【幕間】炎に照らされた顔

 タブリスの指示によって、自分はダインとともに、昼間保護した有翼族(フェザニス)の女性を下すために、馬車の後ろに回り込んだ。灯火が馬車と積み荷によってさえぎられる裏手は、暗闇に揺れる海原に似た草原の揺れと、煌めく満天の星空が、先の態度を咎めるように冷たく輝いていた。

「はぁ……」

 人は誰しも、簡単に打ち明けれる過去と、そうでない過去を持ち合わせている。かくいう自分もまた、両手のグローブの下に隠すように、傷跡に蓋をしている。

 自分は天に向かって長細くなっていく大きな犬耳と、イヌ科の動物と同じく毛量の多い尻尾によって、一見すれば犬系の牙獣族に見える。

 しかし、爪を見れば、根本は純人族(ホミノス)のものと同じく指の輪郭に沿った平たいものであり、先端に行けば自然と巻き爪となり、やがて収束して横に平たかった爪が縦に変形し、緩やかなカーブを描き、まるで猫の爪のよに鋭い鉤爪(かぎづめ)となっている。

 もしこれが純粋な犬系の爪なら、平たい爪が木の枝のように円錐形に変形するはずである。

 つまり、自分は犬系と猫系の混血児なのだ。

 混血児故か、体の至る部分に双方の特徴が出ており、逆に無くなっているものも多い。爪も形だけなら猫系なのだが、純粋な牙獣族と違い、純人族ぐらいの柔らかさしかなく、戦闘では使い物にならない。仮に爪だけで攻撃すれば、瞬く間に爪は割れたり剥げたりしてしまう。

 また、牙獣族の特徴として、必要時だけ爪を鋭利な形に変化させることができるのだが、自分は混血児であるためにか爪の変化が消えており、鋭利な爪が出っぱなしとなっている。そのために指を掌の中に入れ込む握りこぶしでは、爪が手の平に刺さってしまう。

『誇り高き狼の子なら、拳だろうが!』

 他の種族よりも優れた身体能力を与えられたことに誇りを持っている故に、犬系統の中でも力の象徴とされる狼を、自分たちの祖もしくは誇りの代名詞として呼ぶことは多い。また犬系の特徴としては、与えられた身体能力を生かしつつ、純人族と同じ土俵の上で戦うことを好むためか、爪を使わない攻撃スタイルが主流となっている。

 それを体現するような犬系牙獣族の要らぬ世話焼きの大人に、幼少の頃、無理やり握りこぶしを何度も作らされ、治癒魔法でも回復しきれないほどの傷へとなってしまっていた。

(そう、俺もね……君と同じ欠陥品なんだよ)

 握りこぶしが作れない以上は、別の戦い方が必要となるために、こうして長斧のバルディッシュを扱うようになった。選んだ理由は、他の牙獣族たちを寄せ付けない圧倒的なリーチに惹かれたためだ。

(なのに、なんつー態度を取ってしまったんだ……)

 自分の欠陥部分なんて、彼女のものと比べれば、かわいいものだ。見た目だけなら、他の牙獣族となんら変わりない。爪のことも癖で済ませられる。魔力だって戦闘に必要な分は持ってる。

 わかってあげることができたかもしれない。寄り添ってあげることができたかもしれない。それ自体が烏滸がましいことかもしれないが、それでも彼女は明らかに傷つき、こちらに対して距離を置かれのは間違いない。

 これから長い期間を共にするのに、酷い出だしとなってしまったことに、悔しさがこみあげてくる。

「どうした? 具合でも悪いのか?」

 自分と同じ指示を受け、一緒に来ていたダインの存在を思い出した。

 だがその表情は、こちらを心配しているというより、観察するように異様に目がまっすぐなのだ。

「あー、いやぁ……何とか雰囲気は戻せたけど、俺としたことが、カキョウちゃんの地雷を踏み抜くとはね……」

「じらい?」

「あれだ、相手にとって触れられたくない部分なんかを、そう表現することがあるんだよ」

「なるほど、それで隠された爆弾ってことか。……そうか、さっきの魔力の話か」

 この男、ダインという人物は決して鈍感ではない。一拍の黙考する時間が設けられるが、今の話も地雷の結びつき先がすぐに分かり、先のバッドスターズ殲滅作戦時も状況と必要な行動についても、大方の正解は引き当てている。

 先ほどの観察するような視線も含め、とにかく多くの情報と経験を集め、ひたすら精査し、結論や結果という確かな形で吐き出していくほど、考察力は高い。場の状況や判断に必要な材料の選別も得意のようであり、ある意味で集団のリーダーや指揮官的な方向に教育することができれば、面白い結果が生まれそうだと思っている。

「まぁな。戦闘に関わることだから、早めに知れたのはよかったんだけど、せめて彼女が自分から話すべきと決断してからのほうがよかったんだろうってな」

 実際、彼女の欠点は種族単位でみるなら、有るのが当然というのが共通認識である。故にいざ戦闘時に頼ろうとしたら、根本的にできませんでは、そもそもの戦術を変える必要が出てくる。それが命に係わるピンチの場面なら、なおのことである。

「まぁ……言わせてしまった以上は、どうしようもないだろ」

 ダインのストレートな物言いが的を射てるために、胸に突き刺さる。分かっている。出来るならば親交を深め、互いが信頼し合えるようになってから、自ずと彼女から告知してくれたほうがスマートだったのだ。

 ただし、自分には牙獣族特有のある器官によって、やんわりと察することができていた可能性があった。

「……ぶっちゃけた話なんだが、カキョウちゃんは初めて会った時から、違和感があったんだ」

「違和感?」

「生物なら皆何かしらの形で、魔力やそれに反応するマナの匂いみたいな奴があるんだ。だが、カキョウちゃんからは異様に薄くって、時々完全な無臭になるときがある。俺はうまく隠しているんだと思っていたが、そうじゃなかったんだなって」

 牙獣族特有の嗅覚では、空気中のマナや相手の魔力の濃度が、匂いに近い感覚めいたもので嗅ぎ取ることができる。とはいえ、人ごみの中など、魔力を発するものが多い場所では、あまりにも匂いが混じりすぎているために、意識的に嗅ぎ取ろうと思わない限りは動かない器官である。

 カキョウと対面したときは少人数であり、こちらも警戒していたために嗅いでみたが、説明した通り読み取れないほど薄かったのである。

 これでも経験を多く積み、並みの牙獣族よりは嗅覚を鍛えている自信があったために、カキョウに対してはどれだけ強力な感覚遮断か隠蔽の魔法を使う手練れなのかと要注意が必要、もしくはとんでもない隠密能力を持った人材なのかと注視していた。

 だが結論からみれば、答えそのものが真逆であり、それはもはや経験の外側にある新要素や新発見に近い要素であった。

「……彼女の持つ剣技は本物だ。自分のハンデを隠してしまえるほどの強力にして熟練されたものだ」

 悲しいことにまだ自分は、カキョウの戦い方について、居合の一閃だけしか見ていないために、彼女の能力について推し量ることができない。

 しかし、この男の発する言葉の音には、獣のの唸り声のように、低く耳の奥をなぞるような響きが含まれている。まるで信じなければ噛み殺すといわんばかりだ。

「らしいな。俺はまだちゃんと見たことはないけど、お前とグローバスとの間に割って入った素早さと身のこなしは、本物だって分かるさ」

 上司であるジョージも彼女の戦闘は見たことがないにしても、定期船で戦闘を共にしていたラディスからの調書や直接の言葉から、彼女をネストに入れる判断をしたのだから、それ相応の力量を持ち合わせていることは推察できる。ここまで何度も彼に言われたのなら、いずれ訪れる戦闘でじっくり観察させてもらいたいものだ。

「それに、魔力を使っていない技術と魔力が使えないから身に着けた……いや、身に着けざる得なかった技術じゃ、意味も使い方も大きく変わってしまうからな」

「……そうか。安心した」

「安心だと?」

「ああ。彼女に……失望して、ネストやパーティに入れたことを後悔しているのではないかと思ってな」

 それまで無表情だったダインの顔が、緩やかに小さく……だがはっきりと笑っている。

 ようやく理解した。この男は、情報収集のために観察していたのではない。俺がカキョウを切り捨てるか可能性を探るための、疑いの眼差しだったのだ。確かにカキョウの見込んでいた能力に対する欠落が分かった以上、戦力計算や運用に対してはいろいろと修正する必要はある。

「おいおいおい……、俺を見くびらないでもらおうか? 誰にでも得手不得手はある。それぐらいでハイサヨウナラするほど、腐っちゃいないぞ。いいか? 彼女の体質はハンデであると同時に、アドバンテージの一つだ。魔力が無いに等しいってなら、魔力感知系の魔法を容易に突破できる可能性が出てくる。彼女の足と合わせて、隠密行動の技術を学んでもらえたら、化けるんじゃないかって考えてる」

 実際、戦い方こそ見てはいないが、彼女の優れた足運びについては何度も目の当たりにしている。居合やダインの前に割って入った俊足はもちろんのこと、小屋の偵察に森の中を走ってもらった際には、ぬかるんだ地面に足を取られることなく、足音も少なければ小柄な体を生かした走り方にと、足回りに関しては他の追従を許さない才能を持っている。傭兵業だけで言えば、磨けば輝く原石といっても過言ではないだろう。

「そこまで考えていたのか」

「これでも、みんなを教育するって決めたからには、いろんな事を考えるさ。とはいえ、俺が隠密系の技術まったくもってないから、どっかの支部に寄った時にでも聞いてみるつもりだ」

「そうか……いや、本当に見くびっていたみたいだ。すまない」

 ダインはこちらの考えが展開されていくたびに目を皿にして、わかりやすく驚いていく。最後に至っては、こちらに対して向けた疑心そのものを恥とし、苦悶の表情で謝罪のお辞儀をしてきた。

「いいって。お前も彼女を連れていくって決めた手前、いろいろとあるんだろ。せっかくだから教えてくれよ」

 この男のカキョウに対する行動や言動の端々には、まるで恋人に対する独占欲に近いものがある。だからとって、何かしらの求愛行動や意思表示をするわけでもなければ、異性という捉え方をしている節もなく、あくまでも“本気で手放したくない仲間”という状態にも見える。

「そうだな……。ほんと単純に彼女に興味を持って勢いで保護してしまったからな。彼女が国に帰ると希望するまでは、俺が責任をもって守るのが筋だろう」

 正直、この手の話は濁されるかと思ったが、思いのほか素直に語りだしてくれた。やはり現状はカキョウに対して"特別な異性"という意識は無く、保護した手前の責任が先行しており、おそらくはルカと共に護衛や庇護の対象となっている。

 とはいえ、こちらから無理に囃し立てれば、二人の間に溝ができてしまうことも考えられ、長旅の初っ端から拗れてもらっても困るため、しばらくは彼らの進展を静かに見守る形が望ましいだろう。

「あとは……まだ一週間も経っていないが、共に過ごす時間が増えるほど、彼女の凄さと……脆さを実感していく」

「脆さね……。森で小屋の偵察人員決めるときのカキョウちゃんを覚えているか? あの時の気迫の正体は、まさしく自分のハンデを隠すために、有益な人間であることをアピールするための行動だろうね」

 あの時感じた“ここで示さないと、何かが死んでしまう”という、綱渡りに似た恐怖を露わにしていたカキョウは、鮮烈な記憶となって残っている。その場での最適解だったとは言い難いが、最終的には良い結果になったために、任務自体の成功とは別に、彼女の心を一時的に守ることには成功したのではないだろうか。

「確かにそうだな。なら、この先も気を付けなければ……」

「一人で突っ走るなんて、あり得るだろうな。そこはまぁ、お互い用心しておこう。ともあれ俺はまず、今日の失点を取り返さないとな」

 そう、あくまでもあの場、あの作戦時における付け焼刃だ。その点でいえば、今日は彼女を傷つける結果となったが、この先の円滑なパーティ運営のことを考えれば、大きな前進と言える。

「失点……。さっき叫んだやつか」

「そう……はぁ、もう、マジ俺としたことがぁ……。言い訳なんだけどさ、重い背景持ってる子はたくさん見てきたけど、カキョウちゃんのはベクトルが違うっつーかね……体質あるあるって言ったけど、実際は初めて聞いたんだ」

 たとえ、どんな生まれで、どんな環境で育ったか、魔力量や行使得手不得手の違いはあっても、魔力は命と同じく、全生命が享受するものだと思っていた。もしくは第二の血液と考えれる代物だ。二十一年間の歳月でも、限りなくゼロに近い人物なんて見たことも、聞いたこともない。

「でな、それ聞いたときに、じゃぁ自分が魔力なかったらどうすんのって考えたら、すんげー怖くなったんだ」

 自分らにとって、在ることが当たり前であり、この体の中にある流れがなくなるという感覚自体が想像できない。否、想像しようとすれば、それこそ体の中が空っぽになり、虚無が広がっていくような寒さを思い描いてしまうのだ。

「分かる……。俺も話を聞いて、体の芯が冷えた」

「だよな。そう思うと、俺たちの感じる恐怖の先を行く彼女には、安易に自身のことを役立たずや欠陥なんて口走ってほしくない。たとえ本人が望まない体質や修行の果てでも、それがしっかりと息づき、生きる術として確立しているなら、それはもう才能の一つだ。俺、今度、模擬戦でも申し込もうかな」

 カキョウという少女がどのような道を歩んできたにせよ、今の彼女が映し出している戦いの姿は、この世界の戦士にとってある種の限界点を突破した領域の状態なのだ。そんな彼女の戦闘におけるすべての動き……特にジャンプ力や着地の衝撃吸収、走り込みなど、魔力による強化が多い足回りの動きについては、強力な手本になるだろう。

「その時は、俺も混ぜてくれ」

 ダインの眼にも自分と同じように、静かに燃える熱意が見える。単純に彼女に対する思い入れを越え、戦士としての自覚や成長への渇望は喜ばしいことである。

 今後の展望も色々と決まったところで、遅くなったが指示にあった有翼族(フェザニス)の女性を下す準備を始めた。

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