2-13 水面に這いよる死臭の影

 日の光もすっかり消え失せた夜闇の中、巨石の向こう側に白紫の光が打ちあがったのを見届けると、いよいよ女性陣の水浴びが始まったのだと理解する。残った自分たちは、トールが夕食の準備を行い、自分は武器を担いだまま周囲の警戒として立っていた。

「……なぁ、ダイン。お前って本当、アンバランスだよな」

「はぁ?」

 不意に投げかけられた言葉の内容に理解できず、変な声で返事をしてしまった。巨石のほうをじっと見ていた自分は、声のほうに顔を向ければ、鍋の中の黄色い液体をゆっくりかき混ぜながら、怪訝そうな顔でこちらを見上げているトールの顔があった。

「いやな、俺も事前に貴族の世間知らずボンボンに近いヤツを宛がわれるって聞いていたんだが、お前はどうだ? 世間知らずにしては妙に常識的な行動をとる。でも、どこか常識を知らない。戦えば護身術というより戦闘技術そのものだし、妙に肝が据わっていたり、我がままも不平も不満も言わない。そして野宿も平気。なのに、衣類や装備は割と小綺麗で高そうときたもんだ」

 トールの疑問は最もであり、それ自体は自分も自覚している。新調したて以外にも、ネストの先輩傭兵たちの服装を見ても、自分の装備は少々の場違いな気がするほど綺麗もしくは、実戦重視というよりはトールと同じく、私服と軽鎧を組み合わせた見目とのバランスを重視したデザインである。

 ただし、市井の中で暮らす養父のグラフが用意したものとは違うようであり、コートの裏地や鎧の素材、鎧裏に施されている細工などからも、別の人物が用意したと思われる。おそらく実父や実母のほうだろう。いろいろと放置し追放しておきながら、行先や同行者、装備の手配など妙に手厚いのは十八年の人生に対する償い、もしくは情けというものだろうか。

 戦闘技術については、あくまでも指南者が元王宮近衛兵である養父の賜物であるためだ。最終的に外に出て戦うことも想定してか、グラフの実子であるネヴィアと共に、常日頃から実戦に近い形式での訓練を積まされてきていたためだ。

 肝が据わっていると評価されたが、これも若干違う。その場の雰囲気や流れに身を委ねつつ、こうあるべきなのかという“普通”というものを模索しているに過ぎない。それは決して自発的とは思っておらず、流されるままではと思っている。

「なぁ……、マジで何者なんだ?」

 トールの表情をなんと読んでいいのか分からない。凝視してる半目は観察ではあるんだろうが、興味というより疑いに近いものでありながらも、そこまで鋭くはなく、ただジーッとこっちを見てる。

「そう、だな……何者かと言われれば、貴族の家に引き取られたものの、様々な物事や外界から切り離され、その上で放流された者、としか言い様がない。そこに貴族としての身分もなければ、巨人族(タイタニア)でもなかったから純粋にティタニス国民とも言えない、俺自身がなんと表現していいか分からない曖昧な存在としか答えようがない」

「つっても、お前にだってガキの頃はあっただろう?」

「俺もよくは覚えていない。引き取られる以前は、多くの大人たちに見下ろされたり、部屋の外に出してもらえなかったとしか……」

「なんだよ、つまり最近まで養ってくれた貴族に引き取られるまで……いや、“助け出される”までは、見世物だったり監禁生活だったのか? ……え、何お前、奴隷かペットかなんかだったのか?」

 むしろ愛玩動物(ペット)であったほうが、マシだったのかもしれない。引き取られる前の元の家では監禁生活のほうが基本であったために、愛玩動物のように可愛がられるという様子はなく、むしろ腫物や呪われた子を隠したいみたいな陰湿な動機によるものが多かった。

「助け出される……確かにそうなのかもな。だがそれ以上は思い出せないし、思い出したくないと頭が訴えてくる」

 たとえどんな過去を持っていたとしても、それはすでに過ぎ去りしものであり、大事なのは今の自分がどこに立ち、どのように動き、どこへ向かうべきかだと思っている。そう考えるぐらい、過去の自分は一応の経験で生み出されたものであり、今を形成する一部分でしかないのだ。

「えー……つまり奴隷を助けたけど、それを隠さなきゃいけなかったわけってことだろ? うっわ……重いわ。そりゃぁ、お前の旅路を手配してくれた養父さんに感謝しなきゃだな」

「ああ、そうだな」

 あえて、この話に実父が絡んでいることを話さなかったためにか、トールは自分のことを奴隷か愛玩動物扱いから救い出された美しき救出劇の末に、ここにいるのだと“勘違い”してくれた。正直に言えば、今もこれからも、この勘違いのままでいい。元の家のことなんて存在しことにしたいし、“自分の葬式”をわざわざ見せつけられたのだから、それ以前の自分は死んだもしくは消え去ったのも同義なのだから。

「とはいえ、純血主義の強いティタニス内だとタイタニア以外が見世物同然だったから、引き取られてもおいそれと外に出せなかったのなら、合点がいくな……。なるほど、お前が妙なバランスで箱入りなのは納得できた。悪いな、思い出したくないことまで聞いてしまって」

「いや、大丈夫だ。自分でもよく分らんバランスで生きているなって思うから、トールが疑問に持つのも不思議ではない」

 確かに嫌な記憶ではあるものの過ぎた話であり、今はそのような見下す目線で見てくるものはいない。それぐらい、外の世界やこの仲間たちといる空間は、自分にとって心地のいいものだと認識できている。

「たっく……、お前って本当にイイ奴だな。んま、俺が気になったのはそんぐらいだ。常識はこれから吸収していけばいいし、そのために俺がいる。あとはあれだな、たまには自分からやりたいことなんかを主張してみるといいさ。それが他人にとって相手を知ることに繋がるからな」

「自分の主張が、相手を知ることに繋がる……」

「そう。今まで自分と繋がっていた人間、つまり肯定もしくは否定してくれる人間は、養子先の人間だけだっただろ? それが一気に増えたわけだから、他人に対して適度に自分を発信していかないと、今みたいに疑問を持たれてしまう」

 特にここ一週間で強固に繋がることとなった仲間たちは、今後も長い時間を共にすることとなるために、互いをもっと知る必要があるだろう。それは戦術面だけでなく、人間性も含めて良き付き合いを続けるには不可欠であり、大事なコミュニケーションの一部となると彼は言う。

「なるほど……。適度にというのが、よく分からないが考えてみる」

 主張する頻度や密度というものは、それこそ場面ごとに変わってくるために、一様に教えることができないことは自分でも分かる。とにかく、ここは養子先のひどく丁寧に囲われた空間ではないために、そこで発生していた“遠慮”を少しずつ捨てることから始めるしかないのだろう。それもまた難しい話ではあるのだが。

「ああ、そうするといいさ。そうそう、話は変わるけど、お前って料理や家事ってできるのか?」

 これまでが比較的暗い話題となってしまったために、トールは目の前の黄色い液体、正しくはコーンポタージュを混ぜながら新しい話題を投げかけてきた。昨日の食糧調達の際に、ペースト状に加工されたポタージュの素が瓶詰で売っていたために試しに購入してみたようである。お湯に混ぜるだけで簡単にできるために便利な反面、空いた瓶の利用方法を考えないと単純にかさばるだけだなと呟いていた。

「実をいうと料理や洗濯はやったことがない。……というより、厨房や物干しの高さが高すぎて、俺には無理だった」

「なるほどというか、確かにな。タイタニア用の高さ設計だと、無理ってもんか」

 決して貴族の子息みたいに大事な存在だから家事などをやらせないのではなく、完全な物理的理由によって手伝うことすらできなかったのだ。これには自分の背丈を吹き込まれていた矮躯として呪ったものだ。掃除については自分の手の届く範囲での掃除だけはできたために、一応の経験はあるといえた。

「んなら、料理も教えていかないと……」


「「「キャアアアアアアアアアアアアアア!!!!!」」」


「!?」

 今の三つの叫び声は、水浴びに行った女性陣のものだ。明らかな異変に、自分はトールに判断を仰ぐこともなく、一目散に女性陣が入っていった林の小道へと駆け出した。



「どうした!」

 林を抜けた先は、巨石の向こう側に広がる水浴び向きの浅瀬があり、見る人によっては天国と地獄が広がっていた。

 水浴びをしていたであろう三人は、膝までを川の水につけつつ一糸纏わぬ姿で、川向うからゆっくりと向かってくる影――自分たちの任務対象となっている歩く死体ことゾンビ数体と応戦していた。カキョウは二人の前に立つと、最前線に立って愛刀を走らせ、その隙を縫うようにネフェルトが自身の太ももに相当するほどの巨大な氷柱を飛ばし、二人にいつでも治癒ができるようにとルカが最後尾で構えていた。

「ひっ! だ、ダインさん!」

 自分の声掛けに気づいたルカがこちらを振り向いたが、自分の姿をすぐに思い出すと急いで水の中に体を沈めて、見せないようにしてきた。一瞬ではあったが、前に立つ二人に比べて全てが小ぶりであり華奢という言葉が似あうほど細く、まだ少女という印象を持った。

「き、来てくださったのはありがたいのですが、あああ、――アイスニードル!」

 ネフェルトもこちらに気づいたが、まずは進攻してくるゾンビの処理を優先させるという姿勢を保ちつつも、自身の翼で全身を包むように肌を隠した。翼のわずかな隙間から見える臀部は、見事なまでの豊満な胸部に劣らぬモノであり、丸みを帯びた体はまさに大人の女性を表現している。

「ちょ!? み、見ないで!!」

 こちらから一番遠く、ゾンビに一番近い位置で戦っていたカキョウもこちらに気づくと、両手で構えていた刀を右手の身に持ち替え、空いた左腕で胸を隠しつつ、残る下半身を水の中に沈めた。

 全体的に先の二人の中間と表現できるほど、程よく丸みがある体つきであり、胸部は常に縛り付ける服装から解き放たれたのか、普段見るサイズよりも少々大きめに映り、弾力のある仕上がりを見せている。四肢は前衛を務めているだけはあって引き締まりつつも、腹部から腰に掛けてのクビレは少なく緩やかなカーブを描き、一層肌の柔らかさを彷彿させてくる。

 皆、昇りたての月明かりによって着飾られた素肌は美しく、とりわけ一番最後に入水したカキョウの体は脳裏に焼き付いてしまい、体の芯の部分を熱くしてきた。


 カチ。カチ、カチ、カチ。


 自分も一応男なのだと思い起こされている中、耳の奥で聞き知った歯車の音が聞こえ始める。変に滾った神経が急速に冷却され、視界が赤く染まり、徐々に体感時間と意識が切り離され、周囲がゆっくりとした動きに変わっていく。気づけば、背中に背負った大剣を抜きつつ、女性陣の間を縫って、カキョウとゾンビの間に割って入るように最前列へ躍り出ていた。

(今ここで、【超加速】と【知覚加速】が起きる?)

 以前、トールとラディスから発動条件についての質問があったものの、少なくとも任意で発動することはできなく、条件自体も分からずに終わった。少なくとも、現状では武器を扱うことを前提とする実戦中が含まれるということが今の状態から分かった。

 目の前には知覚加速によって、さらに鈍足になったゾンビが合計四体。どれも肉がただれ落ち、かろうじて残っている肉や衣類から男女の判別がつくぐらいである。その内の一番先頭にいる個体の頭部には、ネフェルトの放った太い氷柱が突き刺さっている。

 本来、不死者(アンデッド)は人工的に生み出されるものであるために、心臓の代わりとなる魔術が刻印されているはずである。その多くは神経の管理中枢となる頭部に刻まれることで、生前に近い動きをさせることができるという。そのために、不死者に対しての物理的な対処方法として、頭部の破壊もしくは頭部と胴体を切り離すことである。

 ところが、目の前のゾンビは頭部に太い氷柱が刺さっているにも関わらず、その歩みを止める様子がない。それなら、魔術の核は別のところにあるのだろうと、すでに抜ていた大剣を右下から左上へ逆袈裟に切り上げた。至近距離ということもあり、わき腹から肩まで切り上げた刃は腐敗によって脆くなっていた肉体をあっさりと分断する。


 ――散リ散リ。


 二つに分かれたゾンビの胴体から、そんな言葉が脳を支配する。すでに活動を停止した肉だからこそ出てこないが、これが生きた肉体だったら、川の水を真っ赤に染め上げるほどの大量の血があふれ出ていたであろう。……それこそ、昨日“カキョウが流した血の涙”のような真っ赤な色で。


 ――バラバラ。


 残る三体のゾンビを見据える。剣をどう振るえば、相手を“散り散り、バラバラ”に引き裂くことができるだろうか。脳に浮かぶ言葉通りを行わなければ、気が済まないと思う自分がいる。そこに違和感はなく、むしろ率先して“与えてやれ”と思っているほどだ。

 左上へ振り上げた大剣はそのまま左下へ下ろすと、右へ水平に振って密集気味だった残る三体を同時に胸部と腹部を分断した。六つの腐食した肉塊が水しぶきを上げる。そこに高揚感があるわけでもなく、淡々とした作業感だけが積もった。

「ダイン! 前!」

 追いついたトールからの指摘で前を見る。能力解除と言わんばかりに視界の赤と歯車の音が弱まりつつある中、対岸の茂みの中から新たに二体のゾンビが現れた。能力が切れ行く中、膝上まで到達している川の水が金属のグリーブや革靴、コートの裾に足枷となってのしかかる。

 それでも自分の背後には一糸まとわぬ状態の女性が三人。トールの増援を待つにも川の水と距離があるために、まだ自分で動いたほうが早い。

 能力が切れるギリギリまで足を動かし、前へ進む。同時に右へ移動していた大剣を水平に構え、魔力を流し込む。得意のグラインドアッパーを準備する形だ。


 ――叩キ込メ!


 脳裏をよぎってきた言葉が突然“自分の肉声”となって、脳を視界を手足の先を焦がさんばかりの熱を与えてくる。

(なんだこれ……俺の魔力、なのか?)

 急激に生まれた熱の正体が分からぬまま、体が思うように動いていく。強制的に動かされる足は、枷の重みをもろともせず突き進み、瞬く間に追加されたゾンビ二体を相手できる位置へと移動した。

 手先に生まれた熱は急速に魔力へと変わり、もはや剣という器からいつでも溢れ出さんとしている。

 あとは声の指示に従って、水平切りの姿勢から唐竹割りのように大剣を天高く掲げ、あとは自重に任せるように地面へ叩き込む。

 叩き込まれた魔力は、強烈な衝撃波となって目の前のゾンビ二体を爆発四散という言葉が似つかわしいほど、粉々に粉砕した。


 ――カッチャン。

 

 そして同時に、【超加速】と【知覚加速】の終了を告げる歯車の止まる音が脳内に鳴り響いた。このタイミングは実に最悪なものであり、爆発の衝撃波が発動者である自分を巻き込んだ。退避する術も、耐えうる身体強化も発動できないまま、全身が衝撃波によって痛みを伴いながら宙を舞う。

 そして体は弧を描き、川の中心に叩きつけられるように没した。

(何だったんだ、今のは)

 敵を粉砕できたからよかったものの、自分の中に生まれた強烈な“破壊衝動”とそれに呼応するような爆発的な魔力増加。それに伴って体には強力な負荷がかかったのか関節や先端に痛みが発生している。そのために、体を動かすことができないまま、水中に沈んでいる。いずれは息ができなくなる。ある意味でこれがラディスの言っていた、特殊能力使用の反動による負荷なのだろう。

 だが、それとは別に破壊衝動を促す自分の声については、自分の深層にあった意識なのか、それとも全く別の存在からの声なのか。

(どちらにしても、まずい状況だ……)

 それを考えていると両二の腕をつかみ上げられ、顔が水面に急浮上。あまりの勢いと急激な外の空気が入り込んだために、むせ返ってしまった。

「ダイン! 大丈夫!?」

 目を開けば、視界の左側から鼻先がくっつきそうなほど顔を近づけて覗き込むカキョウがいた。服はすでに襦袢と呼ばれる白い着物と緋色の袴を着ており、肌の大事な部分が隠されている。

 しかし、この距離だからこそ気づいてしまう。彼女の体中いたるところに、この数日以内についたとは思えないほど古く、大小様々な傷跡が点在している。以前に彼女の身体能力について聞いた時の修行によるものなのだろう。とはいえ、その傷を見て痛々しいや傷物といった感覚はなく、むしろ彼女を形成する一部、もしくは模様のような自然物として捉えている。

「ああ、大丈夫だ。引き上げてくれてありがとう」

 普段が二の腕まで隠れるアームカバーやニーソックスを着用している様子からも、恐らく彼女はこれらの傷について対外的に気にしているはずである。目についたからと言って、興味の言葉をかければ彼女は傷つく可能性があるために、ここは気づかなかったフリをしてやり過ごすことにする。

「たっく、こんな浅瀬で溺れただなんて報告書、俺に書かせるなって」

 そう嫌味を垂れるトールは、カキョウとは反対に自分の右腕をつかみ上げている。水分を含んだ衣類に金属製のチェストプレート、弛緩して動かなくなった筋肉と、重量級の品々ばかりとなってしまい、引き上げてくれた二人には非常に申し訳ないことをしてしまった。

「本当にすまない……。能力の負荷と危険性を、身をもって体感した」

「つっても、お前の意思で発動できるもんってわけでもないんだろ? なら、切れたときのことを考えた立ち回りを頭に入れるんだな」

 彼の手厳しい指摘はもっともなことである。自分の力である以上は振り回されるだけでなく、切れ際を見極めつつの立ち回りを気にし、正しい意味で自分の力としなければならない。

 弛緩が解けつつある体を起こしながら、今後の立ち回りとずぶぬれになった体をどう乾かそうかと考えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

EternalOath(分割版) 神崎シキ @kanzakisiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ