希少種族として、自分の身に危険が迫ろうとも、この地で命を落とすか故郷で自分個人を殺すかの違い。

 なればこそ、今この瞬間を謳歌し、足掻いて、自分らしく生きるだけだ。

「……っ!」

 突然、ルカが口元を抑えながら立ち止まった。その顔は若干青ざめており、まるで何かを探すように周囲を見渡している。それに気づくと、全員が立ち止まった。

「……やっぱり、これがそうなのかい?」

 そう言ってトールがルカに近づきつつ、同じように周囲を見渡しつつ、しきりに鼻と耳を動かしている。

「は、はい……。とっても、薄っすらですけど……瘴気です」

 瘴気とは、空気中に闇属性のマナが混じり、人体や自然に何らかの悪影響を与えるようになる穢れた空気を指す。本来は自然発生するものではなく、何らかの闇属性の魔術や呪術を行ったり、それらの影響を受けた者の体から発せられたりする人工的な穢れである。嗅覚の鋭いトールにもある種の異臭として感じれるようであり、彼には腐乱した生肉のような臭いに感じるとのこと。

 ただし、現在の臭気量的には人体への影響は一切ないほど薄く、あくまでも内在属性が聖であるルカが反対属性である闇に対して敏感であるのと、嗅覚的に優れているトールがほんのりの違和感を感じる程度でしかない。これが敏感でない自分たちにも分かる臭いになり始めると、人体への影響が出始める。

「ネフェさんも、何か感じるの?」

「うーん……それがですね、私には少し不思議なマナの流れという感じなんです」

 こと、魔法や魔術といったことに詳しく、また敏感であるネフェルトに話を振ってみれば、さっそく口元を抑えながら、考え込むしぐさをしていた。

「不思議?」

 しかし、そのしぐさは知的好奇心によるはしゃぎではなく、まるで納得がいかないことに囚われているような険しさが見える。

「今回の徘徊しているのは、ゾンビ。つまり歩く死体なんですが、私が知る死体を歩かせる魔法の形は、術者と死体との間に見えない魔法の紐みたいなものが繋がって行動を操作したり、動くための魔力を供給しています。

 ところが、この魔法の紐や魔法自体の痕跡や残り香が全くないんですよね」

 不死者(アンデッド)という存在は、活動を停止させた肉体を魔術にて動かされた人為的なものであり、自然に発生することはありえない。仮に自然発生があるのならば、それは精霊などの見えない高次元的な存在によって動かされているということである。

 現在、精霊のいないとされているこの世界(エリル)では、自然発生はあり得ないために、結果として何らかの魔法による人為的な方法によって発生している。ネフェルトは、その魔法痕跡そのものが感じれないと言っている。

「それって、二人が薄っすらって言ってるから、ネフェさんでも感じれないとかは?」

「その可能性はあるにはあるのですが、なんでしょう……焚火っぽい何かを燃やしたような微かな臭いはしているのに、焚火から出ている煙が見えないと言えば分かりますか? こんな感じで、在るのに無いみたいな感じなんです」

 どうも煮え切らないネフェルトの様子からも、本当に極わずかな違和感だけがそこにあるという状態のようであり、実際に現物を見ないことには何も始まらない状態である。

「まぁ、俺とルカちゃんとネフェさんは、それぞれ全く違う方向で感じ取ったわけだから、感じ方の個人差だったりその現象との相性みたいなものはあるだろう。あとは、キスカの森まで距離があるから、それも一つの要因かもな」

 トールの嗅覚、ルカの聖ゆえに反対属性である闇に対する感覚、ネフェルトの魔法とマナに対する魔術師的知覚、これらを動員しても初期段階での解明には至れず、やはり現地調査が必要であるという結論にたどり着いた。

「……もしくは個々の死体に、起動術式と行動の規則性を書き込んだ魔法陣、あと一定時間動くだけの魔力を埋め込んでいた場合は?」

 さて、ここで一人沈黙状態であったダインが口を開いた。

 内容としては、通常の不死者操作が魔法の紐によって繋がっているものという前提をあえて崩したものとして、蓄電装置のようなものを載せている可能性を示唆した。

「それは一応あり得るんですが、術式の書き込みにも魔力を消費しますし、死体を一定時間動かすための魔力って直接注入すると、生命活動をしていない体では固着せず、すぐに霧散してしまうんです。なので、紐をつないで適度に流しっぱなしのほうが楽なんですよ」

 不死者、つまりすでに生命活動を停止した肉体では、体を構成するあらゆる器官が機能していないために、魔力もしくは外的な力であるマナを貯めこむことができない。

「あと、魔法の起点になる部分に何らかの方法で魔力を生み出し続ける、もしくは周囲のマナを自動的に集めて魔力化させる魔道具的なものを埋め込めば、ダインさんのいう独立行動型アンデッドというのもできますが、基本的に魔道具は消耗品も含めて高価になりやすく、費用対効果としては大損なんです」

「なるほど……つまり、ネフェさんの理解しがたい方法か、痕跡を感じさせないほどのとんでもない魔法が行われていると?」

「そうなりますね。……ああ、これは早く現場を見てみたいものです。フフフ……俄然、興味が湧いてきました」

 自分の理解しがたい現象に対して不安を覚えているかに思えば、ネフェルトは次第に恍惚の笑みで、現場に対する思いを馳せていた。おそらく自身の興味がある事柄に対しては、とことん追求したいのだろう。魔力の全くない自分にとっては未知の領域、不要な知識であるために、ネフェルトの知識が高まっていくのはありがたいことので、暖かく見守ることにした。

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