2-4 大国に潜む闇

「まず、地理のほうだ。東側は西側に比べて土地の高さが高くなっている。東側から西側へ移動すると、緩やかながらも下っていく地形となっているために、“視線を下げる”ことになる」

「それがどうした?」

「視線を下げる、もしくは見下ろすって、悪いほうの表現をすると?」

「……そうか、“見下す”になるか」

 先の説明にあったサイペリア国の西側と東側は、モールの後ろにそびえるオルティア山脈によってきれいに分断されており、地形や気候が大きく違っている。東側は西側に比べて標高が二〇〇mほど高くなっており、東側から西側へ移動する際には、まるで壇上から降りるように西側大地を見下げる形で下っていくのだという。

 東側の地形をさらに詳しく掘り下げると、西側との境にはオルティア山脈がそびえ、北は海、東には広大な山岳地帯、南はサンドマ山脈が南部の砂漠地帯を分断している。このため、中央となっている東側地区は三方を山々に囲まれた形であり、地形的に守られた土地のように見え、東側の住人たちは安心感と特別感を持っている。

「正解。玉座や祭壇ってのは高いところにあるように、高位なモノは創造主や太陽に近い位置にいるべきだという考え方があるだろ? 加えて山々に守られた土地として、神聖度が高まっている。そんな素敵な土地に、この国の首都が存在する」

 オルティア山脈から少し離れた丘陵地帯に、サイペリア国の首都サイぺリスがある。首都というだけあって、保安や国防の観点から首都及び近郊の地域は国によって直接管理されており、居住する為にも国の許可が必要となる。許可と言っても基本的には貴族が功績を挙げて国から下賜されるか、その貴族の生活及び首都機能を維持するために専門機関の審査を経て、商い及び居住を強制もしくは認可されるものである。

「つまり、首都及び周辺に住む者は国家から住むことを許可された、栄えある者たちということらしい」

 さらには首都の北西、オルティア山脈の最北端にはルカも所属している聖サクリス教の総本山である聖都アポリスがある。首都からは馬車で半日の距離と比較的に近いために、首都は神聖なる国教のお膝元として重要視されている。

 守られた地形、首都を内包する地域、住める人間の限定、国教の重要地区と数多くの要素が重なることで、東側の……正しくは首都近郊住人の身分は必然と高くなり、自然と選民思想が育つ結果となっている。

 代わって西側は、農耕や酪農といった“首都へ送る”食品や工芸心を生産、また交易によって創出する土地と見なされ、東側から見れば自分たちのために働く身分の低い者たちの土地、という認識を持っている。

 また西側地域は国による直接管理地は少なく、街ごとの自治体単位ですべての経済・管理・運用を任されており、国からの援助政策は基本的にない。あるとすれば、生産・物流の機能維持が厳しくなった時に、資金注入や治安維持用の軍派遣、外交政策が行われる程度である。

「とまぁ、そんな感じさ……。そのうえ、貴族や平民っていう身分制度もあるから、さー大変。こんな国策的な不平等が許されるなんて、“外”の人間から見れば、すんげー歪な国だと思うよ」

 トールが外と強調するように、他国民であった自分にとっては、非常に歪に聞こえ、疑問符が飛び散るほどの不思議な話だった。

 コウエン国でも炎の大精霊であるシンエン様が住む火山を背にする首都は、この国の首都と聖都の関係と同じように、神聖なるお膝元である。だからといって、首都だけが神聖に特化しすぎているわけでもなく、首都以外が捨て置かれていい地域というわけではない。鎖国の多いコウエン国にとっては、可能な限りの自給自足をしなければならないために、首都近郊も含めた国土全域においての農耕、酪農、水産といった食料生産にかかわる産業は盛んに行われている。

 また中央を山脈で区切られたサイペリア国と違い、北に山岳地帯それ以外は平野という単純な地形のコウエン国では、地域や地方を分断するのは主に川であるために、視覚的には地平線に近いほど平坦といえる。そのために、サイペリアほどの地域間による優劣が可視化されていない可能性は十分にある。

「トール。それは歪というよりも、宗主国と植民地の関係だ。確かに一つの国と表現はできるが、関係性の意味では大きく違うと思う」

 ダインの言うように、現状の話を聞くだけなら西側は東側の隷属状態に近く、あくまでも東側の生活を守るための西側という位置づけでしかない。そんな状態の西側に利点が存在するのか見えてこない。

「気持ちは分かるさ。それでも西側の人間も国籍上はサイぺリア国民扱いで、三国同盟に記載される『サイぺリア国』の国民として庇護下にある。まぁ、同時に国民としての義務である納税も課せられる」

「って、それのどこに、西側の人たちの利点があるの? 聞けば聞くほど、ただの吸い上げじゃん!」

 トールの口から出てくる情報は、はっきり言ってどれも胸糞の悪い話ばかりであり、思わず立ち上がって叫んでしまった。全員の視線を集めたことは分かっていても、この胸にこみ上げる怒りを伝えずにはいられなかった。

「そ。カキョウちゃんの言う通り、基本的には吸い上げさ。だけど、西側はその分、東側とは違った多くの自由が与えられている」

 第一は、居住地選択の自由。東側の居住地はすべて国から下賜または貸与されている領地制であり、一度住むことが決まると簡単には転居や移住は認められない。選ばれた土地に住める選ばれた民であることを、誇りに思えということだ。しかし、西側はこれらの制約が一切なく、管理も自治体が行っており、土地自体の個人所有が認められている。

 第二は、所有及び売買の自由。第一の自由にあった土地など自治体管理と思われるものも、所有権の譲渡や、所有割合および税範囲変更等の届出を行うだけで、個人間での売買が可能である。納税分や首都での売買用以外の生産品についても、好きに売買していい。

 第三は、移動の自由。東側の中でも首都および聖都アポリスに入るためには、身分証明書に加えて、入場許可に相当する推薦状や営業許可証などの提示が求められ、誰かれ構わず入っていい場所ではない。逆にそれ以外の地域は、自治体の意図的な封鎖を除いて、すべての往来が可能である。

 第四は、職業選択の自由。東側において商業都市を除く全地域に住む者は、移住が決定された時点もしくは生また時点で、最終的な職業が決まる。これは貴族の血族、地位、生活を守る意味合いも含まれており、貴族の使用人の子に生まれついたら使用人になる定めを負う。そこに自由意志は存在せず、職を変えたい場合は婚姻などで自らの所在を変えるなどの必要がある。その点、西側にはこのような制約はないために、各々がなりたい職業を目指し、気が変われば転職するということも自由に行える。

 西側の自由を語るはずが、比較元となる東側の不自由さを語ったほうが楽なほど、西側というのは非常に自由度の高い地域といってよかった。

「そういわれちゃうと、確かに西側にも利点があるっぽく感じるけど……」

 しかし、トールが語った多くの自由とは、コウエン国においては“当たり前”の話だった。家ごとのしきたりなどはあるにせよ、基本的には職業選択は自由であり、住む場所も話し合いや売買などで変えることができる。各町に入る許可は不要であり、風光明媚な場所は観光地として定められ、集金のために多くの往来を見込む。

 故にサイペリア国の在り方が不思議であるが、あくまでも知らなかった世界として、切り分けて考えたほうがよいのだろう。

「だろ? まぁ、これはあくまでも西側限定の話だ。これが旧国地域となると……ねぇ?」

 と、トールはあからさまに意味深な呼びかけをネフェルトに向けた。受けた側は、口はにこやかに笑っているものの、その眼ははっきりと乾いた眼差しをしていた。

「そうですね。私の故郷のウィンダリアをはじめ、領土拡大戦線で併呑された旧国地域は西側に似ていますが、敗戦国であるためにこれらの自由にも若干の制限がかけられ、税率も重くなっています。自治政府はありますが、その長は旧サイペリア国民に限定されています。それに『人権擁護法』もありますから、本当の植民地状態です」

 トールがネフェルトに向けた意味深な呼びかけは、当事者からの説明を促すと同時に、話を地理から歴史に切り替えるための雰囲気づくりであったのだろう。実際に発言者と内容が変わった途端、場の空気が冷たく、背筋が自然と張っていく。

 人権擁護法とは、サイペリア国が領土拡大戦線で獲得し、併呑した周辺諸国に対して施行した勝利者と敗者を決定的に区切り、戦勝国民もとい、サイペリア東側住人の人権を全力で守るための法律である。

「知ってる……、コウエンの歴史書や教本にも載ってるよ」

 ――主文、サイぺリア国統治下におかれた敗戦国は、自治区外において戦勝国民に対し、いかなる権利を主張してはならない。

 名前と主文こそ、戦勝国民が敗戦国民からの恨みや危害から守るような法律に見える。

 しかし、本質は自治区と呼ばれる旧国地域の主要な街の外では、戦勝国民がいかなる犯罪およびそれに準ずる行い、もしくは敗戦国民の人権を侵したとしても、それに対して反論や異議の申し立て、捕縛といった一切の権利及び行動を禁ずるというものである。言い換えれば、敗戦国民に人権はなく、戦勝国民のためにあれと示しているといっても過言ではなかった。

 いわば、保証されるべき最低限の権利すら捻じ曲げる新生の大国に対し、遠く離れたコウエンにすら、悪法の名は飛び込んできている。当時は号外が出回り、誰もがサイペリアという国に恐怖を抱き、その結果としてコウエン国が鎖国を繰り返す一因になったともいわれている。

「まぁ、法律上では自治区の外と言われていますが、自治区の中でもその犯罪がバレなければ、私たちにはどうすることもできませんけどね」

「そ、それって、つまり……」

 ネフェルトの不穏な言葉にルカが恐る恐る反応したが、まさに的中している。自治区内は一応の安全圏ではあるものの、犯罪の現場が目撃できていなければ、犯罪は起きていないことになり、人攫いの被害もただの失踪扱い。当然、犯人は容疑者程度に格下げされ、挙句に無罪放免となる。

「酷いときには、容疑者に仕立て上げたとして偽証や名誉棄損として、こちら側はさらなる罪人扱いになってしまいます」

「そんなのって……」

「いいわけがありませんが、この状況を打開できないまま、こうして二十年が経過しているんです。悲しいですが、私たちは敗戦国民として受け入れていく運命しかないのです」

 打開という言葉の中には、何度も反抗作戦を行ったり、国の中枢機関への陳情や呼びかけを行ってきたのだろう。だが、こうして何も変わっていないということは、すべてが失敗に終わり、現地の人々の精神をそぎ落とし、反逆の芽を徹底的に潰してきた証なのだ。

 先の西側の話でも吠えたが、人権擁護法の実態を改めて聞いたとき、吠えるだけの義憤は残っていなかった。ここで自分が叫んだところで、世界が変わるわけではない。しかも自分は故郷を捨てた、流浪の傭兵状態。この国での市民権がないために、発言力すらない。ただ、あるがままの現実を受け止めるしかなかった。



「さてっと……、んでネフェルトさん、貴女はこれからどうしたいですか?」

 場の空気がすっかり冷え込んでしまったが、それでは話が進まないとばかりに、トールが新しく舵を切った。

(それはさすがに家に帰りたいんじゃないかな?)

 トールがなぜわざわざ、言葉にして聞いたのか少し理解に苦しんだ。

 しかしネフェルトはその意味を理解しているのか驚く様子もなく、焚き木を取り囲んでいる全員の顔を一通り見渡して、大きくうなづいた。

「厚かましいとは充分わかっていますが、よろしければ私をフェザーブルグまで送ってもらうことはできませんか?」

 やはりこの答えが返ってきた。当然だ、この場所は彼女の立場で言えば、自治区外そのものであり、早く一応の安全圏に戻りたいはずだ。

「ふむ、その前に質問。俺たちはどんな集団に見えます?」

「そうですねー、他種族がこうも一堂に会する興味深い集団ですね。ではなくて、そちらの修道士(クレリック)さんの巡礼一行ではないですか? しかもこの春……数日前に出発。なら、フェザーブルクへはまだいらしていませんよね?」

 ルカが言うには、巡礼の通過点の中に、フェザーブルクの教会も含まれている。修道士の巡礼は季節毎の恒例行事であり、このグランドリス大陸内では周知の行事であるため、このような一行を見れば誰でも想像がつくのだという。

 また、巡る教会自体は決まっているために、道順はある程度固定化され、いつ頃開始したかの予測がつけば道順はおのずと把握できるらしい。

「正解。理解が早くて助かります。ちなみに何か技能は持ってます?」

 ネフェルトの反応に気をよくしたのか、トールの口調がほんのりと弾んでいる。

「実は魔術師なんです。属性は氷と雷、あと風を少々。専攻は攻撃魔法を主軸にした魔法学全般といえばいいでしょうか?」

「おお! 魔術師! うちは現在前衛三人に、癒し手一人と、まぁバランスの悪いことで、少し頭を抱えていたところなんです。それじゃ最後に……見ての通り俺は牙獣族(ガルムス)だし、ルカちゃんと、そこのデカ物は純人族(ホミノス)だが、それでもいいのか?」

 途中までは和やかなやり取りかと思われたが、トールの空気が固く張り詰めたものに一変した。その変わりように全員が固唾を飲み、トールの鋭い視線を追った先のネフェルトを全員で見た。

 先程の人権擁護法が定める戦勝国民とは、具体的にサイペリア国の国籍を持ち、なおかつ主要種族となる純人族(ホミノス)と牙獣族(ガルムス)であることを指す。また、他国籍であっても、この二つの種族に加え三国同盟で結ばれているティタニス国の巨人族(タイタニア)、ミューバーレン国の魚人族(シープル)も擁護対象種族となる。

 そして、一瞬だが自分は? とも思ったが、この擁護対象に入っていない種族は敗戦国側と同じ扱いになるようであり、トールの確認から外れたらしい。

 それはすなわち、自分もまたネフェルト同様に街の外であれば、いかなる人権も存在せず、また国籍も全く違うために保護すら受けれない。国籍の関係で保護が受けれないのは、国を飛び出す時点で分かり切っていた話である。

 それでも……今になってようやく、自分の置かれている状況や立場が見えてきた。歩く高額商品。生きた珍味。みんなを不用意に危険にさらす爆弾。

 むしろ自分が本物の有角族(ホーンド)であり、流浪者だと分かっていた上で、ポートアレアの人たちやバッドスターズ殲滅作戦祝勝会で飲み交わした先輩傭兵たちは、好奇の眼差しがあったとはいえ、自分を一人の人間として扱ってくれていたのだ。今なら、それがひどく優しいことだったのだと痛感させられた。

 となれば、改めて自分を採用し、旅に同行することを許可したマーセナリーズ・ネストのポートアレア支部長ジョージと、この一行の決定権を持つトールは何を考えているのだろうか。

 そして、ダイン。先ほど、彼のことを全然知らないと思ったが、今は疑念のほうが増してきた。いくら彼が外を知らないとはいえ、人権擁護法の話なら聞いたことがあるはず。それに有角族が該当するかどうかを知っているかは、分からない。でも有角族の存在については、架空の存在に近い認識だった。このチグハグ具合に、彼が何をどこまで知り、隠しているのか、全く分からない。表情も相変わらず青ざめて、口元を隠している。

「ふふふ、大丈夫です。もし、私を売ったりしようとする人たちなら、こんなに手厚く介抱なんてしなかったでしょう。それにカキョウさんを見れば一目瞭然です」

 こちらが疑心で心がモヤモヤしているのとは裏腹に、ネフェルトはまるで安心の指標として名前を挙げてきた。

 同時にそれは、今まで自分が置かれている状況に疑念を抱くことなく、警戒すらしていなかった自分に対する釘にも聞こえた。その輝かしい微笑みも、胸に突き刺さる。

(アタシ、何やってるんだろう……)

 誰かを疑いたくなんてないのに、状況と情報がそうさせてくる。自分の馬鹿さ加減にあきれてくる。

「いい返事ありがとうございます。さて……もう分かると思うが、ネフェルトさんも同行してもらうってことでいいか?」

 トールが先に言ったように自分たちの構成は近接戦闘中心の前衛に寄りすぎている。トールは範囲攻撃ができるとはいえ、魔力の消費が激しい大技であり、乱発はできない。自分とダインは基本的に一対一の戦闘が多いため、離れた位置の敵には改めて距離を詰めなおす必要がある。数で来られたら、近接戦闘能力の低いルカを守る人員すら割けなくなる。

 また、ネフェルトは魔術師を自称し、自分の得意属性と魔法の方向性を自信をもって述べているあたり、実力はあるのかもしれない。彼女の自信が本当なら、遠距離や広範囲といった自分たちの届かない部分への行動が起こせるようになる。この戦力増強は非常に大きなものとなること、間違いなしだ。

 それはみんなも同じであり、ダインとルカも異存はなしと、みんなで大きくうなづいた。

「ふふふ、改めまして。魔術師のネフェルトです。どうぞ、よろしくお願いいたします。私のことはネフェと呼んでください」

 ニコッと微笑んだ姿は、同性の自分でも見惚れてしまうほど美しさの中に女性らしいかわいさを持ち、純白の翼がおとぎ話に出てくる天女を彷彿させた。

「よし、なかなかいい時間になったな……。今日はもう寝よう。んじゃ、ダインは見張りを頼む。後で起こしてくれ」

「分かった」

 トールが自身の懐中時計を確認すると、すでに十時を過ぎていた。いつの間にか見張り役と順番が決まっていたようであり、今夜に関してはひとまず彼らが担当するようで、ダインはさっそく周囲の見回りへ向かった。

 これまでの話から、自分自身が最も危険な人物だと分かった以上、何もしていないというは非常に心苦しいと思い、自分も見張りを申し出たが「今日はお兄さんたちに任せなって」と、なぜかデコピンを貰ってしまった。痛い。

 多分、自分が今、多くの感情が巡っていて、心に大きなモヤっとした感覚が広がっているのが分かるほど、ひどい顔になっているのだろう。この時は言葉に甘えて休ませてもらおうと思い、各々が出発前に購入した野営用の寝具を広げ、寝る準備を行った。

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