1-11 虎穴に入らずんば虎子を得ず

 ダインたちに見送られつつ、単身で薄暗い森の中を進んでいく。

 今、この瞬間、森の中で身を屈めながら、正面の小屋に忍び寄る自分がいまだに信じ切れない。

 密航者として、投獄されていたかもしれない。故郷に強制送還されていたかもしれない。発見される事なく、船倉で餓死していたかもしれない。船が海竜に襲われ、海に投げ出されていたかもしれない。

 しかし、ここにいるという現実を刻むように、森の草木は借りた外套で隠しきれていない肌の露出部分に傷を与えていく。特に太股は身を屈めているために、足元の草木によって草負けを起し、傷口がチリチリと痛痒かった。

(家から軟膏ぐらい、持ってくればよかった……)

 愛刀一振りを携えて、着の身着のままに国を飛び出すなど、無謀の極みでしかないく、この生きているという実感の前では、乙女の柔肌が受ける代償なんぞ、軽いかもしれない。

(だからこそ、アタシは、ここで、証明しなくちゃ)

 自分は、何処にいても不必要な存在だった。

 五歳の時、実母が病気によって他界した直後、父が母と共通の友人だった現在の継母と再婚した。

 翌年には、父と継母の間に弟が生まれ、皆忙しそうに、そして嬉しそうに弟の面倒を見ていた。

 このときから自分の、“家族”というモノの形が変わった。

 放置されていたというわけではなかったが、それでも弟を中心とし、父と継母が主体となった家では、自分は常に蚊帳の外に置かれた。

 とても小さな存在である弟を、形式上の姉である自分は、子どもであったことを差引いても、自分から近づくこと、触れることは許されなかった。

 それは、彼が男の子であり、跡継ぎであるから。家にとって、ただひたすら大事な存在であるから。

(アタシだって、やればできるんだ……)

 家の中での在り方が明確に変わったのは、十歳の時。父が突然「お前に家を継がせる。今日から修行をするぞ」と宣言され、その場で首根っこを掴まれると、道場に投げ入れられた。受身もまともに知らなかった少女は、頭、肩、背中の順に床に落ち、辛うじて意識を留めていた。そのため、あの時の痛みは、今でも覚えている。

 そこからは、とにかく必死だった。豹変した父の命令と修行をこなせば、自分の存在を認めてくれるかもしれない。本当の家族になれるかもしれない。

 でも、そんな願いも虚しく、ひたすら剣を振い、ひたすら投げ飛ばされ、傷を作り、七年が過ぎた。

 そして、今から約一週間前の深夜。誰もが寝静まったはずの居間から聞こえてきた父と継母の話し声。

『カキョウは、家から出す』

 訳が分からなかった。文字通りの汗水血反吐を垂らした日々は、その瞬間に否定された。

(何が家を継がせるだ、何が修行だ、何が家族だ、なにが……)

 次の瞬間には、愛刀一振りを握って、家の門を出ていた。

(誰かに……“必要”とされたい)

 だからこそ、今、自分に出来る事をやりたい。

 自分にしか出来ない事を、探したい。

(でも……やっぱ素人の……、女のアタシが出しゃばるんじゃなかったかな……)

 小屋はもう目の前というのに、心が失速する。

『お前が男だったら』

『女は家のために出るものだ』

『女が技の全てを習得できるはず無い』

 修行が始まったその日から、親戚、近所、父を知っているだけの見知らぬ他人と、多彩な顔ぶれに言われ続けた。

 それでも、父の修行に喰らい付いた。必死だった。そうでもしなければ、自分の居場所なんて無いと思っていた。

 結局、自分には、家から追い出される未来しかなかった。

 そんな家も家族も要らない。ならば、自分から出て行く。

 そうやって、家を出てみたものの、どこにでも“女”だから忌避されることばかりだった。

 背にした三人だって同じだ。素人抜きに女だから頼みづらいという雰囲気を出していた。

(……やってやる)

 本来なら、最初の案どおりにラディスが偵察に来るべきところを、意地だけでもぎ取った以上は、しっかりと成果を出さなければ意味が無い。

 目的地に近づけば近づく程、意地が腹の底でうなり声を上げつつ、身体を震わせてくる。

(役立たずなんて、言わせない)

 見えてきた小屋は、森の湿気対策なのか、数十本の支柱を用いて、床そのものを地面から離した高床式だった。小屋本体は上げられた床の上に、外皮だけを取り払った丸太を縦方向に水平に並べた特殊な箱物であり、入口から真裏となる目の前と左側の壁にはそれぞれ〇.五m四方の観音開きができる窓が付いていた。

 小屋本体は床面の広さよりも小さいものであり、余った床面は張り出した状態で、入口側からぐるりと一周回ることが出来る。

 張り出した床に上がる事ができれば、正面の窓の直下に張り付く事が可能だ。

(あ……れ? 中が、見れる!?)

 現在いる位置からでも、窓には布などの目隠しはされておらず、近づく事さえ出来れば、中を除き見る事は可能だった。

(でも……床、高いなー)

 床と地面との間は約〇.五m程もあり、勢いをつけないとよじ登れない。

 加えて、元の持ち主の手入れによるものか、小屋の周囲一mほどは、草木が生えておらず、安易に近づく事はできない状態となっている。

 支柱の向こう側を注視すれば、見張りに立たされている男二人の足が見えた。

『ブッヒャヒャヒャ、昼間から飲む酒はうんめぇなあ!!』

『あまり飲みすぎるんじゃねぇぞ。俺たち、一応は見張りってことだからよ』

 見張りのくせに、酒をあおりながらとはお気楽なのか、それともここに来る可能性のある者たちを見下してなのか。上げ床に飛びつきたい気持ちと息を殺すように、耳を澄ませた。

 酒を飲んでいるのがどちらか片方だけだとしても、せめて牙獣族(ガルムス)のほうが飲兵衛であって、いろんな感覚が狂ってくれていると嬉しい。

『しかしさぁ、親分は傭兵とか武器持った奴を警戒しろっつってたけど、ぜーんぜんこねぇな』

『コレで本当に、相手が全員向こうに行っててくれるんなら、それが一番楽なんだけどな』

 ゆるりとだけど、それなりに警戒はしている様子であり、このままでは小屋に触れることすら出来ない。無駄な時間は使いたくないと、徐々に自分の中に焦りが生まれ始める。

『……んだ? テメェ、何しに来やがった』

 支柱の向こう側に変化が生じた。遠くでも分かるほど、張り詰めた空気。

『す、すまない、この道がラーネスの街への近道だと聞いたんだが』

 新しく聞こえてきた声は、ダインのものだった。作戦通りなら、このままダインが見張り役の気を引いてくれる手筈となっている。

『ああん? ここの何処に道があるように見えるんだ? ああん!』

 場面としては、道に迷った土地勘のない青年という感じのようであり、相手はいい具合に呑みの邪魔をされて、機嫌が斜めに傾きつつある。

『そ、そのようだな……邪魔したようだな。し、失礼する』

 声音だけなら冷静を装いつつも、見張り役の凄みに気圧される気弱な男。足音は、急ぎ足と逃げ足を滲ませるような素早い踵の返し。

『……おい、待て。お前は何処から来たもんだ?』

 ここで飲兵衛ではないもう一人の男が、ダインを呼び止めた。

 飲兵衛の男からすれば、ほろ酔い気分を害され、傭兵の可能性もある目障りな不審者という、極めて最悪な印象を植えつけ、視界からさっさと消えてほしいと思わせたかもしれない。

 しかし、もう片方の素面な声に聞こえる男は、ダインと飲兵衛のやり取りを静かに見ていたはずであり、わざわざ呼び止めたという事は……。

(釣れた……?)

 相手の興味は、さらにダインへと注がれつつある。

『……見てのとおり旅の者で、今朝、ポートアレアの街についたんだ』

 ダインは呼び止めに応じて、見張り役の方へ振り返った。支柱の向こう側に見える足の動きと声音という数少ない情報なのに、場面の空気と展開がここまで分かりやすいのは、非常にありがたい。

『見てのとおりねぇ? その割には、着ている物が真新しいものばかりなんだが?』

 素面の男が体勢を変え、ダインの方へゆっくりとにじり寄り始めた。

『ヒャハ、あれか? ママに新しいおもちゃを買ってもらって、見せびらかしに街まで来たってか!』

 続くように、飲兵衛も軽い千鳥足で、ダインの方へ近づいていく。

 見張り役二人が、小屋から一歩、また一歩と遠ざかる。

『その上、騙されて、俺たちの前に現れるとはぁ、可哀相な僕ちゃんだこと』

 ダインもゆっくりとだが、後ろへジワジワとすり足で、男達から遠ざかろうとする。

 得物を追い詰めるように、見張り役の二人もゆっくりと彼に詰め寄る。

 つまり、相手は徐々に小屋から離れつつあった。

『よく言うだろ? 有り金と金目の物ぜーんぶ置いていってもらおう、かっ!!』

『ヒャッハー!!! 略奪だぁぁあぁ!』

 後退するダインにもどかしくなったのか、見張り役の二人は、距離を一気に詰めにかかった。この後に訪れる状況は、誰の想像にも難くない。

(今!)

 ダインの身に着けている物にご熱心な今こそ、小屋に張り付く絶好の機会。音をなるべく立てないように、されど素早く茂みから出て、支柱の影に滑り込んだ。

 支柱に身を隠し、ナメクジのようにねっとりと慎重に床の上へとよじ登り、小屋の壁に身体を預ける。

 直上に見える窓を睨みつけるように見上げつつ、身体を横にずらして、ちょうど窓の真横ギリギリの位置になるように立ち上がった。

 まだ、中が見えないために、ゆっくりと身をよじりながら、視線や顔を小屋の中に向けていく。自分の息を飲む音が五月蝿く感じるほど、神経を研ぎ澄ます。

 まず、目に映ったものは、木製の扉。閉ざされてはいるが、所々に刃物で突き刺した跡のように細長い穴が開いており、隣の部屋の光が木漏れ日のように、小さく差し込んでいる。

 次に目に映ったのは、惨状というべき荒れ方をした部屋全体。中心部分から真っ二つに折れた寝台と机。散乱する木片に硝子行灯の欠片、砥石などの道具類。置かれていたものから推測すれば、ここは元の持ち主が寝泊りしていた部屋なのだろう。

 まるで何かが暴れつくした場所に、本当にシスターが匿われているのだろうか?

 今見える視界の高さや、入口側の方には誰もいないように見え……否、視界の下端に丸い何かが見える。

 視界を徐々に下に降ろすと、ちょうど覗き込んでいる窓の直下に、榛色と呼ばれるくすんだ薄茶に輝く髪が見えた。

(もしかして、見つけた!?)

 髪の間から見える衣服は、シュローズ教会のシスター・マイカが着ていた衣類の紫色に似た布地が見える。裾が大きく広がっており、他国の女性が着ている“スカート”というものだろう。

 改めて見渡すと、シスターと思わしき人物以外に人影は無い。扉の向こうは分からないが、差し込んでくる光は常に一定であり、誰かが動いているのなら光は何らかの形で揺れるはず。

 さらに、覗き込んでいる窓の枠を見れば、室外に向けて観音開きとなる構造で、“鍵がかかっていない”。

 自然と手が窓枠を握る。錆び付きなどの音が鳴らないことを祈りながら、ゆっくりと窓を開けた。

 窓を開く音より、心臓の音のほうがウルサイ。

 幸い、音は自分にしか聞こえないほどの、極小のものであり、向こう側に気づかれた様子もない。

(って、これ……助け出せるんじゃない……?)

 生唾が喉を通る。

 改めて中を見渡し、この部屋と扉の向こうに人の気配が無い事を確認する。

 背後の森も確認し、自分達が安全であることを確認する。

 そして意を決し、身を乗り出すようにゆっくりと、窓の中に入って行った。

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