【幕間】追いし背中の頼もしさ

 トールの説得によりようやくダインが寝てくれたが、彼は最後の力を振り絞って立ち上がると、虚ろな瞳で鎧をすべて解除し、天蓋のそばに積み上げ、青い外套を枕代わりに丸めて、天蓋に背中を預けるような形で寝転がった。しかも数秒を待たずにしてイビキが聞こえてきた。怒涛ともいえるあまりにも素早い行動にはトールと目が合ってしまい、お互い噴出した。

『それは男の役目だ』

 出会ってから今日でまだ七日。野宿の回数は三回ほどあったが、どれも彼が率先して見張りに立ってくれていた。外では男も女も関係ないといっても、体力の違いや昼間の戦闘を任せたいと説得され、彼はなかなか首を縦に振らなかった。

「そういや、ダインがまともに寝てる姿見るの初めてだな……」

 まともと言いつつも、砂地の上に直で寝ているために、野宿と大差はない。それでも、彼の見張りでの後ろ姿ばかりを見ていた自分にとっては、焚火の前から離れてイビキをかくほど深く眠っている彼は、とても新鮮に見えた。

 彼に近づいてみると、先ほどまで苦しそうだった顔は吹き飛んでおり、今はとても穏やかに、だが整った顔に似合わないほど大きく口を開けて盛大なイビキをかいている。整った顔の崩れる様は、出会ってからの少し固めな彼の印象を和らげてくれた。

「そうだな。こいつも慣れない野外生活のくせに、よく頑張ってくれたとは思うよ」

 七日前の箱から出てくるまでは長い監禁生活であったために外の世界を一切知らず、野外に触れることも、地面に寝そべることも初めてであったはずだ。それを事前に知らされていたトールから労いの言葉が出てくるほど、今のダインは本当に頑張って耐えている。

 自分も野宿が入る長期の旅は初めてあり、仮眠という浅く任意的な眠りというものに、まだ慣れていない。眠いと意識してしまうとしっかりと寝ようとしてしまうし、逆に眠くなくても眠らなければという時は眠れなかったりと、なかなか難しいものである。

「しかし、トールは本当に慣れっこだね。ダインより少し長く起きているのに顔色一つ変わらないんだもの」

「さすがの俺も疲れてはいるけど、伊達に傭兵生活を六年もしてれば、効率のいい仮眠の取り方とか疲労をためすぎない方法とか、いろいろと身についてしまうもんさ」

 トールは語りながら立ち上がると、買い物してきた荷物を持ち上げ、焚火の前に移動した。そんな彼を追うように、自分も自然と近い位置に腰を下ろした。

「六年っていつから傭兵してるの? アタシたちとそんなに年は離れてないように見えるけど……」

「俺は今、二十一歳。十五の時からで、そっからはずーっとさ」

 これまで、トールの年齢について直に聞いてみたことはなく、物の考え方や経験の違いから自分たちよりも年上だが、離れすぎてはいないぐらいという認識をしていた。実際は自分よりも五歳年上であり、自分の感覚は間違っていなかったと感じた。

「十五!? アタシより若い。え、家庭の事情か何か?」

 だが同時に、傭兵稼業を始めた年齢を知ると、去年は自分が何をしていたのかを思い出しつつも、驚かされてしまった。

「ははっ、ツッコんでくるねぇ」

「あ、ごめん……やっぱ、聞かないほうがよかった系?」

 一応、トールは笑っているものの、場合によっては詮索とも取られてしまうような質問であったはずなのに、配慮の足りないことをしてしまったと、言葉にした後で後悔した。

「いやいや、大丈夫だよ。ただ、カキョウちゃんらしいなってね」

 彼にらしいと言われてしまうほど、自分の特徴は好奇心だという認識をされており、今のように失礼な質問をしてしまっても笑って許してもらえる。

 だからといって、それで良いのかと問われれば、問題があるほうだろう。あくまでも自分とトールと言った仲間という身内だからこそ許されたのであって、これが赤の他人に行ってしまった時には失礼や無礼と取られてしまうことが多いだろう。

(はぅ……、ちゅ、注意しないと)

 口は災いの元という言葉があるように、何でもかんでも簡単に口にして仲間たちを危険にさらすことがないように気を付けなければならないと思った。

「それで俺の実家は自営業でね。少しでもお金を入れてやらねばって時期があったんだ。今は店の経営だけで十分に資金が回せているから、稼いだ分は好きに使えってさ」

「トール……、すんごい親孝行者だね」

「ありがとさん。ちなみに巡礼の行程に俺の故郷も入ってるから、その時にウチ自慢の料理を堪能してもらうさ」

 先ほど簡単に口にしてはと自戒したものの、あまりにも素直に出てきた賞賛の言葉はトールを自然と破顔させた。

 では自分はと考えると、存在そのものが親不孝者ではないかと思うほどであり、親孝行したくなるような記憶はすべて厳しい修行の記憶にすり替えられてしまうほど、自分と親とのつながりは跡取りという名目しかなかった。

 だからこそ親孝行ができる、もしくはしたくなるような親子関係を気づけているトールが羨ましくあり、同時に純粋な賞賛の言葉となったのだろう。

「おお! それは楽しみ!」

 自分はもう、親も家も捨てた身だからこそ自分の中で消化し、蓋をし、心の奥底に封印し、選び取った今を楽しまなければならない。

 楽しみといった言葉は嘘ではない。彼の実家が少なくとも料理を提供する自営業であることが分かり、これから先の場所にあるのなら故郷や最初の港町ポートアレアとはまた違った料理を楽しめるはずなのだから。

「でもさ、トールは本当にすごいよね。十五歳で親の元を離れて、自立しようっていう考えと行動、しかも危険が付きまとう仕事を選ぶなんてさ」

 あと一ヶ月もすれば十七になる自分と、それよりも早い段階で自分の意志を持って自立した彼とでは、決断力も行動力も段違いである。そんな彼の姿が大きな背丈と合わさり、追う背中としてはあまりにも大きく見えるのだ。

「それならカキョウちゃんだって、十六歳で俺と同じ世界に羽ばたいたじゃないか。十分若いと思うよ」

「羽ばたいた……と言っていいのかな。トールみたいに高い目標があったわけでもないし、流されるままだったし」

 しかも自分の行動理由は、親に捨てられそうになったから自分から出ていくという突拍子もないことであり、加えて国境を越えた見知らぬ土地を選んでしまった計画性のない行動だった。その上、自分の行く末は拾ってくれたダインに委ねる形となっているために、トールほどの崇高な自立とは程遠い。まるで目の前の風に形を変える炎だ。

「今はそれでいいんじゃないかな」

「……え」

 だが、トールはこの浅はかな行動を肯定してきた。炎に向けていた視線をトールに送ると、彼は小さく微笑んでいた。

「まずは生きること。次に自分の自立の在り方を探すこと。そのために君はネストの門をくぐり、選ばれた。どうせ長い付き合いになるんだから、先輩の俺や色んなものを見て、学んで、探すといいさ」

 自立の在り方とわざわざ言ったのは、十五歳で働きだしたのはトールの自立でしかなく、自分には自分の、他人には他人のそれぞれ違った自立の形がある。自分の自立はあくまでも手本の一つにしか過ぎない。今がそうでないのなら、自立と思える瞬間を探すのを第一目標とすればいい。

 ただ、彼の言葉には人生と職業の先輩だからという以外にも、深い重みと説得力に似た力があるように感じるのだ。

(そっか、これは信用と信頼なんだ)

 先日、この国の人間が有角族(ホーンド)や有翼族(フェザニス)に対する好奇の眼差しと、様々な形での利用を目論む者たちがいるという話を聞いた後であるが、その時に彼から感じた『すべてのサイペリア国民が悪というわけではない』という熱意や人権擁護法に対して嫌悪する姿が嘘偽りだとは思えない。

 また、ここ最近の戦闘において、トールはこちらを手助けすることなく、自分に敵を一体一体しっかり任せてくれていることが分かった。

 つまり、彼のほうから先にこちらの技術を“信用”してくれたからこそ、敵と背中を預けてくれている。

 そして、その事実を無意識に受け止めているからこそ、トールの言葉に耳を傾け、胸に刻み、彼を“信頼”しているのだと。でなければ、夜という時間帯に年頃の男女二人が、ただしゃべっているという状況が成立しないだろう。自分にもその気がなければ、彼にもその気はないのは分かる。むしろ、先輩と後輩よりも兄と妹に近い雰囲気ではないだろうか。

「うん、そうだね。トール先輩、これからのご指導ご鞭撻よろしくお願いします!」

「おう。って、ここで先輩呼びは、なんかくすぐったいな」

 彼はどうやら本当にくすぐったかったようであり、ハニカミに近かった微笑みが崩れ、軽く噴き出してしまった。

「いや、この間までの様付けのほうが変でしょ!」

「あれは演技とノリだったから、耐えれたのであってだね……ふ、ふわぁ~」

 もはや雑談状態となってしまうと、体が安心してしまったのか、今が見張り中だというのを忘れて、彼にあくびを引き起こさせた。いくら慣れているからといっても、彼だって相当な無理をしていることには変わりなく、体は嘘をつかない。

「……ねぇ、先輩。今からぜひご教授いただきたいことがあるのですが」

 そんなトールの姿を見て閃いた自分は、明らかに悪い顔をしつつ、上目遣いでトールににじり寄った。

「ぶっ、あーもう、なんだね。後輩君」

 先ほどの先輩呼びに加え、いじわるそうに近づく姿に軽く噴き出したトールは、こちらを後輩呼びして観念したようである。

「効率的な睡眠方法について、ぜひ実践していただきたいのですが……ねぇ、せ・ん・ぱ・い?」

 クツクツとした笑い顔が突然真顔になり、見開いてしまった目を数回素早く瞬きすると、頭を掻きむしりながら肩で笑い出した。

「実践って……ハハッ! そうきたか。あーあー、こりゃ一本取られたな。わかった。わーかーりーまーしーた」

 トールはベストと呼ばれる袖のない上着を脱ぎつつ立ち上がり、こちらの頭を片手で掴むと、髪の毛が盛大に乱れるほどこねくり回してきた。顔を上げて睨みつければ、ウインクと呼ばれる片眼を閉じて愛嬌を表現する仕草をしつつ、天幕の入り口を挟んで寝ているダインの反対側に腰を下ろした。

「いいかい? 一応、見た目ではかなり回復してるみたいだから任せるけど、カキョウちゃんも無理はしないこと。数時間したら俺も起きるから……後はよろしく」

 そう言ってトールは、手に持っていたベストを筒状に丸め、枕代わりに地面に置くと、体を寝かせて目を閉じた。そこから数秒もすれば、規則正しい律動の寝息が聞こえてきて、静かにまどろみに落ちたのが分かった。見た目こそ、本当に眠っているように見え、一見すると仮眠なのか本眠なのか、また何が効率的なのか分からない状態である。

「ふっふっふ。さーて、がんばりましょーっと」

 今はただ、彼らにいつもより多く寝てもらうこと。そのためにも、この夜だけは一人ででも死守せねばと立ち上がり、愛刀を抜いた。ただ座ったままの見張りでは体が鈍ると思い、周囲に気を配りながら、素振りや基本の型を中心に体を動かす。

 満点の夜空の下、焚火の光に照らされる剣閃は時々休みながらも、長く続いていた。

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