1-13 戦うということ

 巨人グローバスまでの距離は五十m程はあったはずだが、気づけば眼前には巨人の脇腹が迫り、自分は白く輝く刃を走らせていた。相手はその筋肉を見せびらかすように、上半身に衣類は無い。森の緑を切り裂く白刃は間違いなく、全くの無防備な生肌を切り裂くはずだった。

 しかし、甲高い金属音とともに、全身に響き渡る強烈な反動。目に映るは飛び散る火花と、無傷の皮膚。

(くっそ、防御系の補助魔法か)

 見た目こそ、脳みそまで筋肉で魔法不要といわんばかりの巨体であるため、頭が勝手に魔法の類はないだろうと思い込んでしまっていた。結果として奇襲は、目に見えない魔法の壁によって防がれ、自分は五mも後退させられる失敗となった。

(ならば、砕くだけ)

 不覚と小さく舌打ちをしつつも、どこからともなく湧き上がる自信に突き動かされ、地面を力強く踏み込み再び駆け出す。地面を踏みしめるたびに剣を持つ手が熱くなり、体内をめぐる魔力が膨れ上がっていく。

「させねぇっよおお!!」

 だが、相手もバカではない。こちらが新たに振り下ろすよりも先に、巨人の左裏拳が体の左半分に襲い掛かった。

「グ、アッ!!」

 小柄とはいえ、カキョウの体を安々と握りしめられる程の巨大な握り拳から放たれた一撃は、あまりにも重すぎた。左側面から順に骨と筋肉が悲鳴を上げ、肺から空気が奪われる。足は地面から離れ、水平に飛び、激突した太ましい樹木を真っ二つに折った。

 その先が茂みなどの柔らかい草木ならよかったものの、悲しい事に落ちた先は草木が綺麗に除去された地肌。地面に叩きつけられた衝撃と共に、顔に地面の小石や尖った砂が突き刺さる。呼吸するたびに全身が激痛に襲われ、意識が持っていかれそうになる。加えて、口の中に鉄の味が広がる。こんな逃げたくなるような痛みは、生まれて初めてだ。

「テメェの相手は、こっちだあああああああ!!」

 全身の悲鳴を無視して、立ち上がろうとすれば、頭上からはトールの大声が響き渡った。上空を見上げれば、太陽の中に人影がある。巨人の顔面直上に飛来する彼の姿。得物であるバルディッシュの刃は、眼下の巨人の眼もしくは眉間を狙うように真っ直ぐ下を向いている。声をわざと発することで相手に自分を視認させる、反射行動を逆手に取った誘導の一撃が降り注ぐ。

「ヌオオオオオオオオオウ!!!!」

 巨人はトールの姿を視界にとらえると、雄叫びを上げながら首を横に振り、彼の眼を狙った一撃を回避してみせた。

 ――――!

 それはまるで“ガラス板が砕け散る鋭い音”。そして太陽の光によって視認することができるようになった“煌めくガラスの欠片”。黄金色の流れ星と入れ替わるように、ガラスの欠片は空へ消えていく。

 そんな幻想的な風景をかき消すように、トールの重い一撃は“何もなかったように”巨人の盛り上がった首の筋肉へ、深々と突き刺さった。

「ぐっそぉ、イデェエエエエエエエエ!」

 巨人の叫びが再び森を揺らす。首に刺さったバルディッシュとそれを握るトールを振り払おうと、不規則に暴れもがきだした。巨人の地団駄が地震にもにた揺れを引き起こし、こちらの満身創痍の身体に響き渡る。

「水精の怒号、火精の憤怒。混じりて昇らん、捻りて貫かん! ――ロールガイザー!!」

 そして流れる水のように続く、ラディスの詠唱。

 対象物へ向けられた両手から放たれたのは、先の奇襲時に見た高温の水蒸気をまき散らす激流。それは間欠泉と呼ばれる火山地帯に多く見られる自然現象に似ており、さらに竜巻の渦の要素を加えたものだろうか。詠唱からも水のマナに、相性の極めて悪い火のマナをねじ込むことで、水を瞬時に沸騰させる荒技に近い高度な複合属性魔法と察する。荒技と評しただけはあり、術者に対する負荷は極めて大きく、ラディスの両腕が真っ赤に腫れあがっている。

 だが、彼が腕と引き換えに放った魔法は、巨人の動きを止めるには十分だった。視界を白く染め上げるほど煮えたぎった激流が、トールと入れ替わるように、巨人の顔面へ正確に直撃した。

「アガガガガ!!!!! ヤゲルウウ、ヤゲルヴヴ!!」

 水蒸気の音とは別に、肉の焼けるような音。そして匂い。手で覆われていようと、想像に難くないほどの大火傷を負ったと判断できる。

 しかし問題が起きた。

 ラディスの放った熱湯の熱が、森に溢れる水分をも水蒸気に換えていき、視界が完全に白一色へと変わってしまった。

(これはまずい……、何も見えない)

 体を起こしつつ、口の中にたまった鉄味の唾を吐き出し、息を整える。視界に映るのは、木々の間から覗かせる晴天の青のみ。それ以外は人影すら通さないほど、厚みのある白の世界。

「ダイン!」

 そんな濃厚な白の向こうから現れたのは、空色の髪をなびかせたラディスだった。

「今、回復するね」

 駆けてきたたラディスは肩で息をしながら、こちらに向かって治癒魔法を放ち始めた。その手は先の熱湯魔法の負荷で、真っ赤に腫れあがっている。無理をさせたくないのに、彼の手から注がれる魔法が酷く心地よい。

「ラディス、その手……」

「これぐらいは気にしないで。僕の手も同時に回復してるから」

 魔法の負荷によってできた赤みは熱した鉄と同じく、時間が経てば自然と治まってものであり、回復魔法と併用することで治りが早いのは知っている。たが、彼自身にではなく、俺の治癒を優先させているために、治りは断然遅くなるはずだ。

「本当に、すまない……。あと、身体が勝手に動いた」

 一人で突出したくせに、何も有効打を与えることもできず、相手に反撃を喰らい、自分一人で満身創痍。回復してもらわないとまともに動けないとか、なんとも情けない状態だ。

「びっくりしたけど、大丈夫。ダインが突っ込んでくれたおかげで、僕たちが次の行動に移せたんだ」

 確かに自分がグローバスの注意を引き付けたことによって、トールとラディスの時間差攻撃が成立したのだろう。

 しかし、それ以前の疑問が思い浮かぶ。トールの攻撃はしっかりと相手の皮膚に突き刺さっていた。ラディスの熱湯魔法も、最初の奇襲時の反応とは大きく違い、今は肉を焼いた時の匂いが漂うほど、相手の皮膚に大きな火傷を負わせているように見えた。なのに、自分の攻撃は魔法のようなもので防がれている。

(俺と二人の違いは……経験?)

 それもあるとは思うが、どうもしっくりこない。どちらかというと、状況的な違いだろう。考えられるのは、グローバスの防御魔法を突破できていたかどうか。

(いや、トールの攻撃で防御魔法自体が破壊されたのか)

 トールの落下攻撃時に鳴り響いた"ガラス板が砕け散った音”が一つの答えだろう。

 正しくはガードオーラ(保護膜形成)という名の魔法であり、ダメージを無効化するという一見便利そうに見えるものだ。しかし、使用者の支払った魔力量や魔術に対する理解度、習熟度などで、耐久度自体が大幅に変動するクセの強い魔法である。基本的には小さな切り傷を一定時間無効化する程度の、保険的な意味合いの魔法であり、大きなダメージを何度も無効化するようなものではない。

 奇襲時の熱湯魔法と腹部へのグラインドアッパーは、どちらもダメージの小さな技ではないため、無効化はされたが魔法の耐久度を減らす効果はあったと思われる。結果としてトールの攻撃が決め手となり、魔法を破壊できたということだろう。二回目の熱湯魔法が通ったのも納得がいく。

(いやいや、もっと前に何かあったはず)

 そもそも行動に移すということは、何か情報の決定打となるものがあったということだ。

「そうか……俺が突進したことで、相手の手の内が分かったということか?」

 脇腹にグラインドアッパーを当てたときの魔法による反発。これが見えたことにより、相手が魔法による強化を図っていることや、種類が明らかになったというわけだ。

「そういうこと。誰かがやらなきゃいけないことだったんだから、気にしないで」

 まるでこちらの内面を見透かすようにラディスは微笑みながら、回復の手を止めない。自分の中に無意味な突貫じゃなかったという安堵の波が、回復の温かさとともに身体から抜けた体温を戻していく。

 それでも、もう二度とあんな無様な姿は晒したくないものだと、小さく決意した。



 回復を始めてから、およそ一分。森の湿気と相まってか、水蒸気の霧がなかなか晴れない。警戒として耳をそばだてているが、誰かが動いた音も気配も無い。

「これでよし……。視界が晴れたら、状況を確認しながら、トールと合りゅ」

 ……無いはずだった。なのに、ラディスが痛みを伴った声と共に崩れ落ち、地面で体を苦の字に曲げた。急ぎ、彼の容態を確認すれば、左の二の腕には刃物によって付けられた大きな切り傷ができており、血が止めどなく流れている。顔は青ざめ、脂汗を噴き出し、呼吸が異様に荒い。

 この濃い霧の中、自分たち以外の誰かがすぐそこにいることは分かったが、まずはラディスの止血が先である。

 しかし、“止血する道具がない”。

 ウエストポーチの中には財布、手紙、懐中時計のみ。ハンカチやタオルのような物は無く、シャツを破こうにも甲冑の奥と、手短な布は無いに等しい。

「……!? ダ、イン、上!」

 ラディスの叫びを信じ、咄嗟に後ろへ右腕を突き出した。ガントレットから発せられた、耳を突き刺すような金属の衝突音と、強烈な衝撃。

「チッ……、小賢しいっ!」

 そしてようやく晴れ行く視界の先、舌打ちと共に現れたのは気絶していた見張り役の一人である双剣使いの男。グローバスからラッツとガナンと呼ばれた二人のうちのどちらかだ。

 振り下ろされた右の小剣を、右腕のガントレットで上手く受け止めた状態だった。その切っ先は、赤黒くてらりと光っており、これがラディスの血なのだろう。

 左の小剣が動く前に、立ち上がるように右の小剣を振り払い、相手を押し返す。

 距離は一時的に開いたものの、自分の大剣を取っている暇も、隙も無い。

「坊ちゃんも、オネンネしな!!」

 双剣使いが地を蹴り、左右のタイミングの違う小剣を、何度も何度も打ち付けてくる。その度に自分はただ、相手が振り下ろす剣をいなすよう、両腕のガントレットで弾く。

「ダイン、気をつけて……。そいつの剣には……毒が、塗ってあるっ!」

 全ての状況の理解と共に、自分の生唾を飲み込む音が嫌に大きく聞こえる。

 ラディスの容態から、意識を維持するのがやっとなほどの強力な毒である可能性。自分は多くの部分を装甲で守っているものの、素肌や衣類の部分もある。今でこそ、相手の攻撃を上手く弾き返してはいるが、完全に防戦一方であり、連撃の手数の前にいつかは毒を貰いかねない。

(せめて、何か隙があれば……!)

 剣を取ることだってできるだろう。

 ……しかし、その先は?

 グローバスの時は巨体であり、すでに化け物と認識していたために、斬りかかることが出来た。だが目の前の者は、自分と同程度の“この世界の一般”的な体格。大剣による本気の一撃が身体に当たれば、想像もしたくない状態になりかねない。

『正当防衛という名目での“殺人を許可されている”』

 今更、トールが言い放った言葉が、頭の中に反響する。

 今から自分の行おうとしている行動は、“相手を停止させるために必要な攻撃”そのもの。この攻撃自体で死に直結とは行かないだろうが、場合によっては人体の欠損に繋がる一撃であり、まさに許可された殺人の一種と言っても過言ではない。

 急速に身体の芯が冷え込む。現実に引き戻される。

(考えろ……。どう動けば、剣を取る必要は無くなる?)

 相手は小剣を二本とも構え、刃には毒が塗られている。腕に加え小剣の分、長さが増えている以上、間合いの不利がついて回る。

 ならば、何らかの方法で相手の視線をそらしつつ、己の拳を叩き込むぐらいしか無いだろう。これなら殺人に該当しそうな斬撃を与えなくても済む。

(トールには、甘いと怒られるだろうな)

 自分も両手の拳を相手に向けて構えつつ、ラディスの盾になるようにゆっくりと前に出る。相手もこちらの装甲に臆してか、一度距離を取ってからはなかなか仕掛けてこない。

 嫌な膠着状態が続くかと思われたが、それは“相手の足元”から終わりを告げた。対峙する小剣使いの足の間を通り、顎から顔面をなでるように吹き上がる細い水柱。

「冷たっ!!」

 急に生まれた滴る不快感に、男も素早く水けをぬぐおうとする。それは明らかに、こちらから視線を外す行動。加えて、水柱という障害物の出現。

 今度こそ、チャンスを逃さない。素早く、大地を踏み抜かんばかりの力で駆け込み、体をねじって利き腕を引き絞る。

 相手がこちらの動きに気づいた時には、男の顔面に渾身の握り拳が叩き込まれていた。男の表情は驚きを含みながら、まるで泥団子を握りつぶすように醜く崩れ、ゆっくりと地に落ちた。

 男が動かなくなったことを確認し、ラディスのほうへ振り向いた。そこには息遣いが少し落ち着いてきた彼が、体を起こし始めていた。横たわって隠れていた地面には、魔法陣に似た小さな円形の紋様が書かれており、これが先程の水柱を発生させた術式なのだろう。つまり、自分は再びラディスによって助けられたのである。

「ラディス、無理をするな」

「大丈夫だよ。ダインが引き付けてくれたおかげで、魔法陣もバレずにすんだよ」

 立ち上がるのを手伝えば、何とか自立できるぐらいには回復している。しかし、顔色からして毒の完治とは行かず、腕の切り傷もまだ痛々しい赤い身が見えている。水柱の魔法ですら無理をして作った様子であり、自分一人ではどうすることもできなかった歯がゆさがにじむ結果だった。

「……おいおいおい、なんだこの甘っちょろい処理」

 薄まってきた霧の向こうから、聞きなれつつある声と力強くも軽やかな足音が聞こえる。太陽の光に反射する金色の毛並み。頬についた赤黒い返り血をぬぐいながら、トールが近づいてきた。

 だが、様子がおかしい。彼から発せられる言葉と座った視線には、殺気にも似た肌を刺す威圧が乗っている。加えて、自分の芯が冷えてくるような錯覚も覚える。敵を間違えていないか? と問いただしたくなるほど、息苦しくなる。

 彼が地面に転がる小剣使いのそばまで来ると、手に持っていた得物を振り上げ、足元へ垂直に刺した。……横たわる男の太ももめがけて。耳の奥にぐちゅりと、肉の音が響く。

「こいつの傷は、終わった後でも癒せる。とにかく今は、反撃される可能性をできるだけ多く潰せ」

 小剣使いが小さく悲鳴を上げるのも無視し、バルディッシュをもう一度振り上げ、刺さなかったほうの太ももを刺した。男は再び小さな悲鳴を上げると、いよいよ意識を手放したようであり、動かなくなった。

「いいか? 規模問わず、戦場に出たら砂糖菓子みたいな甘い考えは捨てろ。俺たちは、生きるために戦ってるんだから。それが傭兵ってもんだ」

 こちらが止める間も抗議する間も無く、容易く行われた“戦闘処理”に息を飲んでしまった。『今回は、剣を振るわずに済んだ。だが次も剣を振るわずに済むとは限らない』なんて、密かに思っていたが、そんな考え自体が甘いものだった。人だとかモンスターだとか関係ない。船上でケンギョと戦った時と同じく、いつ死と隣り合わせになってもおかしくないのだと。

「ほら、切り替えていくぞ。どうせ、あのデカ物は起き上がるし、あと一人残ってるんだからよ」

 トールが再び口を開いた時には、すでに殺気は無くなっていた。安堵と共に一気に肺が空気で満たされたと感じるほど、トールから向けられていた怒りに気圧され、息をするのも忘れていた。



 ……そして、安堵なんて続かない。否、戦場で安堵を求めること自体、おかしい事なのだ。

「まったくだぜ! 俺様を忘れてくれるなっつんだよおお!!」

 失いかけた緊張感を否応なしに蘇らせる声が、トールの後ろから響き渡った。トールが振り向きざまにバルディッシュで横薙ぎを放つが、虚しく空を切っただけ。

「遅ぇってんだよ!」

 相手は既に身を屈めており、握りこぶしが小さな閃光を放ちながら、トールの腹にめり込んでいく。

「ングァッ!」

「トール!」

 足元に落ちている大剣を急ぎ拾い上げ、トールを庇うように前に出た。大剣を逆手に持ち替え、剣の峰に左手を宛がい、盾代わりに構える。

「――アクアショット!!」

 その間に、ラディスは自分らの頭上や横を抜けるよう、水球を三発放った。

「無駄無駄無駄ァ!!!!」

 しかし、ラディスの魔法もむなしく、牙獣族の閃光をまとった高速の拳によって、水球はすべて殴り破壊された。

「フハハハハ! この雷拳のラッツ様に打てぬ玉なーーーし!!」

 ラッツと名乗った牙獣族(ガルムス)の見張り役の両腕が、火花に似た青白い光と弾ける小さな音を纏っている。雷拳の二つ名を自称するだけあり、拳をまとっているのは雷のマナであろう。頬を伝う静電気が“懐かしい”。

 ならばと、どこからともなく沸き上がった自信に、足が自然と前へ繰り出される。

「おうおう、さっきの坊ちゃまじゃーん? 何? 身包み差し出して、命乞いってか??」

「……ラディス、トールの回復を。こいつは俺がやる」

 それまで盾のように構えていた大剣を、攻撃用に前に構え直した。この挑発に乗ってくれれば、御の字。

「はぁ? 舐めたまねしてくれるじゃねーか。ガキが、粋がってるんじゃねーぞ!!」

 男は思惑通りに乗ってくれたようであり、青筋を立てながら右の拳を振り上げた。拳が魔力の追加支払いによって一層力強い煌めきを放ちつつ、勢いよく突き出される。

 こちらは攻撃の構えを急いで解き、再び盾になるよう持ち替え、衝撃に備えた。

 盾代わりの大剣から伝わる鈍い音と衝撃。そして、体内から外に向かって突き破ろうとする、雷撃特有の痺れと痛みが襲う。

「そんな剣で防ごうったって、無駄無駄ァ!!!」

 男は殴りつけている拳から、追加の雷撃を大量に送り込んできた。男の魔力が雷撃に変換される際の魔法反応は、落雷の閃光ともいえる強烈な光であり、眼が眩む。

「……それだけか?」

「は?」

 口から滑り落ちた言葉は、煽りや強情を抜きにした純粋な言葉であり、体はいたって“正常”である。その証拠と言わんばかりに剣を振り上げ、雷拳のラッツを軽く吹き飛ばした。相手の驚きの表情から、雷のマナの特性である“接触時に相手の肉体を一時的に麻痺させる”効果を狙った一撃だったのだろう。

(雷撃は、受けなれているんでな)

 こっちは日頃からネヴィアの雷撃系剣技を受けていたために、多少の雷撃や麻痺に対する耐性がついている。加えて、腹部や各パーツの接合部には耐電性の高いゴム素材が使われているため、見た目の派手さに比べれば、雷撃としてのダメージは極端に少ない。また、麻痺だけを狙った一撃であったようで、打撃としての精度は極めて低く、盾代わりの大剣がわずかに震えた程度。

「……んなら、コイツはどぉうだ?」

 吹き飛ばされた雷拳のラッツが、空中でしなやかに身体をひねりながら着地すると、入れ替わるように巨大な拳が最後の霧をかき消しつつ、眼前に迫っていた。まともに正面から当たったら、またきれいな直線を描いて、森の中に消えるだろう。


 ――カチ。


 視界が赤くなる。世界が限りなく停止に近い低速になる。自分の身体に何かが起きている。でも、どうでもいい。今はそんなことよりも、目の前に迫りくる身の丈ほどの巨大な拳とその持ち主を注視する。

 巨人グローバス。先ほどからの変化は、眉間から鼻先にかけて、焼け焦げたパンの表面を思わせる皮膚の焼けただれ。そんな傷を負っても、なお動くか。やはり化け物か。迫る右の拳はストレートだが、肘が曲がっている。殺人的な威力とまではいかないだろう。

 振り上げたはずの大剣を荒く素早く袈裟斬りのように振り下ろし、剣の背に左手を添えて盾とする。

 視界が戻った時には間を置かずして、全身に衝撃が走る。身体が軋む。しかし、吹き飛ばされまいと、地に足がめり込み、道を作ろうとも踏ん張り立った。

「何だと!?」

 グローバスの驚愕の顔から、今の一撃は文字通りの必殺を狙った一撃と見ていい。実際、殺人的ではないと思ったにせよ、本気の防御態勢を取っていないと、先ほどと同じく吹き飛ばれていた。あくまでも、その場に踏みとどまれるかどうかの判断でしかない。

 だが、それでいい。この一瞬の隙に大剣の盾状態を解き、軋む身体に無理を言わせ一歩前へ出る。足の動きに合わせて、柄を持っていた右手を軸に剣を頭の上で回転させつつ、左手で柄の先端を引き下げるように握りなおせば、刃が流れるように天を向いた。

(もう二度と……間違えない)

 思い描くは肉を裂き、骨を砕く、重い重い一撃。手から剣へと伝わる想いと魔力が、名もなき技(アーツ)となって光り輝く。

「遅いっ!!」

 さらに一歩。ゆっくりと引かれるグローバスの右拳に対し、頭上に掲げた輝ける剣を振り下ろす。輝ける白の剣閃が巨人の右手中指と薬指の間を抜け、手の甲約三十cm分を切り裂いた。手や体の大きさからすれば、与えた傷は小さいものかもしれない。しかし、太い血管に加え、手のひらの肉を深さ三十cm分見事に切り裂いた。目の前には真っ赤な噴水が出来上がり、生暖かい雫が頬を濡らす。

「ヒ、ンギィアアアアアアアアアア!!!」

 痛みの進行と、状況の理解がようやく一致したのか、グローバスは遅れて激痛を訴える咆哮を発した。

 同時に、自分の視界の色が元に戻り、あらゆる感覚が正常に戻る。殴られたときの衝撃に、無理やり攻撃行動へ体動かした反動と、巨人の咆哮から浴びせられた衝撃波により、全身が悲鳴を上げる。加えて、口の中に再び鉄の味が広がる。

(まだだ)

 止まることを許してはいけない。振りきった大剣を流れのまま、自分の左側へ流し、横に構えた状態で、交代する巨人を追う。

 あれは平然を通り越して、嬉々とした顔で略奪、殺人、人体の剥製なんて考えを吐き出せる、極めて危険と判断していい存在。その判断が正しいかどうかは、正直分からない。それでもトールとラディスの行動が物語るように、目の前に立ちはだかる存在は自分を、そして多くの者に害を成す脅威そのもの。肌で感じた、悪意の塊。自分が生きるために、皆が生きるために排除しなければならない存在。

(足りない)

 相手を黙らせる、戦意を奪う、行動不能にさせるといった、この場を収めるための一手には程遠い。防御系魔法の消えた今なら、それこそ“絶命”をも狙える一撃すら可能だろう。

(ああ、染まっていく)

 何と言われれば、『殺』という自然の色だろう。

 本来『殺』はどこにでもある自然の摂理。生きるために食す。食すために殺す。ただ、ヒトは考えることを覚えたせいで罪の意識を持ち、秩序と倫理で正当化し、和らげ、封印しているだけだ。

 なら、この世界における戦場とは?

 自然に帰る場所。生きるために『殺』の色を思い出す場所。弱肉強食。勝てば官軍。生き残った者が勝者となる、まさに野生。

 だが、この『殺』に染まった先にあるのは、単純に個人としての生存を望む心だけではない。それこそ傭兵として、救ってほしいと願われた側として、多くの『生』を背負ってしまったからこそ引けない。染まらなければならない。

『正当防衛という名目での“殺人を許可されている”』

『俺たちは、生きるために戦ってるんだから』

 確かに、傭兵ならば世界を知るという意味では、最も真理に近い職業なのかもしれない。

(これが俺の望んだ世界というのなら……、染まってやる)

 自分の知っている倫理を捨てる。これまでの自分を『殺』す。生と死という両極端な位置にして背中合わせの、究極の概念を自分の中に落とし込む。

「きっさまあああああああああああ!!!!」

 グローバスと入れ替わるように、雷拳のラッツが両腕を輝かせながら、こちらに跳びかかろうとしている。腕の煌めきは先ほどまでの眩さから、火花の音がはっきりと聞こえるほど、復讐の怒りに満ちた激しさを放っている。いくら雷撃を受け慣れているとはいえ、音を発するほどの激しい電流は、さすがに気絶か麻痺を引き起こす危険性がある。

 ここは仕方なく、走り出していた体を無理やり停止させ、急停止の反動を使って剣を振り上げる。相手は跳びかかっている最中であり、このままなら腹部から胸部にかけて逆袈裟状に切り裂きつつ、吹き飛ばすことができるだろう。

「チッ!!」

 しかし相手は、剣が当たる寸前の空中にいる時に、両腕に帯電していた雷撃を開放すると、“不自然なほど柔らかい動き”で剣の振り上げを交わし、ふわりと後方へ着地した。まるで、剣から自動的に距離をとるような動きだったが、跳躍の威力を押し殺す動作をするわけでもなく、ましてや身動きの取れない空中にいるときに、そんなことは可能なのか? 変化があるとすれば、相手との間にある空間か双方の体に起きているはず。

 ふと視界の隅に入った自分の剣を見れば、枝に似た極めて細かい青白の光が点滅するように時折走っていた。

(電流? ……帯電……そうか、磁力か!)

 先ほど、この剣で雷拳を受け止めた際に、刃が帯電したことによって、剣が強力な磁力発生装置となってしまったのだろう。相手は攻撃用にため込んだ腕の電気を、こちらに反発する磁力へと変換し反発作用を利用したために、空中においても奇妙な動きで緊急回避をしてみせたということだ。

 ただし、水平よりもやや斜め上に切り上げた剣の軌道と同じ方向に反発したために、ラッツは空中でも、先ほどよりさらに高い位置へと浮かされた形となった。一応、空中で無防備であることは、こちらとしても大きな好機であるはずなのに、剣はまだ帯電しており、追撃すれば同じように距離が生まれていき、自分がラディスとトールから無意味に遠ざかってしまう。

「……ゴロジデヤル」

 これ以上の追撃は危険と立ち止まれば、地面に降り立った雷拳ラッツの後ろから聞こえてくる、小さなグローバスの声を拾った。注意深く聞かなければ聞こえてこないはずの音なのに、耳の奥へ直接響き、腹の底を震わせるく。その声は森を震わせ、空気を汚染し、空間全体に体温に似た生暖かい空気を満たしていく。

「お……親分?」

 慕い従う相手から放たれた空間の変化に、部下であるラッツまでもがすくみ上る小動物のように、すり足で距離を取りつつある。

「ごろしデヤる、殺しテやる、ゴロジデヤルゥゥ!!」

 土煙が吹き飛ぶほどの叫びは、まさしく魔物の咆哮。巨人の顔は歪みきり、爛れた皮ふと相まって、既にヒトとは言いがたい。

 そして咆哮とともに、巨人からはあまりにも奇妙な変化が起き始めた。

 血を流していた右手は血の流れが止まり、ばっくりと裂けていたはずの切り口が、石鹸の泡を立てるようにブクブクと皮膚色の水疱に包まれ、やがて泡が消えた後に元に戻った皮膚が現れた。

 顔の焼けただれた痕も同じく泡立った後は、一番初めに見た彫りの深い、強面のヒトに近かったころの顔。その顔も、すぐに憎しみよって歪みきったものへと変わる。

「……ナァニ、見てルンダァ?」

 変貌した巨人にばかり目が行ったが、その変貌ぶりを見守っていた雷拳のラッツに目をやれば、呼吸をすることすら忘れるほど慄き、棒立ちになっている。この変化は、彼らの予定にも想像にもなかった出来事と読める。

「ジロジロ見てんジャねぇーヨ」

「ヒ」

 たった一言、小さな声を上げた瞬間、ラッツの体がその場から消え去った。

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