2-3 鎖国による守りと弊害

 西の空と地平線の狭間に太陽の痕跡が残りつつも、逢魔時の終わりを告げるように、頭上は濃紺と星々の煌めきが支配しつつある。

 自分とルカが商人タブリスの指示によって動き始めてから、四十分が経とうとしていた。夕食の支度は自分とタブリスが主に行い、ルカは合間を見て、降ろされた有翼族(フェザニス)の女性に治癒の魔法をかけていた。

「ダイン、トール、できたよー」

 有翼族の女性を馬車から降ろし終わった後、夜営地の周囲を警戒していてくれた二人に声をかけた。

「待ってました!! いやもう、匂いが胃を殴りつけて、大変だった」

 先に現れたのはトールだった。まるでお腹をすかせた犬のように、ご自慢の金色に艶めく尻尾と耳が力強く振られている。年長者の貫禄はどこに行ってしまったのだろうか。また腹をさするあたり、この目の前の料理が放つ香辛料の匂いは、確実に相手の胃を支配できること間違いないだろう。

 さて、目の前の料理はというと、灯の焚き木にくべられている鍋が二つ。ふたを開けると一つには、湯気の中から輝く粒がしっかりと立っている炊き立ての米が顔をのぞかせた。

 もう一つには、人参、玉葱、馬鈴薯(ジャガイモ)、鶏の干し肉をじっくりと煮込み、そこに粉末香辛料を何種類も入れて煮込んだカレーと呼ばれる料理だ。美味しいものに国境はないことを証明するように、この料理は大国サイぺリアやその同盟国であるティタニスだけでなく、鎖国の多いコウエンにもその料理方法が伝わっている。

 本来なら、最初に肉を焼くところから始まるが、今回は干し肉を使用するために、初めからすべての具材を煮込み、野菜のだし汁の中にカレー用の香辛料を入れた感じとなった。

 また、今回は初めての野外調理であったが、思った以上に出来が良かったために、作った本人の胃も殴られている。

「分かる。この料理がこんなにも胃を刺激してくるのは、初めてだ」

 続いてダインが背後から現れた。振り向けばこちらも腹をさすりながら、さらには口まで押えて唾が溢れないように必死にこらえている様子だ。

 だが、その表情は空腹に加え、どこか疑問と新鮮味に驚くような顔をしている。

「ダイン、なんか不思議そうにしているけど、どうしたの?」

「あー、いや、カレーが万国共通なのは知っていたが、国によって匂いとか、こうも違うものなのかと驚いていたんだ」

 隣に片膝をついてしゃがみ込んだ彼の顔は、まるで未知との遭遇を噛みしめ、自分の常識を強制的に塗り替えさせるような、強烈な興味と困惑の視線を鍋の中に注いでいる。

 確かにカレーとは入れる具材や香辛料の種類によって味や匂い、見た目が変化しつつも、一様にカレーと表現できる特殊な料理である。しかし、彼の言い回しでは、どこか根本的に食い違っているような気がいてくるのだ。

「ふむ……ダインさんの驚き方は、なんでしょう……微妙に違う気がしますぞ?」

 それは湯気越しに見えづらいはずのタブリスにも伝わっていたようであり、ダインの表情に興味を持ったトールがダインに目をやり、有翼族の女性の治療を行っているルカも手を止めて、こちらを顔を向けた。

 全員から視線を注がれると、ダインはややバツの悪そうな顔をしながら、ポツリとつぶやいた。

「その……なんだ、俺が食べていたカレーはいつも炭に近い匂いがしていて、ところどころ黒かったり、苦かったりしていたんだ。カレーとはそういうものだと教えられていたから、同じ料理とは思えなくてな」

 ダインの言葉を聞いた瞬間、タブリスが黙ってご飯をよそい、その皿を受け取るとご飯の上にカレーをかけて、匙と共にツッコミ替わりにカレーライスとして完成した皿をダインに差し出した。

「それ、ただの焦げカレーだから! はいこれ食べて! ちゃんとしてるヤツッ!!」

 自分とタブリスによる無言の連携に目を皿にしたダインは、カレーを受け取るのをためらったが、さらに強く押し付けると大人しく受け取った。

 改めてその場に座りなおすと、カレーとご飯が半々になるように匙の上に盛り、色や匂いを一通り観察してから、口の中へ頬張った。まだ熱そうにハフハフと小声を漏らしながらも味わうようにゆっくりと咀嚼する。

「美味い……苦味もないし、ザリザリ感もない。大きさも食べやすい……これが、本当の……カレー……。俺は今まで、何を食べてきたんだ……?」

 焦げのないカレーは本当に初めてのようであり、衝撃のあまりに人生を振り替ええり、頭を抱えつつも一口、もう一口と自然に匙が進んでいる。彼は一体、今までどんなカレーを食べていたのだろうか?

「やべぇ、ダインを見てたら、限界だ」

「私も、です」

 ダインの喰いっぷりに触発されたトールとルカが、腹を押さえて苦笑いしている。かくいう自分もこの香辛料の匂いにずっと当てられており、空腹による吐き気すら出てきている。

「んぐ、す、すまん」

 そんなダインはというと、あまりにも美味しかったのか、本当に無我夢中だったようであり、皆の視線に気づくと残り数口というところで手を止めて、恥ずかしそうに口元を隠した。

「……ん……んん……」

 残る全員のカレーをよそい終わったところで、背後から女性の小さな呻き声が聞こえてきた。振り向けば、横になっていた有翼族の女性がゆっくりと体を起こそうとしている。深い眠りから目覚めたためか、錆びついた蝶番のように動きがひどく鈍い。

「大丈夫?」

 自分の手にしていた皿を地面に置いて駆け寄ると、女性は完全のこちらに体重を預けた状態で、上目遣いに一言つぶやいた。

「……おなか……空きました……」

 女性はつぶやき終わると、糸の切れた操り人形のように力無く崩れ落ち、再び目を閉じた。

 

 

 夜営地を支配していた香辛料の匂いも、全員の腹の中に納まった。食器類も一通り洗い終わり、今は休憩と皆で灯し火を囲うように輪になって座っている。

「うう……、先ほどはお恥ずかしいところを見せてしまい、すみませんでした」

 自分の右斜め前には、寝起きであったにもかかわらず一人前よりも少し多めによそったカレーをきれいに完食し、恥ずかしそうに顔を軽く隠す有翼族(フェザニス)の女性が座っている。顔色はすっかり良くなっており、ルカの治療の甲斐もあって、見た目は傷一つない健康的に見える。また、寝起きの胃を活性化させたカレーの力は恐るべしものであり、万国共通の料理と認識されているだけはあると、改めて考えさせられた。

「私は、ネフェルト・ラズーリトと申します。このたびは介抱していただき、本当にありがとうございます」

 座りながらの小さいお辞儀だったものの、ゆっくりと丁寧な仕草から礼儀正しく、物腰が柔らかそうな方だと思えた。名乗りへの返事として、自分たちもそれぞれ名乗り、互いの名前を共有した。

 ネフェルトと名乗った女性を改めて見てみると、焚き木の灯りに照らされる肌は、火の色をそのまま返すほど美しく肌理(きめ)が細かい。瞳の色は炎の色が混じりながらも、髪色と同じく鮮やかな瑠璃色をしている。また、前髪の生え際からは天に向かって伸びる一房のくせっ毛が立っており、ネフェルトが体動かすたびに、ひょこひょこと揺れるのが目に付く。

 あと、やはり目を引かれるのが、毛布代わりに体を包んでいる黒い外套から見える豊満な胸だ。ネフェルトの向かって右隣に座るルカは顔を赤らめながら「はわわ……」とつぶやきつつも目が離せない様子。逆側に陣取るトールは、このたわわな果実を目に焼き付けるために、その位置を選んだのだろう。現にほんのりと鼻の下が伸びている。自分の隣で且つネフェルトの対角線上に座るダインは無表情で無言であり、何を考えているのか分からない。トールとダインの間に座るタブリスは「ほほう……」と純粋な感心と興味の眼差しを向けている。

 たとえ、その豊満な胸を差し引いても、整った顔やスラリと伸びる長い脚、白魚と表現してもいい細くて長い指と、同性の自分が見ても美人と思える要素が詰まった人だ。

「さて、ネフェルトさん。いろいろ聞きたいことがあるんだけど、いいかい?」

 まるで美女を守る騎士か衛士を気取り、鼻の下が伸びつつも紳士的な微笑みを向けるトール。その姿にネフェルトも少し驚いたものの、大人の余裕なのか、目には目を、微笑みには微笑みで返した。

「もちろんです。私が草原に落ちていた経緯などですよね」

「話が早くて助かります」

 目の前で繰り広げられる微笑み合戦。これが戯画や漫画なら二人の背景には、花や小さな光といった効果がついていたかもしれない。

 だが、それもネフェルトのほうが先に止め、真剣な眼差しで全員の顔を一瞥すると、深呼吸の後に呟きだした。

「気づいてる方がいると思いますが、私はフェザーブルクで人攫いに遭いました」

 人攫いという言葉に全員が息を飲み、場が一瞬で凍り付く。自分とダインはそばに置いていた各々の武器を手に取り、立ち上がった。ルカは人攫いという言葉とこちらが急に動いたことで、二重に驚いてしまい肩が跳ね上がった。

「なんと! そうでしたか……」

「まじかぁ。……ああ、そこのお二人さんは座りな。確実に近くにはいないから」

 こちらの慌てっぷりを余所に、トールとタブリスは異様なまでの落ち着きを払っている。嗅覚の優れたトールが索敵した……とは違った様子であり、これはまた自分たち他国民だけが知らない情報かもしれない。そう思うと、慌てたこと自体が滑稽な行動に見えてしまう。それはダインも同じだったようであり、視線が合うと互いに納得のいかない表情のまま、トールの指示通り二人とも座りなおした。

「どういうことなの?」

「カキョウちゃん、さっき俺が“東側”について話すって言ってたこと覚えてる?」

「覚えてるよ。しかも、種族が関係しそうな感じだったよね」

 元々は食事中に話してもらう予定の話題だったが、腹の虫とカレーが見事に阻害し、ほぼ無言のまま全員が食べることに集中したため、お流れになっていた。

 こちらの問いに視線を向けてきたトールの表情は、これまでになく重苦しい。聞け、そして心に刻めと言わんばかりに、あらゆる圧が激しい。

「まず東側っていうのは、この国の首都を中心とした中央地域の通称だ」

 サイぺリアという国は、今から二十年前に起きた領土拡大戦線と呼ばれる侵略戦争に勝利し、周辺諸国を併呑した末に大陸統一国家となった大国である。戦争以前は、現在目指しているモールという街の背後にそびえるオルティア山脈を境に西側と東側で分かれていた国であり、この頃から首都は東側にあった。現在は領土が拡大し、東側が地理的にも政治的にも国の中央部となったが、かつての名残として今も東側と呼ばれている。代わりに吸収した周辺諸国は旧国地域や旧国名+地区で呼ばれ、東側地域とはさらに区別される。

 ネフェルトの言葉にあったフェザーブルクとは、山岳地帯を統治下に置いていた旧国の一つウィンダリアの首都だった街である。会話では略されていたが、正式にはウィンダリア地区の旧首都フェザーブルクで攫われたということになる。

「つまり、攫われたところはかなり遠く離れたところがだから、安心していいってこと?」

「“今”はそう思ってくれて。後でもう少し詳しく話すから。んでだ……この地域は、ある“特定の種族”に対する人攫いや人身売買といった非人道的な事件が多発している地域なんだ」

 流されるようにだが、今はとあえて強調されたということは、一言では表しにくい大きな内容と思っていいのだろう。

「まず、ネフェルトさんのような有翼族(フェザニス)の羽は鳥のもの以上に上質で、高級な羽毛として取引されているらしい」

「いわゆる闇市場で取引される完全な違法商品ですな。私は清い商売を誓っていますので、取り扱いは一切しておりませんがね」

「まぁ、おっちゃんには闇に手を染める度胸はねーな」

「さすがはトール坊ちゃん。わかっておりますな」

 言っている内容は極めて重く、受け止めるにもかなり慎重にならざる得ない情報であるはずなのに、まるで日常茶飯事と言わんばかりに、トールとタブリスは苦笑いを交わしている。

 高級な羽毛と軽く言っているが、それは生きたもしくは殺した有翼族(フェザニス)の翼をむしり取ってるということだ。衣類用なら一本二本ではなく、それこそ一人分の羽毛が必要になるはず。

 そんな非人道的な行いが横行しているのならば、鎖国の多いコウエン国民の自分は知らなくても、交流のあるティタニス国出身のダインならば、何か知っていたのでは? と思い彼に視線を向けた。しかし、彼もまた自分と同じように、この奇妙なやり取りと内容に戸惑っている。

 ならばサイペリアの国民なら常識の話なのだろうか? と思い、ルカに視線を向ければ、自分は知らないと青ざめた表情をしながら首を横に振っている。

「ふーむ、ルカさんは東側へ行くのは、今回の巡礼が初めてなんですね?」

「は……はい……」

「ならば、知らないのも伺えますな。これは完全にと言っていいぐらい、東側だけの話なのです。貴女も巡礼に身を置かれるなら、ぜひ知っておいて下さい」

 タブリスの言葉は表面上優しく諭しているものの、声音には圧が含まれており、ルカにも刻めと突き刺していく。知らぬが仏では済まされない、常識の外側の話が紡がれていく。

「話を戻すと羽毛目的だけでなく、ネフェルトさんぐらいの美人さんなら奴隷目的で人攫いに狙われるってわけだ。実際、ネフェルトさんも今回が初めてってわけではないんですよね?」

「そうですね。過去には二回ほど……未遂でしたけどね」

 話を振られているネフェルトも、彼らと同じく苦笑を漏らす。

(どうして、笑っていられるの?)

 言葉だけなら、人攫いや人身売買とただの単語で簡単に済ませられているが、内容は人権を無視した極めて非人道的であり、どの国でも犯罪行為ではないのだろうか。それをまるで天災に見舞われたような乾いた笑いになるほど、当たり前のように横行しているというのか。

「それなら、カキョウさんも大変ではないですか?」

「……へ? アタシ?」

 急に名指しされたために、すっとんきょんな声を上げてしまい、全員の視線が注がれる。中でもトールの視線は一層強く、ここからが本題と言わんばかりに睨みつけてきている。

「……ホーンドってのは、もっと酷いぞ。角は万能薬や長寿薬の材料、心臓を食べれば若返りの効果があるとかいう噂があって、昔はホーンド狩りなんて言葉があったとか。そうでなくても物珍しさから、付き人や奴隷として“所有”している貴族がいるという話もある」

 有翼族の羽むしりだけでも、背中がゾワゾワと不快な感覚が生まれたというのに、自分ら有角族(ホーンド)は心臓と、命の次に大事な角を奪われ、食されていたていたという話が、脳を焼き殺していく。

「ちょっと……所有ってどういうことよ。アタシは……アタシたちは物同然だってこと!?」

 殺されれば食され、生かされれば所有物として扱われる。話を聞く限り、その辺の愛玩動物のほうが、まだマシな生かされ方をしているのではないだろうか。

「おおお、落ち着いてください! トール坊ちゃんが噂というように、どれも確証がありません。私自身も売買の場面には出くわしたことありません。何分、コウエン国は外交で何か起きるとすぐに鎖国する関係で、ホーンドの方々は基本的にサイペリアでは見かけることはありません」

 噂であったりと言いつつも、現に人攫いの被害者が目の前にいる状況では、説得力が乏しく感じる。

 コウエン国では時折、国外が危険になったとか他国が条約を破ったとかで、貿易制裁として双方向の輸出入や渡航禁止をすることが多い。自分が家出で密航した時も、前回の渡航禁止が解除された直後にもかかわらず、海竜の被害が国の貿易船団やティタニス・サイペリア方面への定期船にも出てきたため、海竜騒動が解決するまでは貿易と渡航が一切禁じられるという話が上がっていた。これを耳にしていたために、あの夜は最後の好機とばかりに大きな決断という無謀な家出を行った。

 しかし、今回の話で分かったのは、政府が鎖国を繰り返す理由が海竜騒動や貿易衝突だけでなく、他国においての有角族が人身売買を中心とした人権侵害を受けていたことに対する報復であった可能性があること。意図的に往来を無くすことで、根本的な形で国民を守っていたということになる。

「で、でも、ポートアレアに何人かいたよね!?」

 そう、ポートアレアの市場では自分と同じく角が生え、コウエン国独特の平面構造を主体とした前を重ねる衣類を着た人たちが、刀剣類や宝飾品を売っていたのを覚えている。

「あれは……売り子のなりきり衣装で、付け角だ。本物のホーンドなんて、滅多にお目にかかれない。……その滅多な部分がカキョウちゃんというわけだ」

「わ、私も……カキョウちゃんを見たときは、すっごく、びっくりしまし、た……本当に、いるんだなって」

 トールとルカが、申し訳なさそうにつぶやく。つまりポートアレアにいた有角族らしき人々は、すべて仮装した偽物。同族ではなかった。考えてみれば、つい先日まで鎖国していたために、街に永住している者でなければ、見かけることはないのだ。

 生まれてこの方、十六……もうすぐ十七歳になろうとしているのに、今初めていることとなった危険な事実は、自分から知ろうとしなかったことなのか、それとも他者や国が伝えなかったことなのか、それすら分からない。危険を認識し始めると、これまでの言葉がまるで蛇のように身体にまとわりつき、手は自然に角を覆い隠すように握りしめ、体中が冷や汗まみれになり、顔から血の気が引いてるのがわかる。

「じゃ、じゃぁ……せめて角、ううん、全部、ぜんぶ隠さないといけないよね!?」

 事実を知ってしまった今なら、自分は歩く高額商品、歩く高級食材とまるで売り文句をぶら下げて歩いていたわけだ。

(女戦士が珍しいんじゃない……単純に生きた有角族が珍しいんだ……)

 バッドスターズ掃討作戦の祝勝会で、やたらめったらに男性たちが絡んできたのも、今なら納得できる。何人もが頭を触ろうとして、そのたびに周囲の老齢ともいうべき歴戦の先輩たちが若い戦士たちを注意していた。

 腑に落ちたと同時に、体の芯がますます冷えていく。

「カキョウさん、先ほども言いましたが、これらはすべて東側だけの話です。コウエン国との交流がある西側では、貿易解禁時にはホーンドの商人も来ますよ。最近は機会自体が減ってしまいましたので、ルカさんのように会えない人が大多数なだけです。あと、コウエン国の交易品は品質の良い品が多く、正しい意味で希少価値が高いので、わざわざ危険に足を突っ込んでまで国交を途絶させようとする者は、西側にはいませんよ」

「とはいえ、周りのことを一切考えない奴や、東側から流れ込んできたバカどもがいる可能性があるから、モールに着いたら色々と準備しよう。それでいいかい?」

 あくまでも東側だけの話と念は押されているものの、境となる山脈の麓町であるモールには、東側を主体としている商人などが来ることもあるため、用心する必要はあるようだ。

「うん、わかった……」

 あえて言われなかったが、トールとタブリスからは『すべてのサイペリア国民が悪というわけではない』という、熱意のようなものを感じていた。

 それは分かっているのだ。こんな右も左もわからない有角族に、組織は路銀を稼ぐ手段と傭兵という身分証明をわざわざ与えてくれたのだ。食材にしたり、奴隷にするためなら、このような施しは行わない。むしろ、人身売買の話を隠しておいたほうが、後々都合がいいはずなのだ。

 また、この場でのもう一人のサイぺリア国民であるルカは話を聞いている最中、ずっと涙目だった。同じサイペリア国の人間であるのに知らなかったということは、それだけポートアレアを中心とした西側の種族に対する偏見の少なさや、治安の良さが伺える。

(そういえば……トールやタブリスさんってこの国の人だけど、どの地域の出身なんだろう)

 これだけトールとタブリスが西側を誇張するということは、暗に東側が危険というだけでなく、もっと別の部分も含めて信じてほしいという願いが込められていつかもしれない。

 けれど、今はそれを追求する気にはなれなかった。仮に二人が東側の人間だとしても、彼らが人間を売り飛ばすような悪人には見えない。トールとルカはたった二日、三日の仲とはいえ、長い旅の始まったばかりで、疑いの心全開にギスギスしたくはないのだ。

 さて、こちらが思いにふけっていると、角や衣類をまじまじと観察するネフェルトの視線に気づいた。先の説明でも有角族が物珍しいというのは理解したが、こちらもまた有翼族が物珍しい。焚き木に照らされる純白の翼が、彼女の呼吸によって小さく動いているのを見ると、翼が作り物ではなく、血の通った器官であることを認識し、視線がそっちに行ってしまう。当然、互いに観察しあえば視線が合ってしまったので、互いに小さく笑って視線を変えた。

 視線を変えた先は左隣に座るダイン。なぜか顔がひどく青ざめ、口元を手で覆い隠すようにしている。先ほどから彼に視線を移すたびに、口元に手を置いている姿ばかりであり、それが彼の癖なのだろうか。

(そういえば、アタシ……彼のこと全然、知らない)

 巨人族(タイタニア)の国ティタニスから来た、常識を知ってるようで知らない、知らないようで知ってる純人族(ホミノス)の青年。魚人族(シープル)のラディスが『彼、勘当されちゃった』と言っていた。トールやマーセナリーズ・ネストの支部長ジョージも、自分の知らない書類の上で、彼の詳細な情報を知っている。わざわざラディスやトールといった教育担当と呼ばれる者たちが用意されてる。

 勘当され、ご丁寧に木箱で国外追放。そして教育担当や水先案内人が用意されている。ダインという人物は、本当に何者なのだろうか? この中でなら、自分が一番長く一緒にいるはずなのに、彼のことが一番分からない。

「……すまないが、質問させてくれ。同じ大陸、同じ国の中で、こうも西側と東側で違うのは何故なんだ?」

 こちらの視線に気づかないまま、ダインは口元を覆っていた手を離して、挙手した。

「ダイン、いい質問だ。ここからは地理と歴史のお勉強といこうか」

 これまで威圧に似た重たさを放っていたトールも、ダインの質問に対しては釣り針に魚がかかった時の鋭い喜び方をして、空気が切り替わった。トールは自身のことを彼の教育担当と言っていた手前、ダインが見せる興味や反応が思惑や想定どおりか、それ以上の成果となっている様子が面白いのだろう。

 調理前の炎が出せない自分の一件と合わせ、今の自分とダインに対する反応の違いが、どうしても引っかかってしまう。確実に危機感に対する叱咤も含まれていると思うが、こうも差が大きいと正直、気が滅入ってしまう。

 とはいえ、次の話もしっかりと聞いておかないと、自分に跳ね返るような怖い話ではあるはずなので、おとなしくトールの言葉を待った。

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