第13話 転がるシャーペン、揺れるココロ
期末テストがあと2日後といよいよ迫ってきた。梅雨らしく雨は連日降り続き、じめじめした中で教室の雰囲気がだんだんテスト前っぽくなりつつある。
「もう無理ー」と叫んで現実逃避するクラスメイトもいれば、「全然勉強してない」って言ってる人のノートがふと見えた時に嘘でしょってくらいめっちゃ書き込みしてあったりする。皆が落ち着かない時期。
真衣はやっぱりランチタイム後図書室に直行する。結花、詩織、沙紀の三人はランチ後にくっつけたままの机で教科書やノートを広げていた。
まあまあお利口さんの部類に入るんじゃないだろうか。結果が出るかどうかはともかくとして。
特に詩織の集中力がすごい。アイドルが載った雑誌をコピーして切り抜き、ノートの表紙に貼って「東京ドームで待ってるぜ詩織!」とセリフを書き込み、ご丁寧にノートカバー(百均らしい)をつけている。そこに暗記するためにキーワードを書き殴ったり数学の解答をうんうん言いながら書きこんだりしている。「教科ごちゃまぜでもとにかく1冊埋めるくらいアウトプットしようと思って」と、笑っちゃうくらいの集中力で「必勝!」って書いてあるハチマキをしていないのが不思議なくらいだ。推しの力はすごい。
沙紀は英語と国語、日本史が得意でとにかく数字が絡む教科が苦手というわかりやすい文系タイプ。かろうじて生物はまあまあ点が取れるくらい。結花も似たようなものだった。ただし国語は沙紀みたいに90点台が取れない。
たくさん勉強しても、本番まで覚えていられるか焦りもある。こんな風にざわざわしている教室の中では自覚しないのに、テストが始まると急に教室が違う場所みたいになる。
シャーペンが走る音。皆が全問正答を書いているように思える。焦って集中できず、いつもなら出てくるはずの答えがどうしても出てこない。結花は自分が本番に弱いタイプだと自覚していた。
高校受験のときもそうだったなぁ、などと思い出に浸りそうになる。いけない、昼休みはあと10分もない。集中しないと時間はあっという間に過ぎる。
教科書に蛍光ペンでライン引きしていると、手が滑ってシャーペンに当たり、落ちてコロコロと転がっていった。しまった。
席を立ち、拾おうとする直前、骨ばった大きい手がシャーペンをつかんだ。
「はい」
「あ、ありがと」
顔を見るとクラスの男子――
落とし物を拾ってもらうなんて、どこにでもあるやりとりで、でも視線に違和感を感じて、席に座ってから彼の方をもう一度見てみた。
松崎君はまだこっちを見ていて、結花が見たのに気づくとふい、と顔をそらした。
「ねぇ、私顔になにかついてる?」
「えっ」
沙紀がまじまじと顔を見て「なにもついてないよ」と言ってくれた。詩織は松崎君の方を見て、シャーペンを見て、結花を見て「はっはーん」とつぶやき、にやりと笑う。
「なに」
「なんでもないよー」
詩織は楽しそうだ。たかだか落とし物を拾ってもらっただけじゃないか。なんなんだ一体。
なぜだか無性に腹が立った結花はそのあともろくに集中できず、チャイムが無慈悲に昼休みの終わりを告げた。
帰り道も三人で。別に真衣をハブってるわけではないのだけれど、自然とそうなってしまう。
午後の授業から雨が上がった。「疲れたから放課後甘いもの食べない?」と詩織が言う。教室から出ると、晴れ間を狙ったような蝉の声が音量を増した。蒸し暑い中、学校近くのコンビニでアイスを買って、向かいの公園で食べようという話になった。
「真衣、がんばってんねー」とチョコとバニラアイスのワッフルコーンを食べながら詩織が言う。
「詩織もがんばってるじゃん」
結花は新商品のキャラメルコーヒー味のカップアイスにした。沙紀は小豆のアイスバーを無表情で
「いやーまだまだだわ。いつもの私よりは点取れそうだけど真衣はやっぱすごいよ。勉強してる自信に満ち満ちてるもん。クラス1落ち着いてるんじゃない?」
「そうかもね」
沙紀も、結花と真衣が喧嘩したのにうすうす気づいているらしい。でも何も言ってこない。詩織はふざけて「いやー仮面夫婦にはさまれた子供ってこんな感じなのかね」と
早く仲直りしなよ、と言ってこない友達でなくてよかった。別に悪いわけではないけど、中学の友達はそう言いそうだった。皆が皆、似たような感じで仲良しでないと許されない雰囲気がクラスにもあった。親が金持ちだとかそうでないとか、飛び抜けて美人だとか不細工だとか、成績がいいとか悪いとか、なにか目立つ要素がある人はちやほやされるorちょっとしたことで見下されるの二択だった気がする。
高校はそもそも出身中学が違って一度リセットされるせいなのか、「皆同じがいいよね」より「皆違って当たり前」が通るような気がして、だから沙紀たちにも家の事を言えたんだなと改めて思う。
最初は光のことを
私自身が強くなったのもあるんだろうか。
そうだといいな。
カップアイスを木のスプーンでザクザク崩す。すぐ溶けたら嫌だから下の方から商品を取ったのだけれど予想以上に固い。遊具で歓声を上げて遊んでいる子供たちの方を見たまま、結花は少しだけ胸を奮い立たせた。
「あのさ、私テスト終わったら真衣と仲直りするよ」
言うだけ言ってみた。まだ真衣本人には何を言ったらいいのかわからないけど。
「そうか」と沙紀が言い、
「こじれたときは間に入るよ」と詩織が言う。そっけなくも温かい返事が嬉しかった。
「光は?」
「寝たよー。俊樹さんはお風呂」
勉強の合間に降りると母は寝かしつけ成功後の祝杯を上げていた。
録画したバラエティを流し見して、スマホをいじり、お酒を飲んで。母は貴重な時間をめいっぱい楽しんで忙しそうだ。
「こないだはありがとね」と急に言われる。
「なんのこと?」
冷蔵庫からペットボトルのサイダーを見つけた結花は他に2階に持っていくものはないかと物色し始める。
クッキーがあった。いえい。
「ほらー、おばあちゃん駅に送ってってくれたじゃん」
「だいぶ前じゃん」
クッキーをふりふりすると、母は片手でOKサインを見せてくれた。
「光のことでドタバタだったからさー、ちゃんとお礼言ってなかった」
こういうの、義理堅いって言うんだろう。
「いいのいいの久々に話せたし、惣菜好きなの買ったし」
「かーっ、結花はいい子だねぇホント。私の自慢だよー」
「かーっ」の前にぐびぐびとビールを
「酔ってるねぇ」
「へへへへ」
結花は母の向かいに座った。ちょっとだけ休憩。ここで食べていこうっと。
また2階に上がっても苦手な数学が待ってるだけだからとかそんなんじゃなくて、と自分に言い訳する。
バラエティでは芸人がお決まり定番ネタをやっていて、母が少し笑う。
「おばあちゃん、やっぱり俊樹さんのことはちょっと苦手みたい」
笑顔が固まった。
「そう」
「私とはうまくやってるかとか、色々聞かれた」
「そうかぁ」
バラエティはCMに入る。飛ばそうとしてリモコンを手に持ったけど、止めてそのまま流す。
「あれ、ヤキモチもあるのよ。俊樹さん、おばあちゃんが昔好きだった人に顔が似てるからなおさら」
結花は咳き込む。サイダーが変なところに入ったみたい。
思い出していた虐待うんぬんの話も全てふっとんだ。ヤキモチ…焼きもち?
「えっあれおじいちゃんは」
「結婚前に好きだった人よ。昔は親の決めた人と 結婚するの、珍しくなかったからね。喧嘩した時、そんなこと言ってた。あんただけ2回も好きな人と結婚してとかなんとか」
「そんなこと言ってたの?」
おばあちゃんにも若い頃があったんだ。当たり前のことだけど全然想像つかない。母は燻製たまごをパッケージの上に置いてころころ指で転がしている。
「しまった言うんじゃなかった、って顔したから、そのことにはもう触れていないわ。私もあんたが気にしてるから教えただけし、おばあちゃんに言うんじゃないわよ。……口が滑ったわね。飲むとつい口が軽くなっちゃう」
「わかった、言わない」
秘密は、相手のためを想って話さないことが大事な時もある。詩織とのやりとりがよぎる。
そして、虐待うんぬんの心配をしていたことで、祖母の考えがわかったような気がしている自分はまだまだだと感じた。大人はいろんな顔を持っているし理由も一つじゃない。焼きもちと虐待の心配と、その割合だって結花にはわからない。
「……人間って、複雑だね」
「なによ知ったような口聞いて」
母はぐいっ、とビールの最後の一口を流し込み、完全にうわの空で流していたバラエティを停止してそのまま消した。
「よしっ、明日もがんばろ! 歯磨きしたら寝るわ! 結花も夜更かししない程度に勉強がんばんな! おやすみ!」
全て「!」がつく勢いで言い切って、晴香は洗面所へ向かっていった。がさつで大胆なようでいて、きっちりお酒のあとは歯磨きするのだ。
洗面所で俊樹となにやら話す声が聞こえる。内容までは聞こえないけど夫婦の会話、というやつだろう。結花の知らない世界。
考えてみれば真衣の家の事だって人づてに聞いただけで、実態を見た訳ではない。
自分の受け取り方と、実際にその立場にいる真衣とでは違うものが見えているだろう。
「しっかし、数学の答えは1つ、って決まってるのにそれはそれで難しいという……」
自室でケータイを見る。通知ゼロ。期末テストまであとちょっと。
「戦わなきゃ勝てないよな」なんて漫画の主人公みたくカッコつけて独りごちてみたけど、5分たっても数学の難題でうんうん悩んでいる結花だった。
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