2-9 赤き壁と天幕の町カラサス
再び歩き出してからは狼たちの襲撃もなく、順調に行程が進んでいく。周囲が熟れた柿のような空となり始めた頃、次の目的地であるカラサスの町に到着した。
町に近づくにつれ、伸び伸びと生えていた新緑たちは黄金色の砂と入れ替わっていき、今では緑色を探すのも一苦労なほどである。海岸のものとは違い、完全に水分の消えた乾燥した砂は、風によって簡単に舞い上がると、あっさりと口の中を襲ってきた。
「さぁ、これがみんなに見せたかった景色だ」
小高い砂の丘の先に、先頭を歩いていたトールが立つ。追いつき、彼の横に全員が並ぶと、全員が息をのんだ。
目の前に現れたのは、赤土を多く含んだ斜面を持つ山の連なり。その中央は谷となっており、谷を塞ぐように“巨大な壁”がそびえ立っていた。周辺の赤土を利用して作られたかのような赤茶色の煉瓦(レンガ)を幾重にも積み重ねられた造りは、あらゆるものの侵入を阻み、逆にあらゆるものの逃亡を妨げるという印象を生むほど、重厚で威圧的な突起一つない垂直断崖の壁である。
壁の底辺中央には巨大な鉄格子の門があり、その奥にも同じ鉄格子がみえるという、二重構造の厳つい関所といった風貌だった。鉄格子を構成する杭の一本一本が遠くから見ても太いと分かるほどであり、壁全体の印象と相まって、まるで“拒絶”を想起させてきた。
巨大な壁の手前には、門の前に伸びる通りを避けるように、しかし所狭しに敷き詰められた無数の天蓋があった。天蓋は真新しいものもあれば、風化しボロボロとなったものまで、種類豊かに並んでいる。時々、天蓋の間には石造りや木造の建物があるものの、天蓋の圧倒的な数に霞んでしまう。
「あの天蓋(テント)たちが町そのものなんだ」
町というのは、石造りや基礎付きの木造建築といった移動することを前提としない建物を建て、安全に定住するための塀などの施設を整備した場所という認識であった。
しかし、ここに塀といった設備もなければ、区画の境界のなく、いちばん外側の天蓋の先は砂一面の大地が広がっているだけ。
「これでは、簡単に襲撃が行われてしまうのではないか……?」
自分も危惧していたことをダインが口にした。町ならば、一定の安全が保たれてこその場所なのに、この状態では野盗も魔物も侵入し放題である。
「むしろ、そういう場所なのさ。ここは人間の定住自体が少なく、むしろ自分たちも含めた旅人の出入り自体も自由。そして訪れた旅人は空いているテントを好き勝手に利用していい。代わりに、自分の身は自分で守る」
この天蓋たちは主に西側の商人たちが、カラサスを経由してサイぺリア国の首都を目指す際に、高貴な土地である東側に西側のみすぼらしい天蓋を持ち込まないようにするために、不要なものとして放置していったのがそもそもの始まりである。この行いは今も風習に近い形で行われており、風化して倒壊しても、新しい天幕が次々と建つようだ。
「なんだか不思議。雨ざらししないだけの野営地みたいな感じね」
「似てるけど、少し違うんだぜ。これでもちゃんと役場や道具屋、食事処に、ネストの支部、巡礼地に指定はされていないけど聖サクリス教の教会もあるんだよ」
いわゆる町を運営するための施設といったものは一通り揃っているようであるが、大部分は天蓋で構成されているために、警備の面では旅人任せに近い状態である。
加えて、この場所は西側と東側の中間点であるものの、利用者のほとんどが西側の者たちばかりであるために、管轄は西側扱いとなる。このために、首都からの衛兵派遣や資金注入は行われず、結果として今の形に落ち着いたのだという。
「あの……。あの壁、ちょっと不気味、ですね」
それぞれがトールの説明を聞きつつ、どのあたりの天蓋を使うかの目星をつけようとしていた時、ふとルカが小さくつぶやいた。
町の奥にそびえ立つ壁は元来の赤茶色に加え、夕日に照らされることで赤みが増し、不気味な赤黒い色に変わっていた。また、所々に点在する崩壊しかけの天蓋も妙に引っかかるものがある。
まるで、“何かを思い出してはいけない”“蓋を開けてはいけない”と警鐘を鳴らすかのように、目の奥に痛みが生じ始めた。
「なるほど……これが噂の奴隷の壁なんですね。本当に“血”のような色なんですね」
「は……へ?」
引き金は引かれた。自分の中に生じていた違和感がネフェルトの発言によってはっきりと形を成し、目の奥の痛みが弾けた。
夕日はいつの間にか地平近くまで下りており、その色を熟れた柿から茜に変えていた。赤に非常に近い色である茜の空に照らされた壁は、徐々に鮮血か酸化の進んだ血の色に変わり行く。夕食前で腹には何も入っていないのに、嗚咽がせり上がってくる。
(オカシイ……血なんて、今日も昨日もその前も見てきたはずなのに……。なんで? なんで今、こんなにも胸を抉られるの?)
自分自身のことなのに理解が追い付かない、制御が効かない。
「二十年前に起きた領土拡大戦線において、この壁の向こうにあるラジプト国が敗戦した際に、多くの国民が奴隷として連行され、その時の手足を縛った時に滲み出た血で化粧した壁……という迷信があるのです」
山の尾根に並ぶほどの巨大な壁を染め上げるほどの血の量が、手足を縛っただけの血では済むはずがない。仮にそれが嘘であっても、目の前にある物体が放つ赤はまさに血の色そのものであり、脳はしっかりと反応し、理解し、拒絶してしまう。
特に領土拡大戦線においてかの国と同じく敗戦国の民となってしまったネフェルトの言葉だからこそ、それがより重みとなって真実味を上げていく。
「ひっ……、嫌ぁ」
そして、ルカが膝をついた。頬には涙が伝い、口元を抑えながら、体が小刻みに震えている。自分もせりあがる嗚咽を抑えつつ、彼女のそばに駆け寄ると震える背中を優しく撫でた。
「例え迷信だとしても、塗り替えられていない現状を考えると、どこまで噂なのか疑問になるな」
見上げた先にたたずむダインもまた口を隠しつつも、真っ赤に染まる壁を睨みつけている。
彼の言葉通り、良くない迷信ならば塗り替えてしまえばいいし、領土を奪ったのなら壊してしまえばいい代物なのだ。それが残り続けることの意味が何を示すかは分からないにしても、観光名所には程遠すぎる代物である。
「そう……、だからこの時間に来るのは避けたかったんだ」
トールが吐き捨てた言葉には、自分たちがこうなることを予測していたということだ。黒夜狼(ナイトウルフ)の変な襲撃がなければ、もっとゆっくり時間を選ぶこともできたのだろう。しかし、一刻も早く山脈と林から遠ざかり、体を休めるためにも、最短の行程で進まざる得なくなり、彼の計画が総倒れとなったのだ。
「すみません……、私が余計なことを言ったばかりに」
自分の発言のせいで場の空気が一転したことに対し、ネフェルトが沈痛な面持ちで謝罪した。確かに言われなければ、それを認識することはなく、違和感だけで済んでいたかもしれない。
「ネフェさんが言わなくても、アタシが聞いてたよ」
だが、確実に自分の好奇心が勝り、先に口にしていたいであろう。加えて、違和感を引きずったままでは眠りにつくことができない自信もある。また、うずくまっているルカや壁を睨みつけていたダインも、それぞれが自分が聞いていたかもしれないと言った。
全員が同じ認識をしてしまうほどの異質さを放つ壁は、沈み行く太陽に呼応するように赤みをさらに増していく。明日の朝、ここを立ち去るときには赤も赤土色に戻っているだろうと思い、真実味のある迷信というなの歴史を目に焼き付けるため立ち上がって、壁を見た。
カチ。
耳の奥で、何かがはまる音。
体の芯から体温と感覚が消えていく。
体が動かない。声が出てこない。
目の前が染まる、染まる、視界が赤く染まる。
ああ……なんで見てしまったのだろうか。
『……ア!! ……ア! ……ァ』
真っ赤に染まった世界に遠くから響く声。
はじめこそ大きかったが、その声もどんどん遠ざかる。
(なに……こ……れ?)
血のような赤はここから遠いのに、視界に広がるのはべったりとした鮮血の赤。
巨大な壁の前に点在する天幕が、“飛び散った自分の物”を連想させる。
風化してボロボロになった天幕が、“バラバラになった自分の物”を連想させる。
重なりゆく自分の知らない風景に、頭が圧迫される。息ができない。苦しい。
だが、それも次第に遠ざかる。
『……れア!!』
誰かの、かろうじて男性の声と認識したが、その声が最後にひと際大きく聞こえると、かろうじて立っていたと分かる体が地面に落ちたと理解した瞬間、意識がなくなった。
◇◇◇
カキョウが倒れた。
日の沈みゆく真っ赤な空の下、光に照らされて血のような赤色を放つ巨大な壁に嫌悪を抱いていると、糸の切れた操り人形のように彼女は崩れ落ちた。慌てて抱き上げれば、青ざめた顔とともに目から血のような赤い涙を流し、どんなに揺さぶろうとも目を覚ますことはなかった。慌てて治癒魔法をかけるルカが、気を失っているだけで命に別状はないと告げると、ようやく自分が息をすることができた。
気を失っているカキョウは最優先として、疲労困憊状態の自分たちも体を休めるべく、急ぎ今晩の宿となる天幕を探した。トールの提案により、大型の武器を持つ自分たちが戦いやすいように周囲に物が少なく、見晴らしの良い場所を優先した結果、町の外輪部分に建てられていた真新しい天蓋を見つけた。町の外側であるために見張りを立てるなどの夜襲に対する自衛は必要であるが、小高い丘の上にあり、周囲には視界を遮る草木がないため、眺望としてもよい場所だった。
ひとまず天蓋の中にカキョウを寝かせ、ルカとネフェルトにも先に休んでもらった。その間は、自分が焚火の準備と見張りを行い、トールが食料の調達と巡礼活動費の受け取りのために町の中心部へ消えていった。
トールが天蓋を離れてから一時間が経過すると、日もすっかり暮れ、夜空にはまばゆい星々が顔を見せ始めた。すると、それまで人気(ひとけ)があるかも分からなかった他の天蓋に明かりが灯り始めた。本当に使い物にならなくなった天蓋以外はおおむね光が灯っており、想像以上に人間がこの場所で営みをしているのだと気づかされた。布を通した明かりは柔らかく、星々とは違った暖かい煌めきに心が洗われるようだ。
(……ん)
視界がぼやける。連日の襲撃と移動による疲れが、人々がいるという安心感と明りの柔らかい光によって、思い出せと言わんばかりに襲い掛かってくる。また、体力や持久力に自信があったために率先して見張りを行っていたが、これでも屋敷の外に出てからまだ一週間程度しかたっていない自分には不慣れなことの連続であるため、正直に言えば疲労も体力も限界に近い。今、ここで寝ていいと言われれば熟睡できる自信はあった。治癒魔法をかけてもらえば、一時的に肉体の疲労を抜くことはできるかもしれないが、ルカは寝ているために起こすわけにもいかない。
ただひたすら、脳だけは嘘をつかず、本当の休息を求めてくるのを必死に抗った。
「ダイン」
その声は、今一番待ち望んでいた声だった。
振り向けば、天蓋からひょっこりと顔を出し、続いて外へ出てくるカキョウがいた。商人のタブリスから贈られた頭巾(フード)は外され、いつも腰に巻いている紫色の帯もない。一番外側に着ている羽織の前は開かれ、袖や首元から見えていた襦袢と呼ばれる白い着物が露になっている。
「もう大丈夫なのか?」
近寄れば、目から流れていた真っ赤な涙はすっかり消えており、自分をまっすぐ見ているあたり、視力等に異常は無さそうである。青ざめていた顔も、よく寝たためかすっかり血色が良くなっている。
「う、うん……? え、アタシ何かあったの?」
「その……血の涙を流しながら、いきなり気絶した」
こちらの反応に不思議、もしくは不安げになってきたカキョウだったが、彼女が倒れた時の状態を正確に話すことに一瞬戸惑った。しかし、自身の体に起きたことについて知らないよりは、知っておいたほうがいいことではないかと思い、結局告げることにした。
「ち、血の涙!? え、あ、だから視界が赤かったんだ……。え、でも、今ちゃんと見えてるよ!?」
一応、血の涙に心当たりがあるようだったが、本人の狼狽ぶりからも、今はしっかりと目が見えている雰囲気であるために、自分の中の安堵感がさらに大きくなった。
「そうか? なら、あれを見てくれ」
ならば、自分が見た美しい光景を彼女にも見てもらいたく、町のほうを指さした。
「うわぁ……、なにこれ綺麗……」
促されるままに視線と体を移したカキョウの先には、明かりの灯った天蓋群だった。彼女とのやり取りの間にも、夜闇はさらに深さを増し、天蓋の明かりもより一層輝いて見えた。
ただし、幻想的な風景の中に灯る優しい光たちが、こちらの眠気を一層誘ってくるという、なんとも情緒に欠ける自分がいる。
「なんだか、故郷のショーローナガシみたい……」
この幻想的な風景に見とれているカキョウが、聞きなれない単語を口にし、こちらの意識を引き戻した。
「ショーローナガシ?」
「コウエンの文字で、精霊様を流すって書いて精霊流し。夏にお盆っていう死んだ人たちの魂が家に戻ってくる期間があって、その最後の日の夜に魂があの世に戻れるように、灯りのついた灯篭を川に流して弔う行事があるの」
そう言うとカキョウはその場にしゃがみ込み、砂を指でなぞって弧が下向きの細長い半円と、それに接するように上に四角を描いた。上の資格は明かりの灯った灯篭であり、下はそれを浮かべるための船であると説明してくれた。大きさは手のひらに収まるものから、供物を乗せるために彼女が両手を広げた長さほどの大きなものまでと、様々な大きさや長さ、形が存在しているらしい。
「なるほど、この灯篭船に魂を乗せて、あの世へ送るということか?」
「そういうこと。それでちょうど、その灯篭の明かりにここの灯りの雰囲気が似てるなって思ったの。でもこんな風にとどまっているわけじゃなくて、川だからどんどん流されて遠ざかっていくんだけどね」
夜闇の中に遠ざかる淡い光に故人への想いを乗せ、やがて点となり、煌めく夜空を構成する星々の仲間となりゆくまでずっと見届けるのだろう。
「しかし、夜にあの世へ送るということは、必然と魔界へ送るということなのか?」
ティタニスをはじめとする多くの国では、夜とは死と邪、負の感情といった悪性面を司る闇の精霊が住む魔界との境界が薄くなる時間と言われている。そのため、罪人の葬送を夜に行うことで魂を魔界に導き、善人の葬送を昼間に行うことによって善と秩序を司る聖の精霊が住む天界へ導く。
そんな疑問を投げかけてみると、彼女は小さく笑った。
「あのね、炎を信仰するコウエンの民の魂は、他の国で言われる天界や魔界ではなく、炎の精霊様の世界に送られるんだって」
もともと、炎の大精霊を守護神のようにあがめるコウエン国の民にとってあの世とは火の精霊がいる世界であり、死は肉の器を捨てて大精霊の元へ旅立つことを意味している。故に、コウエン国民にとって魂の形とは松明の先に灯った炎のような形をしているのだという。
また、灯篭を流す川は、火の大精霊が顕現する神聖な火山である神炎山(シンエンザン)から流れ出ており、炎の精霊とお盆の時期に精霊界に行った魂たちが帰還するための出口を意味する。逆に川の終わりである海との境界になる場所が精霊界の入り口となる。このように火山と川の流れを含めた地理そのものが、魂の循環を意味する大きな摂理となっている。
炎と火山を信仰する民族だからこそ、俺たちが一般的だと思う事柄が、炎にまつわる様々な物に置き換わり、独特の世界観を持っているのだと感じさせられた。
「やはり、コウエン国の考え方は独特で面白いな」
書物の上や人づてで得た知識しか持ち合わせない自分にとって、カキョウから聞くコウエン国の話は常に新鮮な驚きをもたらしてくれ、いつか行ってみたいと胸を躍らせる。
「面白い、かぁ」
「気に障ったか?」
「そうじゃないの。アタシさ、こうして外の国に出て初めて気づいたことばかりで、アタシばっかり色んな事に面白がってるんじゃないかってね」
確かに彼女は色んなものに興味を持ち、よくトールに質問している。実際、彼が親切丁寧に答えるからこそ、その興味はさらに加速する。
「それは俺も同じだ」
彼女がトールに質問している内容は、自分も聞きたかった内容であることがほとんどであり、常にカキョウが代弁している形である。それは非常にありがたいことであり、同時に自分は彼女とともに知識欲が満たされていくのだ。
「言っただろう? 一週間前までは、屋敷の外を知らなかったから、見るものすべてが新鮮であり、興味を引かれ、胸の中で一人ではしゃぎ、こうしておもむろに色んな物を触りたくなる」
この言葉に嘘偽りはなく、言葉をつづりながらその場にしゃがみ込むと、皮手袋は外して、足元の砂を一掴みした。水分を一切含んでいない砂は、掴まれることを嫌うかのように、指から簡単に逃げていく。
すでにしゃがんでいたカキョウも自分と同じように砂を一掴みすると、サラリとした感触を楽しむように指で砂をこすり合わせている。
「そっか。一緒か。へへへ」
カキョウは砂を触りながら、本当は同志がいたことに頬を緩ませ、小さく笑った。その横顔に自分も釣られて、こちらも頬が緩む。
ただし、緩んだのは頬だけではなかった。立ち上がろうとした時、まるで後ろに引っ張られるように体が重くなり、転がるように背中から倒れた。起き上がろうにも鎧がひどく重く感じ、体が思うように言うことを聞かない。
「だ、大丈夫!? ちょ、顔色ひどいよ!」
彼女には情けない姿をあまり見せたくないのに、頭も体も反応が鈍く、上半身を腕だけで起こすのがやっとである。顔色からも疲れが表面化しているようで、いよいよ体が限界を迎えている。
「おい! どうした!」
どうにか上半身を起こして座るまでができたところで、タイミングよくトールが戻ってきた。手には買い込まれた食料などの荷物を抱えていたが、天幕のそばに降ろすと、すぐにこちらへ駆け寄ってきた。
「トール! ダインがすごく苦しそう!」
慌てふためくカキョウをよそに、トールは冷静な顔でこちらの額に手を当てたりと、体調を診ている。
「……お前も慣れない中、よくがんばったよ。今夜はそうだな……俺とカキョウちゃんで見張りをするから、お前はたっぷりと寝ろ。代わりに明日は俺がしっかり寝させてもらうから」
それまで冷静、もしくは若干険しめの顔をしていたトールだったが、急に顔を緩めると手を頭の上に置き、髪の毛が多少乱れるぐらいの強さで頭をなでてきた。それはトールにとって何気ない行動だったのかもしれない。しかし、自分にとってはまるで“親兄弟からの優しさ”のように、とても暖かく感じてしまう。
「だが、カキョウは……。それにトールも寝てない……」
彼の言葉の中に、カキョウとともに見張りを行うとあったが、彼女は先ほどまで血の涙を流して、意識を失っていたのだ。たとえ血色がよくなろうとも、まだ病み上がりに近いはずである。
トールもまた自分と同じように、度重なる戦闘と殺気立った見張りを続けたために、同じように疲れは溜まっているはずなのだ。だから、自分だけ寝るわけにはいかない。
「アタシはもう大丈夫だよ。今はすっごく体が軽いんだ」
「そうそう。それに俺の鼻を信じろ。カキョウちゃんからは、体調のいい時に出る爽やかな匂いしかない」
「はぁ!? え、匂いで体調が分かるの!? てか、え、匂うの!?」
「おいおい、生物はみんな何らかの匂いを発しているんだ。カキョウちゃんだけじゃなく、みーんなの匂いも漂ってくるさ。ただ、ハラスメント……こう場を弁えず、相手に嫌な思いをさせる行為と認識されないように、基本的には言わないようにしてるんだよ」
「は、はぁ……。わ、分かった」
「というわけだ。寝不足で疲れ切った匂いのダイン君は、さっさと寝ちまいな」
これではまるで、兄にたしなめられる弟と妹のような状態だ。こんな可愛らしい寸劇を見せられれば、カキョウの体調やトールの具合も含めて安心してしまう。
明日はトールにしっかりと休んでもらう。そのためにも、今は自分がしっかりと休息をとることに専念しなければと、二人に甘えることにする。
「わか、った。後は頼む……」
そう言ったまでは覚えているが、そこから起きるまでの記憶は一切なく、目を覚ましたときは、
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