序章-2 強制終了

 目を開くと、そこは窓から差し込む月明かりの光だけが光源となっている自室のベッドの上だった。身体がだるい。何故か布団も被らず横になっている。

 体を起こし、サイドチェストの上に置かれた時計を見ると、針はあと五分で深夜〇時になろうとしていた。

 養父に言われた四回の手合わせのあとも、中々使う機会の無い真剣での打ち合いに気分が高まっていた俺達は、空腹を忘れ、そのまま夕食になるまで打ち合いを続けてしまっていた。夕食と風呂を済ませると、疲れが一気に噴出したのか、ベッドに倒れこんだところまでは覚えていた。

 そこでようやく自分が眠り込んでしまっていたことに気づくと、我ながらよく寝たもんだと思いながら、歳が一つ繰り上がるその刻が来るのを待つことにした。

 八年間過ごした自室は、ただ寝て起きるだけに近いほど、荷物の少ない簡素を通り越して、殺風景という言葉が似合う部屋だった。

 俺にはダブルサイズに感じてしまうほど大きなベッド、ベッドの左側に置かれたサイドチェスト、一般教養の本だけが並んだ学習机、室内着と練習着だけが収められた大きなクローゼット、朝の身だしなみを軽く整えるのに使う長大な姿見があるだけで、趣味の物や年頃の青年が持っていそうなものは、ほとんど無い。

 物置部屋じゃないんだからと、ネヴィアが無理やり押し込んできた絨毯なども一応あるが、それでも個人の部屋というよりは、誰かが寝泊りをするだけの部屋という印象が強かった。

 一応、欲しいものなどを聞かれたりはするが、居候という立場で遠慮していた部分と、外を知らないために物欲そのものが沸かないという部分があり、与えられた物以外に必要性を感じなかったのだ。

 そんな、自分から発せられる衣擦れの音と、夜の自然音以外は無いはずだが、逆に今晩は気持ち悪いほど“静まり返っている”。

 虫の音も、風の音も、街の音も聞こえてこない。まるで無音と言って差し支えが無かった。

 さすがの違和感に立ち上がろうとした。

「……“動くな”。“声も上げるな”」

 突然、耳元に発せられた他者の声に、振り向こうとした。

 が、身体が動かない。辛うじて、目だけが動かせる。

 そして喉元に現れた突き刺さる冷気にも似た感覚。

 明らかに自分の背後に誰かいて、自分の命を簡単に刈り取れる状態であり、しかも魔法か何かで、身体が動かないように封じられている。

 息をするのが辛いほど、背筋が凍りついていた。

「お、れを、どうす、るつもり……だ」

 何かの魔法で動きと声を封じられたと思ったが、口を動かせば声が出た。それでも恐怖のあまりに声は掠れ、弱々しく小さなモノだった。

 しかし、返ってくる言葉はなく、舌打ちのような短い音と、紙のような物が握り潰される音、そして別の質感の紙が引きちぎられるような音がした。

 夏や昼間の手合わせ後でもないのに、溢れ出る冷や汗が顔や背中を伝い、命の危機という焦りを増長させる。

 だが、その焦りとは裏腹に、突きつけられているはずの冷気が肌に当てられることはなく、一定の距離を保ち、それ以外は何もすることなく、時間だけが過ぎているような気がしてきた。

(……今すぐに殺すつもりはない?)

 そのことが分かれば、無駄に加速してしまった焦りは鳴りを潜め、呼吸が落ち着いてくる。

 試しに、それまで動かないであろうと思っていた指先を僅かに動かしてみると、まるで止血を辞めた後の血液が流れこむような、緩やかな痺れが起きた。

(動かせる……のか?)

 指先だけかと思ったが、動かせるという意識が起きたためか、体のあらゆる箇所に“疲れ”が現れ始めた。疲れを知覚できるということは、肉体の支配はまだ自分に残されているかもしれない。

 反撃に転じることができるかもしれないと思ったが、そのためには相手の意識を狂わせるようなことが必要だった。今のまま、反撃に転じたところで、突きつけられているこの冷気を冷静に刺されるだけだ。

 しかもまだこの冷気の正体……おそらくナイフのような物だろうと思うが、形状などが分からない以上、むやみに動くわけにはいかない。

 せめて、相手の姿を確認することはできないだろうか?

 相手に気付かれないよう、目線だけを可能な限り左にずらせば、視界の片隅に辛うじて姿見が写りこんだ。

 姿見の中には自分の姿が斜めに映りこみ、その背後に夜闇にまぎれながらも、月明かりで浮き上がる人影が見える。

 ただ、予想していたよりも、明らかに違うものがあった。

 喉仏に這うように宛がわれている短剣、それを握る人影の大きさが、まるで“俺と同じ大きさ・比率”。つまり、俺と同じく矮躯と称される程の“小ささ”の男だった。

 初めてだった。自分と同じく、肉体形成そのものは成人男性、もしくは年齢相応の体つきであるにもかかわらず、縮尺だけが異様に小さくなっている。

 以前の家にも多くの使用人たちがいたが、そいつらは影で“矮躯”“奇形”“呪われた子”と様々な言葉が垂れ流されているのを知っている。実父もこの陰口については知っていたはずだが、自分でも思っているからこそ、使用人たちの言葉を諌めることなく、長く雇用契約を結んでいるのだ。

 この風潮は、以前の家独特のモノと言う訳ではないらしく、養子に来てからも同じような言葉を影ながらに浴びせられた事があった。

 となれば、自分はやはり一般的な体躯からはかけ離れており、彼らが発した言葉の通り矮躯で奇形なのかもしれない。

 だからこそ、自分が異物であるために、養子に出され、その先で軟禁されたのかもしれない。

 そんな世界しか知らない俺は、自分以外の同じ矮躯な者を見たことがなかった。

 自分だけではなかった事にどこか同族意識を持ち、不要な同情さえ抱いてしまったが、相手は自分に短剣を突きつけてくる敵なのだ。

 今日の月明かりは、一層明るいために、姿見に映る黒い人影の服装も読み取りやすい。

 衣擦れの落とすら減らすためにか、身体の線が見えるほどの黒い軽装。

 同等の体格、相手は薄着に、右側に置かれた姿見に相手の腕が映る。つまり、右腕で武器はナイフ一本。他に武器を隠し持っている可能性は大いにあるが、この状況なら……!

 物は試しにと、封じられているはずの右腕を振り上げてみれば、少しの違和感はあったものの勢いよく振りあがり、相手の右腕を武器ごと振り払った。

「な、に!?」

 相手の声から、俺が動けるということが予想外の展開だったらしく、相手は振り払われると大きく体勢を崩し、サイドチェストのために開けられたベッドと壁の間に落ちた。

 その隙に自分は振り払った勢いでベッドから距離を取った……はずだった。

 振り向いた瞬間、眼前に切っ先が迫った。

 視認という速さを超え咄嗟に右へと僅かに頭をずらし、何とか目潰しを回避する。頬に横一文字の傷をもらう結果となったが、上々だろう。相手は恐らくベッドの隙間に落ちず、背後の壁を蹴って、距離を詰めてきた。

 突き出された相手の右腕をそのまま掴み取り、相手の勢いのまま背負い投げると、長年使っていた学習机へ叩きつけた。

 学習机は盛大な音を立てて破壊されたものの、木製ということもあり相手を気絶させるほどの衝撃は生まなかったらしく、黒ずくめの男はすぐに立ち上がろうとしている。

 すぐさま駆け寄り、黒ずくめの男に馬乗りし、胸ぐらをつかみ上げた。

「誰の命令だ」

 問いただしてみたものの案の定、返答はない。まるで獣の眼光で、こちらを睨みつけるだけであり、まるで何かを待っているように見える。

「何か言ったら、ど、う……だ……」

 男の返事が来る前に、急激に呂律が回らなくなりだし、腹部に違和感を感じ始めた。

 脇腹を振れれば、暖かくじんわりとした濡れる感触が広がり、次第にそれが痛みとなって、意識を支配していく。

 痛みの先にあったのは、脇腹に深々と刺さるナイフだった。月明かりに照らされた白いシャツは、鮮血の赤に染まっていくのが見て取れる。しかも染まり方が早く、あっという間に脇腹から臍ぐらいまでは真っ赤になっていた。

 暖かかった物が己の血であると理解すると、合わせるように遠のく意識。痛みはいつの間にか、遠のく意識と入れ替わるように消えていく。膝の感覚が消滅し、上半身に衝撃が走った事で、初めて自分は床に倒れたのだと気づく。

 実戦経験は無いとはいえ、日頃の鍛錬や手合わせを含め、そんな簡単に倒れるような体力ではないはずだ。

(毒か?)

 恐らく、神経毒などの一時的に体の自由と感覚を奪うものであり、しかも遅効性。ナイフの刃に塗られていて、且つ頬に傷を受けた時に体内に入り込んでいる。相手が何もせずに黙っていたのも、効果が表れるのを待つため。

 そして、効果をさらに増させるために、腹部にナイフを突き立てた。毒が効いているために、刺されたことも気づかないまま、こうして床に伏しているということか。

 命の危機だからこそ、自分の不甲斐なさを言い訳がましく説明立てるんだろう。無駄によく回る頭の隅に声が聞こえる。

 意識が薄れ行く。床の冷たさも遠のく。

「……ま、……ダイン様!!」

 遠くのほうで、小さな光が差した。部屋の扉が開けられ、誰かが入ってきたようだ。

 嗚呼、貴方はそうだった。

 俺が来たあの日から、名だけで呼ぶ事に抵抗するような眼差しで、それでも俺の前では名前だけを呼んでくれていた。

 彼女だって苦労しながら、俺を友のように、兄弟のように扱ってくれた。

 家人の皆も、俺が軟禁されていながらも、苦にならないように色々してくれていた。

 俺が住むようになって、この家の者にたくさんの迷惑と、苦労をかけてしまった。

 だからこそ俺は、永遠にこの家の家族になれないのだと思った。

 だからこそ俺は、最後の我儘として、外への切符をゆっくりとした形で望んだ。

 しかし、あっけなかった。こんな形で終わってしまうのかと。

 俺を今日まで家に置いてくれて、食事も着る服も寝るところも、教育も施してくれて……本当に、本当にありがとうございました。

 こんな形で終わってしまう事を、お許しください……。

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